第10話 お父さんは、許しませんっ!

「ねえねえ、今さ」


 心臓が口から飛び出そうになっている私に、千代が興奮気味に話し掛けてきた。


「藤沢さんと目が合っちゃったんだけど……」


 ということは、全員のファンが私と目が合っちゃった! と錯覚させるような視線運びをしていただけ、かな。

 ふー、危ない。

 とにかく目立つ行動を取らないようにしよう。

 無駄にあたふたしているうちに、父のトークが始まった。会場内がいつの間にか静かになっている。父が登場したときはすごい歓声だったのに、今は父の言葉を一言も聞き漏らすまいとしている圧が感じられる。

 私は場違いだ。

 でも、これを新居さんのトークショーだと思えばめちゃくちゃわかる。どんなことを話すか一言一句聞き漏らしたくないと思う。

 いや、ここにいる人たちはそれ以上だ。生で大好きな声優に会えるなんて、私みたいな特殊な例をのぞいたら奇跡みたいなものだ。

 大きいイベントならあるかもしれないけど、こんな狭い空間で一緒に過ごせる時間なんか今後あるかどうかわからない。

 千代はもう前のめりになって父の話に集中している。

 私も周りなんてうかがっていないで、前を見ていないとここに来ている人間として怪しいに違いない。

 けど、顔を上げて父のことを見ているとバレるかもしれない。それはマズい。絶対困る。

 なんという難しいミッション。

 あの父のことだ。私に気付いた途端、嬉しそうに手を振って名前を呼んできたりするかもしれない。娘が会場に来ているなんて狂喜乱舞しそうだ。


『お父さんの仕事、そんなに見てみたかったのか~。言ってくれればチケットなんか用意してやったのに。全くしょうがないなあ』


 なんて、にっこにこで言いながら。

 そんなことになったら、会場内の視線が私に集まって……。

 考えただけで恐ろしい。

 とりあえず、ギリギリ顔が見えないようにしてなんとなく視線を父に向けている風にしてみる。

 それにしても、父のトークショーにこうして来ているのはなんだか不思議な気分だ。逆授業参観みたいな。

 父は授業参観に来れるときは絶対に来て、私のことを嬉しそうに見守っていたっけ。仲よさそうに母と並んで。高校ではそういうの、無くてよかった……。

 運動会の時もだ。小学校の運動会の時には、めちゃくちゃ嬉しそうに私のことを応援しながら動画を撮っていた。周りにも同じようにしている親が大勢いたから、似たような歓声にかき消されて正体がバレなかったのが救いだけど。中学校の体育大会は親なんてほとんど来ないからと、来ないように何回も言ったんだった。

 それなのに、今こうして逆のパターンになっているのは変な感じだ。

 ぼんやりとそんなことを思いながら父のことを眺めていたら、


「藤沢さんには娘さんがいらっしゃるんですよね」


 急に司会のお姉さんが父にとんでもない話を振った。一瞬硬直してしまう。

 ほとんど父のトークは聞き流していたのだが、自分に関係ある単語を出されては思わず反応するに決まっている。


「はい」


 と、父はにこにこと答えている。

 女性ファンからすると結婚していることすら複雑なんじゃないかと思う。でも、それについて父は結婚していることも、娘がいることも公言しているから大丈夫だと言っていた。大切な家族なんだから秘密にしている方がおかしいと。

 思い出したら、ちょっと恥ずかしくて背中がむずむずしてきた。

 こんなところで私の話を振るとは。……やめて!


「今回は素敵な男性が大勢出てくるお話ですが、藤沢さん。ご自分の役も含めて娘さんと付き合ってもいいな、と思うキャラクターはいますか?」


 ちょ! お姉さん!

 なんて質問をしてるんだ!


「え~、娘とですか? そうですねえ」


 父が本気で悩んでるじゃないか!


「う~ん」


 父は頭をひねって唸った後、


「お父さんは、許しませんっ!」


 キャラ用に作った声でそう言った。それから、普段の声で、


「そんな簡単に娘をやれるわけないじゃないですか~」


 あははと笑う。でも、目が笑ってない。

 父の言葉に会場内からどっと笑いが起きる。隣で千代も笑っている。お姉さんも笑っている。

 だけど、私にはわかる。この発言、本気だ。

 思わずきゅっと縮こまってしまう。それから、きょろきょろと周りを見回してしまう。

 まさか、みんな私のこと見てないよね? その娘が私だってこと、バレてないよね?

 みんなが私を見ている気がしてしまう。

 バレたらやばい。私まで前に引き出されて、紹介なんてされたら恥ずかしさで死ぬ。顔なんて晒されたら、もう外を歩けない。学校にも行けないし、千代とも顔を合わせられない!

 そんなの嫌だ! 困る!

 不安になってしまったけど、誰も私なんて見ていなかった。

 周りの人の視線は父に釘付けになっている。みんな父に夢中みたいだ。父の言う娘がここにいるなんて、考えてもいなさそうだった。ほっと胸を撫で下ろす。

 それにしても、大声で何を言っているんだ、父は。

 将来私が結婚するとか言い出したら同じことをやるに違いない。けど、父のことだ。最終的には私が幸せになるのならと涙を飲んで言いそうだが。というか、こんな私が結婚できるとは思えないけど……。

 とにかく! こんなところで親バカ全開の発言やめて欲しい! 恥ずかしい! 穴があったら入りたい! そして、そこに引きこもりたい!!

 全く、心臓に悪すぎる。

 しかし、そんな私に追い打ちを掛けるように、司会のお姉さんは告げたのだった。


「では、そろそろ握手会に移りたいと思います」


 握手会! まだ、それがあったんだった……。

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