Vtuberになろう! 編

第15話 手を洗おう!

「ハッ! もしや。あの時の声って本物だったってこと……ぐ、もががっ」


 千代がここが教室だということを忘れてとんでもないことを言い出しそうだったので、私は慌てて口を塞いだ。


「ダメだってば。そんな大きな声で。ここ、教室だから」

「……あ。そうだった。ごめん。誰か聞いてない、よね?」


 千代が挙動不審気味にきょろきょろと周りを見回す。千代が急に叫び出すのはいつものことなので誰も気にしていないようだ。

 父が千代の大好きな藤沢和孝だとバレたのは昨日のことだ。どうやらあまりにもショックだったらしくて、頭の中がそれ一色になってしまっているらしい。昨日の今日だから仕方ないけど、こんなところからうっかり周りにまでバレたら大変だ。

 千代はいい子なんだけど、ちょっとうっかりしているところがある。私が気を付けないと。

 千代が突然思い出したらしいあの時、というのは心当たりがあった。むちゃくちゃ心臓に悪かったから。

 千代が言っているのは前にボイチャをしていたときに、父が私の部屋に乱入したときのことだ。テレビの声とか言って頑張って誤魔化した記憶がある。

 あれもかなりひやひやした。今度は千代も同じような気分を味わっているようだ。

 誰にも注目されていないことを確認した千代は、エアー汗を拭いながら安堵の息を漏らしている。


「ふう、大丈夫だったみたい。これからは気を付けるっ」

「うん。よろしく頼むね」


 とは言っても、このクラスに他に父のことを知っている人がいるかはわからない。父の名前を会話の中で出しているのを聞いたことがあるのは千代の口からだけだ。

 それでも、用心に越したことはない。なにしろ、テレビを付けていれば誰もが一度は聞いたことがある声だ。顔や名前まで知っている人は少ないにしても、変に注目でもされるようになったら嫌だ。


「あ、そうだ。天音っちに言わなきゃと思ってたことあるんだった!」

「どしたの?」


 唐突に話題が変わったようだ。これ以上父の話を続けていたら心臓がいくつあっても足りないのでありがたい。


「ええと。あったあった。これ、見て」

「?」


 千代がスマホで何か検索して私に見せる。また父の動画でも見ているのかと思ったけれど、画面の中には知らない男性キャラが映っている。


「誰?」

「あ、声出てないとわからなかった。ほい」


 千代が私にイヤホンを渡してくるので、耳にはめる。

 その瞬間、流れてきた声は……。


「え、この声、新居さん!?」

「でしょでしょ!」


 こくこくと千代が頷く。


「だけど、こんなキャラ見たことない……。ちょ、え? 新しいアニメ、じゃないよね? チェック漏れ? でも、出演してるのは全部チェックしてるはず。それに、このキャラ、3D?」

「やっぱり、天音っちも新居さんだって思うよね」


 うんうん、と千代は納得しているようだが私は何が何だかわからない。


「どういうこと?」


 私が聞くと、千代は説明を始めた。


「Vtuberだよ。最近出てきたばっかりみたいなんだけどね。新居さんにそっくりの声だから、本人なんじゃないかって話題になってるのを見つけてさ。天音っちもまだ気付いてないんじゃないかなと思って」

「Vtuber……」


 さすがにそれはチェックしていなかった。それに、本人も全くそんな活動をしているなんて言っていなかったはずだ。

 集中して声を聞いてみる。もしかしたら、ただのそっくりさんかもしれない。ちゃんと聞くと実は違ってた、なんてこともある。

 疑いを込めて聞いてみるけど。

 この高さ。声の伸び。はしゃぎっぷり。

 それに……、この私の心をぎゅっと鷲掴みにしてくるような、成人男性なのに滲み出ている可愛らしさ!

 クールなキャラをやっているときもめちゃくちゃかっこいいんだけど、可愛い系のキャラをやっているときのこの甘々感。プライスレス。


「……新居さんだ、これ」

「なるほど。ファンが言うなら本人なのかな」

「ありがとう、ちーちゃん。言われなかったら見逃すとこだったよ! 帰ったら動画全部見てみる!」


 持つべきものはオタクな友!

 私は、がしっと千代の手を取る。それから、ふとあることが気になった。


「ちーちゃん、手、洗ったよね?」


 手を掴んでから気付いた。

 昨日、手洗わないとか言ってなかった? でも、別にべたべたとかはしてない。


「え? もちろんだよー。大丈夫、ちゃんと洗ったから。いやー、ビニール手袋とかつけてお風呂入ろうかと思ったらお母さんに止められたわ」


 あっはっは、と千代が笑う。

 本当にそんなことをしようとしていたのか……。でも、ちゃんと洗ってくれていてよかった。


「それにしても、まさか新居さんがVtuberしてるなんてびっくりだよ」

「ね~。公式では何も言ってないから、本人かどうかってネット上でもざわざわしてるよ」

「そうなんだ」


 確かに、他にも実はあのVtuberがあの声優さんなんじゃないか、とかそういう話が出ているときがある。でも、まさか新人でもなくベテランの新居さんがそんなことをしているのは知らなかった。

 今度家に来たとき聞いてみよう。

 私が気付いたことにびっくりして喜んでくれるかもしれない。父がまた新居君ばっかりとか言い出しそうだけど。

 そういえば、昨日は千代が帰った後も私の友だちが遊びに来てくれたのが本当に嬉しいって涙ぐんでたっけ。

 本当に親バカなんだから。全く。

 なんて思っていたら、


「でさ、私ちょっと思ったんだけど」


 何故か千代がひそひそと小声で耳打ちしてきた。また父の話だろうか。父はVtuberやらないの? とかかもしれない。

 だけど、


「天音っちもVtuberやってみない?」

「!?」


 あまりにも予想外な斜め上すぎる言葉に私は絶句した。

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