第11話 父、再び登場

「私、もう一生手洗わない!」


 千代が握手会に参加した人のテンプレみたいなセリフを言っている。

 私たちは父のイベントが終わった後、会場のアニメショップを出たところだ。


「本当に夢みたいな時間だったよ! ああ、藤沢さんがさっきまであんな近くにいたなんて……。同じ空気を吸ってたなんて……。藤沢さん、本当に存在してたんだね。ああ……、同じ時代に生まれてよかった」


 千代はふわふわした足取りで、隣で見ていても夢心地と表現するのがふさわしい様子だ。会場へ向かうときに緊張しまくって周りが見えていないのも怖かったけど、今もかなり危なっかしい。


「あのさ、ちょっとゆっくり落ち着いてから帰らない? そこら辺で休憩してさ」

「そうだねっ! もう少しこの余韻を語り合いたいし!」


 私の申し出に、千代はこくんと頷く。

 正直、ちょっと時間を潰してから帰りたい理由もあった。

 女子高生にそれほどお金があるわけでもないので、カフェに行ったりするんじゃなくて自販機で何か飲み物を買ってどこかのベンチでおしゃべりするってことだ。

 デパートの屋上にある休憩所に私たちは向かった。結構人は多いけど、二人で楽しくおしゃべりするには賑やかなくらいでちょうどいい。


「あー、本当によかった。よかった。もうそれしか言うことない。(語彙力)」


 幸運なことに空いていた席に腰を下ろして、自販機で買ったジュースを飲んで一息ついた後も、千代は興奮が冷めていないようだった。


「未だに手が震えてるよ。握手してくれたときの藤沢さんの微笑み、一生忘れない!」


 千代が目をキラキラと輝かせている。


「私もだよ」

「えっ! 本当? 天音っちも緊張してたのかあ」

「そりゃそうだよ」


 千代とは別の意味でだけど、そんなこと言えない。

 父と握手だよ!? あそこまで近付いたら、さすがにバレないかめちゃくちゃ不安だった。

 目深に被った帽子のおかげで顔は見えていないと思うけど。

 私と握手したとき、父の声のトーンは他の人に掛けているものと変わらなかった。他のファンと同じように、両手で私の手をしっかりと包み込んでゆっくりと握手していた。

 ただ、他のファンは『がんばってください』とか、色々言っていたみたいだけど私は何も言わなかった。さすがに声を出してしまえば絶対にバレる。ファンにしては変だと思われていただろうか。それとも、緊張しすぎて声も出せないと思われていただろうか。他にもそういう人はいたみたいだし、きっと大丈夫だ。

 とにかく、バレずに無事に終わってよかった。

 落ち着いて振り返ってみると、父はファン一人一人に、すごくゆっくりと時間を取って接していた。他の人の握手会は行ったことがないからよくわからないけど、我が父ながらファンに誠実だなと思ってしまった。

 ファンが色々と役についてとか、好きですとか言っている言葉ににこにこと応えて会話していた。

 ファンへの態度を見ているだけで、父が人気あるのもわかった。


「ああ、もっと話したいことあったのに、緊張して『がんばってください』しか言えなかった……」


 千代はぐぬぬとペットボトルを握りしめている。


「みんなよく話しかけれるなあ。はあ。でも、会えただけで最高だった……」

「よかったね」


 ここまで嬉しそうな千代を見ていると心からそう思う。


「ついてきてくれてありがとう! 天音っち!」


 千代は、がしっと私の手を握った。




 ◇ ◇ ◇




「ちーちゃん、本当に気を付けてね。ふらふら歩いてたら危ないからね」

「大丈夫だって。天音っち、今日はありがとう!」

「じゃあね!」

「うん。また明日学校で!」


 私は電車の座席を立って、千代に手を振った。千代は降りる駅が別で、私の方が下りるのが先だ。

 ホームに降り立って私は足早に進んだ。一応時間はずらしたつもりだけど、万が一ということがある。

 階段を下りて改札へ向かおうとしていたとき、


「天音!」


 私の名前を呼ぶ声がした。

 この声は……。私は振り向く。

 父、だ。

 せっかく時間をずらしたと思ったのに、どうして帰りが同じ時間になるの!?

 電車は発車したようだし千代に見られなかったのが救いだけど。


「同じ電車だったのか~。待っててくれれば一緒に帰ったのに」

「!!?」


 私は言葉を失った。


「待つって、何を……」

「何って、しらばっくれてもわかってるぞお。天音、お父さんのイベント来てくれてただろ? いやあ、平静を装うのが大変だった大変だった。可愛い娘が見てくれてるんだもんなあ」


 ははは、と父は笑う。

 バレてたーーーーーーーーー!

 変装の意味無かったーーーーーーーーーー!


「ん? もしかして、その格好は気付かれないようにと思ったのか? そんな格好でお父さんがわからないわけないじゃないか。バカだなあ。あ、そこまでしてお父さんのかっこいいところが見たかったんだな? 照れるなあ」

「……」


 あれだけバレないようにと頑張っていたのはなんだったんだ……。

 私はがくりと肩を落とす。

 まあ、千代に気付かれなかっただけよかったと思おう。


「いや、でもお父さんも一応プロだから。ファンのみんなの前では娘に気付いたからってデレデレするわけにはいかないからな。ハッ! ま、まさかっ! お父さんが気付いていないと思ってさみしかったんだな!? ごめんよ! ごめんよ、天音~。ほら、今から一緒に帰ろうな。小さかった頃みたいに手を繋いでもいいんだぞ」

「いや、ここ駅だから。恥ずかしいから止めて」


 なんて、恥ずかしすぎる親子コントをやっていたら、


「おーい! 天音っち-!」

「!?」


 今度は、もうここにはいないはずの千代の声が私の名前を呼んだのだった。

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