94 ベルちゃん

 小学校に入って、ずっと全員クラスは別々だった。

 だけど、それでもベルちゃんは凄くて私達は彼女に救われた。登下校は一緒にして、毎日公園や誰かの家に集まって遊んだり色んな話をする。


 今一番深刻な問題は、愛美まなみがクラスで男子に意地悪や女子にいじめを受けている事だった。保育園でのベル帝国の経験が少し彼女を強くしたのだろう、彼女は前の記憶と違って悩みを私達に打ち明けられるようになっていた。


「痛みを知らないと、深く考えずに誰かを攻撃しちゃうのよね。自分がされたら、っていう想像力がまだ無いんだわ」


 ブランコを漕ぎながら、呆れたようにベルちゃんが言う。彼女が言う事はいつも難しい。愛美は悲しい顔で、私は途方に暮れた顔で彼女の話を聞いている。


「いいわ。明日の休み時間、私が行ってあげる。けど愛美ちゃんも頑張らなきゃ駄目よ。自分の事なんだから」

「な、何を頑張ればいいの……?」

「意思表示。意地悪をされるのは嫌だ、誰かの好きな男の子を盗ったりなんかしてないって。あなたずっと黙って我慢してるだけでしょう?」


 これは後から愛美に聞いた話だが、翌日ベルちゃんは休み時間に愛美のクラスを訪れた。学年一恰好良くて足が速くて面白くて勉強まで出来る、女子の殆どが憧れている男の子アオイ君を連れて。愛美に話しかけるでもなく、アオイ君と仲の良い男子達と話したのだという。その男子達はクラスでも一軍の子達で、中には愛美に意地悪をする子も混ざっていた。


 その内容はアオイ君とベルちゃんが付き合う事になったという報告だった。驚く男子達、プラス聞き耳を立てる女子達。愛美も酷く驚いた。

 最初アオイ君はベルちゃんが気になって、上履きや筆箱を投げたり、外国人である事を酷くからかったりしていたらしい。ベルちゃんなので倍返しは勿論のこと、気になるからいじめる事の愚かさ、恰好悪さをこれでもかと説いたらしい。

 それでアオイ君は目が覚めて反省し、行動も改めたのでお試しでベルちゃんと付き合える事になったのだという。


 それからクラス中の女子に『好きだからっていじめる男子の事どう思う?』と聞いて、満場一致で『最低だしそれで絶対好きになる事は無い』という言葉を引き出した。愛美にも話は振られて、必死で『意地悪をされると悲しいし嫌だ、仲良くしてくれた方がずっと嬉しい』と初めて意思表示が出来たそうだ。


 明らかに気まずくなる男子達に今度は『ちなみにいじめをする女子の事はどう思う?』と聞いた。そうすると口々に『性格悪いなって思う』『可愛くても好きにはなれんかも……』等の意見が出て、アオイ君も『もし俺の事を好きな女子がベルをいじめても、俺がその女子を絶対好きになる事はない。寧ろ嫌いになる』と断言した。今度は女子達が気まずくなった。


 クラスの雰囲気は最悪で、愛美は心臓が止まるかと思ったそうだ。


「うふふ、皆そんな気まずい顔をしないのよ。心当たりがあるのなら、これから直せば良いんだから! 恥ずかしいからって意地をはってずっと嫌われ者で居るより、素直にごめんなさいして誰かに好かれる自分に変わった方が幸せになれるわ!」


 ベルちゃんは天使の笑顔でそう言って、アオイ君と共に帰っていったらしい。

 それからクラスは暫く気まずい雰囲気だったが、徐々に全てとは言わないが明らかに変わる子が出てきて、中には愛美に謝る子も居たらしい。謝らない子も居たけれどずっと当たりは弱くなったそうだ。


 こんな風にベルちゃんはどんどん私達の世界を変えていった。

 自分の手ではなく、大人の力を借りる事もあった。愛美から変質者の話を聞いた時は、すぐさま先生や両親に訴えて学校をあげての見守り対策等をして貰ったし、愛美の両親が離婚した時は、こっそりと担任や保健医に相談して大人からのアプローチとカウンセリングで愛美を支える手筈を整えた。私にも要請があった。


「いい? 桃丹子もにこちゃん。私達では愛美ちゃんのおうちの事を変える事は出来ないけど、愛美ちゃんの心を守る“居場所”にはなれるわ。辛い時は何処かにひとつでも居場所が必要なのよ」

「分かった。私達で愛美を守ろう」


 しっかりと頷く私に、ベルちゃんは優しく笑った。


「――――もしこの先あなたが辛い時は、私と愛美があなたの居場所よ」


 その言葉は何より嬉しく眩く私の耳朶を打った。



 * * *


 

 私が悩み始めたのは小学校高学年頃からだった。

 小学校も高学年になると、男子も女子も、足の速さや面白さ以外の価値に気付いてくる。例えば美醜、例えばおしゃれかどうか。そんな色めく価値観の差別を感じ取るようになってきたのがこの頃だった。

 ベルちゃんはああ言ってくれたけど、矢張り相談し辛くて私はずっとこの悩みを抱えていた。愛美とベルちゃんは二人とも美少女で、三人で歩いていると明らかに比べられる事が多くなってきていたから余計に言い辛かった。


 中学に入るとその周囲の差別はより顕著になり、私は二人をそっと避け始めた。それにすぐ気付いたのはベルちゃんで、避けるどころか詰め寄られ、私はとうとう悩みを打ち明けてしまった。ベルちゃんは茶化したり馬鹿にせず、最後まで真剣に聞いてくれた。


「そんな事で――とは言わないわ。あなたにとっては辛くて深刻な悩みよね」


 夕暮れの公園。ブランコを漕ぎながらベルちゃんが言う。そんな事で、と馬鹿にされないのは嬉しかった。私も隣でブランコに座って頷く。


「気休めに聞こえるかもしれないけど、今から言う事は全部本当のことよ」

「うん……」

「今、桃丹子ちゃんが居る世界と価値観の中では、確かにあなたは美人ではないと判断される事が多いでしょう」

「…………」

「けど、平安時代とか、他の外国――地域によっては、私より桃丹子ちゃんの方が美人だって思われるわ。美醜なんて、時代と場所で変わるのよ」

「アフリカだと太った人がもてるって聞いた事はある……けど、私アフリカは行きたくないな……まだ中学生だし……」


 正直に言う。ベルちゃんがそりゃそうよね、とちょっと笑った。言っている事は解る。だけど気休めにしかならない。


「アフリカに行けと言っている訳じゃないのよ。今あなたを苦しませている価値観は、他の誰かが決めたものだということ。あなたじゃなくてね」

「…………」

「ファッションもそう。トレンドだって、世界のごく一部の人が決めて流行らせているのよ。そう思うと流行りを追うのは滑稽だと思わない?」

「けど……」

「みんなと同じじゃないと不安? そうよね、一人だけ外れていると嫌な事を言われたり意地悪されたりするかもしれないものね。それも分かるのよ」


 ベルちゃんの言う事はいつも難しい。解るけど、感情が追い付かない。


「私あなたが好きよ。とても大切だわ。私はあなたの外見だけであなたを大切に思っている訳じゃない。あなただってそうでしょう?」

「…………うん」

「桃丹子ちゃんはとても優しい素敵な女の子よ。ユーモアだってある。お話を書くのも上手。良い所が沢山ある。私はそれを知っているわ。あなたはとても美しいの。知らない誰かの言葉より、知ってる私の言葉が大きく響くと良いのだけど」

「……………………うん……」

「私はあなたの素晴らしさを知っている。だから外野に何を言われても気にしないで、とは言わないわ。気にしてもいいから、あなたも自分を愛して欲しい」


 目の前がじわじわと涙でぼやけてくる。


「自己肯定感っていうのよ。ありのままの自分を肯定してあげること。誰に何を言われても、自分だけは味方でいてあげなくちゃ可哀相よ。私達も居るけどね」

「……………………う、ん……ッ」


 涙が零れてくる。肩が震える。


「もし何とかしたいなら、ダイエットも手伝うし上手なお化粧やおしゃれだって教えてあげる。どうしても顔が嫌なら、大人になって整形でも何でもすればいいのよ。けどね」

「整形はともかく……ダイエットとお化粧とおしゃれは……したい。……けど?」

「世間の価値観に流されて決めては駄目よ。大切な自分の事なんだから、自分のことは自分で決めるの。世間がこうだから、じゃなくて、本当に自分がなりたい自分を目指すべきだわ。流されたって、世間の誰も責任は取ってくれないのよ」

「……………………」


 ベルちゃんの言う事は本当に難しい。解らない、解らない、けど。


「……世間の価値観、は……よく分からない、流されてるのかもしれないけど……私、綺麗になりたい。可愛くなりたい。それは本当にそう思うの。……自分のこと、好きになりたい。自信を持ちたい……」

「…………分かったわ。じゃあ、一緒に頑張りましょう。あなたが自分を愛せるようになるまでね」


 その日から、ベルちゃんの助けを得て私は変わり始めた。愛美も一緒に手伝ってくれた。ダイエットを頑張って徐々に痩せ、上手なメイクや自分に似合うおしゃれを覚えて次第にあか抜けて行った。一年、二年も経つとすっかり私は変わった。

 相変わらず二人みたいな美少女にはなれなかったけど、最善を尽くした自負はある。比べるような声はずっと減ったし、気にならなくなった。

 

 ――――何より色んな努力をして変わった自分を誇らしく思ったし、愛せるような気がした。俯いていた前の記憶よりずっと幸せな気持ちだった。

 

 愛美も家庭の問題はあったものの、それ以外の事では前の記憶と違って道を誤らなかった。嫌な事は嫌と言い、自分を主張できる女の子になっていた。それでもどうにもならない時はちゃんと助けを求める声をあげ、大人を頼れるようになっていた。私も、愛美も、心を守る居場所があるから頑張れた。


 全てはベルちゃんのお陰だ。

 高校は全員別になったが私達は助け合い支え合い、心を曇らせず、自分を周りを大切に生きていった。幸せに歳をとっていった。


 もし“この私”が異世界転生をしていたら。きっとエリーヌはそのまま勇者に愛されていたと思う。悲劇は起きなかったと思う。問題はヒロインを入れ替えた事では無く、私の心持の問題だった。世界を救う使命があるのに自分の事しか考えず、振舞う私はどれだけ美少女でも醜かったろう。上手くいかないのも当然の事だった。

 


 ――――全てを悟った私は、目を開く。夢ではなく、現実で。

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