02 新世界

 目を開くより前に感じたのは、むっとした熱気と濃密な自然の匂い。

 知らない土地の、というより過去に訪れた南の自然深い場所を連想させた。ゆっくりと目を開く。


「…………おお」


 岩肌を剥きだした高い山の頂だった。周囲にはストーンサークルのように環状に配置された白い石柱が見える。その中央に立っていた。

 雲がかった眼下に見える景色は、一言でいうと“大自然”だ。長くあちこちに伸びる山稜。斜面から続く平地には、森林より樹海と表現した方がぴったりくる緑の絨毯が広がり、渓谷が模様のように走っている。

 遠目に一斉飛び立つ鳥の群れが見える。動物は居るようだった。だが人の文明の気配はない。どんな建物も、拓かれた様子も見られない。


「未開の大自然に放り出されたって感じだな」


 だが、悪くはない。久しく笑む形に動かなかった口角が動き、深く息を吸い込む。大きく伸びをする。

 元の世界に未練が無いかと言われれば嘘だ。だがあのまま居たら、自分が世界を壊してしまっていたと思う。だから、これで正しい。

 気持ちはいずれ追いつく筈だから新たにはじめよう。そう思い、最初の一歩を踏み出したその時だった。


「――やあ、そこの御仁!」


 後ろから声が掛かる。瞠目し振り返る。人が居た。男の声だ。


「別の世界から来た英雄、勇者の類とお見受けする。相違ないだろうか?」

「…………なっ」


 動揺した。人が居た事も問われた内容も勿論そうだが、目の前に居る男の気配に気付けなかった事が信じられない。信じられないほどの威容だった。


 質素というより汚れた身形の、帯剣した大柄の男だ。背丈は二メートル近い。獅子のような蓬髪に精悍な顔だち、太い笑みを浮かべこちらを見ている。

 目が合った瞬間に鳥肌が立った。人好きする様相を浮かべているのに、魔王や星霜を経た古竜と相対した時のような感覚を覚える。


 これは“自分と同格かそれ以上の強い生物”と相対した時の感覚だ。常人では感じ取れない、高く磨いた者だけが瞬時に得る理解。

 そんな事はもう久しく――何年も無い事だ。


「うむ、“解る”か! 中々の強者と見受けるぞ! なあガンさん!」


 言葉を失う此方と対照、大男は至極楽しげに肩越しを振り返る。


「いや、笑ってねえでちゃんと説明してやれよ。戸惑ってんだろ」


 大男の影からもう一人、呆れたような気配が現れた。こちらもまた、汚れた身形の男だった。一房だけ白い黒髪を括り、鋭い目付きと顔だちをしている。細身に見えるが、しっかりと鍛えられているのも窺えた。この男にも“同じ感覚”を受ける。


「安心してくれ。おれ達は何もしやしねえから」


 ガンさんと呼ばれた男の方が、掌を見せて訳知り顔で頷く。


「どうせ何なんだこいつらさては新世界に送るとか言って体の良い処刑会場だったのかよクソがだったら前の世界できっちり殺しておけよとかなんだよこの大男でけーよとかもしかして住民こんな薄汚いのばっか!?臭そう!とか思ってんだろ?大丈夫だよ今からちゃんと全部説明してやっから」

「いえ流石にそこまでは思ってないですけど!?」

「ははは!でかくてすまない!」


 否定と大男のほがらかな笑いが被る。茶番めいた遣り取りで体のこわばりが少し抜け、自分が緊張していた事を自覚する。


「あ、そう?じゃあいいわ。ひとまず簡単に説明すっからな」

「ああ、ガンさんが全部説明してくれるぞ!」

「ケンは煩えからちょっと黙ってろ。いいか、おれ達も別の世界から“送られてきた勇者だか英雄だとか”だ。おまえもそうだろ?」


 ガンさんという方はちょっと柄が悪いな……大男の方はケンさんっていうのかと思いながら、聞こえた言葉に肩が跳ねる。


「それは……」

「ケンが一人目、おれが二人目だ。おまえで三人目になる」


 黙っていろと言われたからか、ケンは笑顔で腕組みをし頷いている。


「ケンがこっちに来たのがひと月前位、おれは半月ってとこかな。ここにな、天まで届く光の柱が立つんだ。前回それを確認しに来たケンと、送られたばっかのおれが遭遇した」


 身振りで示したのはこの場所。環状に配置された白い柱の中央だ。


「で、また光の柱が見えたんで確認しに来たら今度はおまえが居た。恐らく転送の光なんだろう。ああ、あと……なんか白い世界で言語設定とか装備設定とかしなかったか?」


 ひょいとガンが手の甲を掲げる。自分のとは形が違うが、淡く魔紋が光ってまた消える。ケンの方も黙ったままだが、自分も自分もというように掲げて見せてくれた。同じだ。


「しま、した……」


 おずおずと自分も魔紋を掲げて示す。


「同じだな。ちなみにおれとケンが話してるのは全然別の言語だ。おまえもきっと違う言語を話してるんだろう。共通言語に設定した言葉を自動で翻訳してくれてるみたいだ。あ、設定してねえ言語と文字はその限りじゃねえ」


 そろそろ喋りたそうに、ケンがガンをつつき始める。その様子がなんだか可愛らしい。


「どんな技術かはわかんねえが、まあ有難えよな。今んとこ検証できてんのはそんだけだ。なんだよ、いいよ、喋れよ」

「やった! ガンさん、彼と我々は初対面だし、まずは挨拶と名乗りをするべきではないだろうか?」

「おまえにこのタイミングで礼儀をツッコまれるとは思わなかったよ! けどそうですね!? お先にどうぞ!?」


 やり取りを見ていて噴き出しそうだった。完全に信じて良いかは判らないが、疑う必要も感じなかった。


「……では改めて、俺はケン。そう呼んでくれると嬉しい。ようこそ、心から歓迎する。これからどうぞよろしく頼む」


 踏み出したケンが、柔い笑顔と共に握手を求めてくる。最初に感じた威容はそのまま在るが、もう恐怖は感じない。


「ええと……正直まだ戸惑いとか驚きはあるんですが、……その、こちらこそ、よろしくお願いします」


 言葉はまだ柔軟に出ない。それでもがっちりと握り返した。


「ああ、敬語とか使わなくていいぜ。これからよろしくする仲間なんだからよ」


 ケンに並ぶよう、ガンも近付き片手を差し出してくる。


「おれはガン、もしくはガンナー。好きな方で呼んでくれ。ケンもおれも本名は別にあるんだが、知らねえ奴ばっかだっつっても名乗りたい名前じゃねえし、新しく付け直したんだ」


 それはまるで生まれ直すかのようだと思った。

 前の世界では知らぬ者が居なかった己の名。名乗る事を躊躇わせる、呪いのような名前。きっと彼らもそうなのだと思った。


「だから、おまえも名乗りたくなかったら名乗らなくていい。新しい名前を付けたっていい。好きにしろ。よろしくな、新入り」


 嬉しかった。


「…………じゃあ、ひとまずは新入りで。よろしくお願いしま……いや」


 また、がっちりと握り返す。

 しっかりと二人を見る。


「これからよろしく、ケンさん。ガンさん」


 きちんと笑えたと思う。二人も同じように笑み返してくれたから。


「――よし! 腹が減ったぞ!飯にしよう!ガンさん、新入りさん!」


 それから、ケンの言葉で三人は山を下り始めた。

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