95 幸せの種
気付くと頬を涙が一筋伝っていた。
「――……こんな夢を見せて、何のつもり」
ぐいと拭って立ち上がる。場所は滅びた静止世界。私は“悪役”のモニコで、ベルちゃんは倒すべき“正義”の魔女だった。
「紙粘土、知っているでしょう? あの白い粘土」
魔女は最初の場所から動いていない。煙管から吐き出す煙が金の粉に変わって辺りにふわりと落ちた。最初の記憶で手に付着していた金粉にそっくりだ。
「あなた達も同じなのよ。若い内は、柔らかくてどんな形にも出来るけど、育って固まってしまうと無理じゃなくても形を変えるのが難しくなる。だから巻き戻して柔らかくしたの。あなたに慈悲を与える為にね」
「…………慈悲ってなに。今更改心するとでも?」
「無理でしょうね。あれだけの罪を犯して、今更戻れないでしょう」
魔女が微かに笑う。
「最初にわたくしが煙管を吸った瞬間から。煙を吸って、あなたは夢を見ていたのよ。それで魔女ですらない、ただ力があるだけの未熟者だと解ったわ」
魔女との戦闘では一挙手一投足警戒して然るべきなのだとそこで知る。
「あなたがただの少女だと解り、あなたを覗いて魔法を掛けたの。最後は素敵な夢だったでしょう?
「……その呼び方やめて。何よあの夢……! 今更やり直せないっていうのに! 残酷なだけじゃない! この性悪……ッ!」
「そうね、残酷だわ。けれど魔法は成功したのよ。見て御覧なさい」
魔女が煙管で私の胸元を指し示す。見遣ると、胸の真ん中に小さくきらきら光るものが浮かんでいた。
「…………なに?」
「それは幸せの種よ。最後の記憶で“ベルちゃん”が皆に与えていたもの。不幸の種が存在するなら、幸せの種だって無いとおかしいでしょう?」
恐る恐る光に触れると、掌の上で黄金色に輝く種の形を結ぶ。
「あれは確かに夢だった。あなたの世界はあんな風に誰かが沢山種を撒かないと、難しい世界だった。あなたが悪くないとは言わないけれど、周りも悪いのよ」
「…………そうよ、あんなこと、誰も教えてくれなかった……! してくれなかった……ッ! 知らなかったんだから、仕方ないじゃない……ッ!」
「けれどもう知ったわね」
魔女が箒から降りた。煙管をしまい、細い杖を取り出し優雅に立つ。
「それはあなたが知って理解した事で、生まれた種よ。あなたはその種をこの先誰かに撒く事が出来る」
「……何を…………今更……ッ」
「あなたがした事は許されない。あなたが殺した人達もあなたを許さないでしょう。けれど“許さない”に囚われ続けるのも不幸なこと。これはまあ後で。先にあなたよ」
じっと、じっと魔女が此方を見ている。老けているけどベルちゃんの顔だ。あれはただの夢で、この魔女は憎たらしいクソババアなのに。誰よりも綺麗に見えた。
「あなたは残酷に此処で死ぬのよ。わたくしが残酷に殺すから。あなたはきっと地獄で報いを受けるでしょう。罪の分だけ長く苦しむでしょう。だけどずっとその種を手放さないこと。そうしたら、次の生に持っていけるわ」
「は……、次があるとでも?」
「あるわよ。人は魂を磨くために何度も転生を繰り返すの。災難も不幸も、今生の苦しみは学びを得て魂を磨くためにあるのよ。良い事や幸せな事もそう。人は知る為に生まれて、次にまた知る為に死んでいくのよ」
お坊さんに詳しい訳じゃないけど、お坊さんみたいな事を言うと思った。それでいくと自分に次なんかあるのか、と思う。あんな罪を犯したのに。
「さっきまでのあなたなら、次は無かったかもしれないわね。だけどあなたはその種を生み出した。大切な事を理解した。どう? 素敵な慈悲でしょう?」
見透かしたように魔女が言って、笑った。
「…………ふふ、あはは……っ! 喜ぶと思ってんの? クソババア!」
私も、笑えてきた。
「どうかしら。さ、そろそろ殺すわよ。――――ああ、先に神の力を返してもよくってよ。少しは“刑期”が変わるかもしれないし」
「ごめんだわ。今の私はとっても悪い子なの」
即答した。にんまりと魔女が笑う。
「そういう美学、嫌いじゃなくてよ」
私は今日此処で死ぬ。目の前の魔女に残酷に殺されて死ぬ。分不相応な力を手にした、無様な小物の悪役として死ぬ。最期に改心なんてしない。犠牲者に憎まれたまま、悪役のまま死ぬ。私は私が選択してきた結果を受け入れる。
因果応報。その方が、私が殺して害してきた人達もすっきりするでしょう?
「――――ッていうかぁ! 化石の癖にあたしに勝てると思ってんの!? 加齢臭塗れのクソババアがッ! 臭えんだよッッ!」
全ての力を解き放ち、国を亡ぼす魔法を幾つも生み出す。たちまち空は私の魔法で埋め尽くされた。
「あらあら、年齢しか馬鹿にする所が無いの? もう少しお口を鍛えてから挑んだ方がよくってよ、中身スッカスカのお嬢さん!」
茶番に付き合ってくれるよう、魔女が高笑いをして、細い杖を一振りする。
空どころか
神の力を上乗せしても勝てない。ベルちゃんの力が、“本当の魔女”の力が私を焼いて千切って砕いて切り刻み磨り潰し、今まで私が殺した人達の溜飲が下がるような、無惨で残酷な殺し方をしていく。
「 ねえ、ベルちゃん」
「なあに?」
「次はわたし、 あなたの弟子になりたいわ」
「いいわよ。また会いましょう、
――――間際に、最後に交わした言葉はそれだけ。私は完全に敗北し、命を失った。けれど、魔女が最後にくれた黄金の種だけはぎゅっと握り締めていた。
これで今までの私の話はおしまいだ。
続きは、きっと何処か遠い未来で。
* * *
『ベルが勝利しましたよ……!』
コントロールセンター。カピバラの神が興奮した顔つきで声をあげた。
「モイッ! モイィ~!」
一緒に見守っていた小人の半分も歓声をあげる。
『こ、これでベルが戻ればあちらの治療も何とか……!』
「モイィ…………」
残りの小人とガンはルームの端で死にかけていた。生きてはいる。だが重傷と色んなものの枯渇でもう一ミリも動けず転がっていた。
治療してやりたくとも、代表団に混ざらず残った小人達は魔力を譲渡しきって治せなかったし、カピ神も力が今は無いので何も出来なかった。つまり転がしておくしか無かった。
そうこうする内、ベルが戻って来る。
『嗚呼、ベル……! おかえりなさい! 本当によくやってくれました……!』
「楽勝ではあったのだけど、時間が掛かってごめんなさいね」
『いえ、いえ、魔女としてのつとめは大切です……! で、ですね……』
「なあに? まだ皆戻ってないの……? ………………」
怪我ひとつせずぴんぴんして戻って来たベルが辺りをぐるり見渡し――端で転がる集団に目を剥いた。
「モッ! モモッモイ! モモモイモイモモモモ…………ッッッ!」
「おだまり! おどき!」
長老小人が慌てて言い訳だか弁明を始めるが、乱暴に押し退けてつかつかと近付いていく。怖い顔をしていた。
「モヒィ…………!」
「あなた達……!」
近付いてくる悪鬼のような表情の主人に、満身創痍のノックノックやオッチョオッチョが顔を覆って震える。
「ガンナーを助けに行ったのね? ……お説教は後、治療も後でしてあげる」
「モヒッ……!?」
優しい言葉とぽんと頭を軽く撫ぜる手に、小人達は目を丸くしたが、それ以上構う暇が無いらしく、ベルは怖い顔でガンを凝視している。
「――――ちょっと、カピ神」
『はい………………』
「命の器に大きな罅が入っているじゃないの! 命が零れだしてる! 前は此処までじゃなかったでしょう!? 一体どうしてくれるのッッッ!」
『ひい! そ、そ、それは……っ』
「おだまり!」
「……おれの体質なんだよ、カピ神を責めんな」
一ミリも動けない状態だが、ベルが喧しいので薄目を開けたガンが呻く。
「飯食って、寝たら治るからさァ……」
「治らないわよ! ばか!」
「いッッッて――――! おまえのビンタで死ぬわ!」
「おだまり!」
一ミリも動けないのに盛大にビンタを喰らい、マジで死ぬかと思った。
そのままベルは謝りもせず、ブチ切れて説教を始めた。
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