93 夢の中

 何か金色のものがくるくると回っている。

 温かい水の中のような場所に居た。私はゆったりと浮かんでいる。ぼんやりとして、何も考えられない。何処からか、とても綺麗な声がした。


『さあまずは、ひとつずつ。あなたが嫌いなあの子の事を見てみましょう』


 何の事だろうか。分からない。頭がぼうっとして、気付けば私は夢を見ていた。



 * * *


 夢の中で私は愛美まなみになっていた。正確には、身体や精神の主導権は愛美にあって、私はただ彼女の中で彼女の人生を覗いているだけの存在だった。

 

 驚くことに、愛美の人生は私が思っていたより幸せではなかった。

 両親の仲は悪く、家では言い争う声が絶えず、保育園でも迎えが来るのは一番最後だ。保育園で色んな男子に意地悪もされていて、よく泣いていた。この頃は私とも凄く仲が良くて、幼い私は意地悪をする男子から愛美の事を庇ったり、慰めたりしていた。


 愛美にとって、この頃から“男の子”は恐怖の対象だった。愛美の中で見て感じていたから分かる。可愛いから、本当は好きだから、と言われても意味が分からない。意地悪がただ怖くて、悲しくて嫌だった。代わりに、私の事が大好きだった。私と一緒に、お絵かきをしたり色んな遊びをする時間が何より好きだった。


 小学校に入ると、私の知らない愛美の苦労をまた知った。家が近所で登下校は一緒だったが、一度も同じクラスにはならなかった。愛美は保育園と同じで、愛美の事を好きな男子には意地悪をされ、女子達には可愛いから気取ってる、誰々ちゃんの好きな男子を盗った等と言いがかりをつけられていじめられていた。

 実際に愛美が気取ったり誰かの好きな男子を盗った事は無い。愛美は大人しく息を殺してじっとして、ただ怯えていただけだった。


 他にも怖い事や辛い事は沢山あった。登下校の時に付けて来たり、一人で歩いている時に話しかけてくる知らない男の人。近所の人が助けてくれたが、無理矢理連れて行かれそうになった事もある。ある日父親が居なくなった事。暫くして“新しいパパ”が来たが馴染めなかった事。母親が“愛美のお母さん”ではなく“パパの女”になってしまった事。

 誰にも相談出来なくて、愛美はよく泣いていた。私がお話を書いて、愛美が挿絵を描くという遊びが一番好きで、唯一夢の世界に逃げられる時間だった。


 中学に入ると世界は一変した。愛美の可愛さは飛び抜けていて、別の小学校から来た一軍女子達のグループに招かれて人気者になった。女子達からの嫌がらせが完全に無くなった訳ではないが、この頃になると男子も幼い意地悪を卒業して愛美を丁重に扱うようになっていた。世界の変化が嬉しくて、愛美は必死に馴染もうと努力した。明るくて優しい、誰にでも愛されるような少女になろうとした。


 本当は私が所属していた、マンガやアニメの話をしている陰キャグループに混ざりたかったらしい。彼女には色んな愛情が不足していて、まだ幼かった。

 だけど、また皆からいじめられるのが怖くて、与えられた役割と場所を守る事に必死だった。不良っぽい先輩の告白を断れず付き合うようになって、溜まり場でお酒や煙草を勧められるのも嫌だった。乱暴な取り巻きの男子達も嫌だった。何より自分を見る、男子達の血走って興奮したような目つきが怖かった。


 私の知らない“処女を失う”という経験は、ただただ痛くて怖かった。当時付き合っていた先輩が強引に押し倒してきて断れなかった。愛美は居場所を失う事が怖くて、嫌な事を何も断る事が出来なかった。それでも何度か縋るように、私を見付けては話しかけようとした。中学生の私はそっけなくて、愛美を避けていた。その事も酷く愛美を傷付けたようだった。


 高校も、本当は私と同じ所に行きたかったらしい。だけど愛美の両親はもう愛美に興味が無くて、近場の一番学費が安い、治安が悪い高校しか許されなかった。

 泣く泣く愛美はそこに進学し、また居場所を失う事が怖くて必死に色んな事をした。仲間が万引きをすれば同じようにしたし、仲間が援助交際をすれば同じようにした。仲間が誰かを虐めれば、心で泣きながら一緒に虐めた。


 全部、全部、辛くて苦しくて悲しかった。逃げる場所は何処にも無かった。

 

 そして――――私が死んだ日。

 あの日の愛美は男を連れ回して見せ付けていた訳では無かった。性質の悪い男達にナンパされ、無理矢理連れて行かれようとしている所だった。そこに私の姿が見えて、必死で声を掛けた。中学からずっと避けられていたけど、彼女にとって私は夢や希望の象徴で、咄嗟に助けを求めてしまっていた。


 だけど結果は私の記憶通りで、愛美はあの後男達に乱暴されて、写真や動画まで撮られて脅され、次の日には絶望してビルから飛び降りた。



 * * *


 私は絶叫して夢から飛び起きた。涙が頬を伝っている。


「そんな、そんな……っ、 愛美……! 私の、私の……せいで……っ!」

『――――これはただの夢で御伽噺よ。可能性のひとつ。本当の事かもしれないし、実際には起きなかった事かもしれない。大事なのはそこではないのよ』


 気付けば夢のように綺麗な女の人が隣に居た。彼女は魔女だという。


『今回の教訓は、隣の芝生は青く見えるということ。あなたが羨ましくて憎んでしまった彼女だって、あなたを羨ましく光のように見ていたわ。こういう事は、こうして見てみるか、直接話さないと分からないものね』


 座り込み、顔を覆って泣きじゃくる私の頭を綺麗な魔女が撫ぜてくれる。母親の手のように優しかった。


『あなたと彼女、どちらが悪いという話ではないのよ。不幸の種は色んな所に落ちていて、踏んだら最後、足の裏を突き破って生えてくるのだから。……比べる事に意味は無いのよ。強いて言えば、あなた達は二人とも可哀相だわ』

 

「わたし、……私は……ッ、どうしたら、良かったの……! だって、だって……!」

 

『本当は周りの大人が気付いて助けてあげなくてはいけない事よ。あなた達はまだ未熟で幼くて、世界の事を何も知らないんだから。純粋で視野が狭い、なのに染まりやすくて、思い込んでしまうと戻れなくなる。本当に可哀相だわね』


 こんなものを見せられて、知らされて、どうして良いのか分からなかった。


『けれど、そういう時の為に魔女が居るのよ。善き魔女は少女を導くものだから。――さあ、頷くだけで良い。この魔女に頼って御覧なさい。あなたが知らない足りないものを、一緒に探してあげるわ』


 優しい美しい微笑みを見て、私は咄嗟に頷いていた。

 綺麗な魔女も頷いて、袖から細い杖を取り出すと歌うように魔法を紡いだ。


 また私は頭がぼうっとして、夢の世界に落ちていく。



 * * *



 夢の中で私は私だった。けれど愛美の時と同じように、私の中で私を見て感じている。今見ているのは保育園の時の様子だった。

 保育園の砂場で愛美まなみが男子に意地悪をされている。また同じ過去を辿るのかと思ったら、何だか様子が違った。


「やめて! いたいよぉ!」

「なきむしまなみ! なくまでやめませーん!」

「やめなよ! まなみちゃんいたがってる!」

 

 愛美が髪を引っ張られて泣いている。私は必死で止めようと声を掛けるが、男子はニヤニヤと愛美が泣くまでやめる様子は無かった。先生を探したが、体調の悪い子を連れて中に入ったばかりで、他の先生も喧嘩している子達の仲裁に入っていて、すぐに来てくれる状態ではなかった。


「やめなよ! せんせいにいいつけるよ!」

「うるせえ! ブスはだまってろ!」

「きゃっ」

「もにこちゃん……!」

 

 私まで突き飛ばされて、泣きそうになる。愛美も既に目に涙がいっぱい溜まっていた。どうしよう、どうしよう。そう思った時だった。


「いてっ、いてて……! やめろ!」

「ベルちゃん……!」


 同じ組のベルちゃんが、意地悪な男子の髪を掴んで思い切り引っ張っていた。痛がる男子が涙目で、たまらず愛美の髪を離す。


「やめろってなんで? ひとにはするのにじぶんがされるのはだめなの?」


 ベルちゃんは外国から来た、中途入園してきた子だ。フランス人形みたいに可愛くて、日本語も上手ですごく気が強かった。


「わたししってるわよ。あなたマナミがすきだからこういうことするんでしょ? わたしもあなたがすきだからこうするのよ。ないたらやめてあげるわね」

「すきじゃねえよ! はなせよブス!」

「ブスってだれのこと? わたしはカワイイからちがうわねっ!」


 ベルちゃんは天使みたいに可愛い笑顔で、結局男子が泣いて謝るまで手を離さなかった。遅れて先生が駆け付けるが、私達は必死でベルちゃんが愛美を助けてくれたのだと訴えた。親達に連絡が行ったが、親同士が謝罪した位で大きな問題にはならなかったようだ。


 こんな風にベルちゃんは男の子達を次々“教育”していった。時にはパワーで、時には辛辣な言葉で。男の子だけじゃなく、意地悪な女の子達も同時に“矯正”していった。子供目線で見るとベルちゃんは乱暴で怖い大魔王のようにも、或いは手が早過ぎる神様か正義のヒーローのようにも映った。


 ベルちゃんが言う正論は、子供には中々理解するのが難しかった。中で見ていた私は何となく思った。ベルちゃんは言葉だけでは理解が貧しい子供達に、無理矢理相手の立場を体感させて“解らせている”のだと。同じ子供同士だから許される、先生や親達、大人では出来ないとんでもないパワープレイだと思った。

 

 暫くするとベル帝国が出来上がり、私達うさぎ組は先生や親達が吃驚するほど意地悪の無い、喧嘩はあっても仲直りが出来る素敵な組になっていた。

 私と愛美とベルちゃんは仲良し三人組になり、そのまま小学校へ進学した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る