第38話 【フリードside】覇王と弥生と風のドラゴン族

【――フリード視点――】



 俺は食事をする際、民や従臣や討伐団のメンバーが萎縮してしまうだろうから、今夜の夕餉もみなと離れて摂ることにする。

 先ほどの弥生が「フリード様も皆とご飯食べたら良いのに」と言いシュンッとなった顔が浮かび胸に鋭く甘い痛みが奔る。……俺を気遣い心配げにしていた。

 あいつの顔がちらつくと、どうも調子が狂って困るもんだ。


 俺は簡単に造った天幕を二重にしたテントで地図を一人凝視する。


 弥生の姉とは実は偶然再会したわけでもない。調査していた斥候から風のドラゴン族が助けた人間の詳細や噂を聞いていた。期待を賭け切望をさせないためにも、弥生自身のその目で見て確かめたほうが良いと思った。

 また、――俺も、だ。

 弥生の姉の葉月がドラゴンソードマスターだとすると、弥生と葉月の母親が『癒やしの光の聖女』であるのはほぼ間違いないと言えそうだ。


「……考えたくもないが、隣国の消えたエミリア姫が『癒やしの光の聖女』の二つ名だったな。……エミリア姫は年齢的にも弥生たちの母と同じ頃ではないか……? そして……」


 俺は皇族にしか見ることの許されていないドラゴニア聖道魔導書の一番新しいページを開く。記したのは俺の父だ。炎帝及び加護を受けた皇族が魔力を注ぎながら書き記す。

 通常ドラゴニア聖道魔導書は豆粒ほどの大きさにしてあり、万が一他人に奪われることになりそうな危機に瀕すれば使役しているドラゴンに喰わせるしきたりになっている。普段は扱う場は無い。

 魔導書は、その存在自体が記憶で記録した魔法が力になる。炎帝の強烈な加護と紋章印の縛りの半分を受け継いでいた。

 俺が死んでも、魂が天に召される前に紋章印の力を間際に吸い取れる。

 現在、紋章印は俺に子供が居ないので次期継承者がセイロン、そして第三継承権は炎帝おれの加護を分けている弥生になった。

 弥生には打ち明けてはいない。

 無駄に彼女の心に負担をかけるべきではないからな。

 俺の【運命のつがい】である彼女に炎帝の紋章の力を分け与えたのは気まぐれでもなんでもない。将来、彼女が俺以外の男と結婚し子供をもうけても、その加護は受け継がれる。……俺が死んだ後も弥生や子孫を護ってやれるはずだ。


 姉の葉月と会って、弥生は偶然この世界にやって来たのではないと痛切に感じた。

 これは必然だ。

 俺と彼女のあいだには確たる縁があったのだ。

 弥生も葉月も、その価値を知る者たちが利用しようと狙ってくるだろう。


 そして、オリランツ教団に特別な力が手に入らなければ、――二人は殺される。

 葉月を排除しようとしたのは、『癒やしの光の聖女』の娘が奴らにとって不安因子だからだ。


 母親は『癒やしの光の聖女』の加護力を娘に幾ばくか渡している。だから光を放ってドラゴンソードマスターと癒やしのドラゴンアニマルテイマーの力が覚醒したのだろうな。そっちは女神に授かったのではなく遺伝した潜在能力だ。弥生の高等料理人の鑑定スキルが転移の祝福か……?


 ――もしも。……いや、たぶん。あの隣国の姫が、弥生と葉月の母親ならば、……早いとこ救出しないと事態は最悪の結末を呼び寄せることになりそうだ。


「弥生は二つの世界の架け橋となるべく、と言わんばかりだな」


 普段、姿を現しもしない【転生の女神】が恨めしくもあり、感謝したくなる。

 弥生に出逢えたことは最もたる良事であり、俺の人生を間違いなく変えた。

 暗黒の暗闇から手を伸ばし俺を救い出す光――、それが弥生。

 こんなに愛おしい想いを抱えてしまうことを知ってしまい、もう知らなかった俺には戻れない。

 弥生を好きになって、文字通り生きてきた世界が一変した。

 あいつは俺に生きる意味と活力を与える。

 この胸を騒がし焦がすときめき――、恋と愛とを知ってしまった俺には弥生を失うことが最大の怖れとなった。


 守りたいものが増え、しくじるわけにはいかない。

 自暴自棄に破滅を呼ぶような振る舞いは控え、慎重に炎帝の力を振るおうと誓う。

 あいつのために――。

 ただ、一人の女の幸せのために。

 これから先、自分が弥生の隣りを共に歩く運命ではないとしても、彼女が心から笑い暮らしていけるよう、最善を尽くそう。


 誰も好きになったことのない俺だ。

 弥生が、なにもかも初めての女で。この止められない溢れ出る感情も、抱きしめ口づけたい欲望も衝動も、すべてが体験したことのない熱さを伴って。俺の道たる烈情は弥生が引き起こす。弥生を好きになった、ただそれだけで、俺の黒く仄暗い澱が浄化されていく。

 恋愛感情とは無縁の人生を送ってきた俺には、野望や欲をまみれさせた陰謀の一端を担う女ばかりが寄って来た。俺にとって女という異性とは警戒すべき対象でしか無かった。

 弥生の無邪気さにほだされる。

 なにもかもが相手でいっぱいになって、持ち合わせる感情が爆発して全身を駆け巡っていく。

 内側に秘めた心が満たされていく。

 弥生に出逢うまでは、生きていてもあれほど日常が虚ろで果てなく空っぽな夜の砂漠の谷底にいた俺に、弥生は突如出来たオアシスのように安らぎを与え渇きを癒した。あいつの笑顔ひとつだけで満ち足りていく。

 ただ炎帝としての任務をこなすだけの男の空虚な器に、彼女の清き愛が注がれた。

 ――失うものか。

 もっと弥生の笑顔が見たい。

 彼女を喜ばせたい。

 弥生を守り、あいつの願望をいくらでも叶えてやりたくなった。

 これが、恋なのだと愛なのだと俺は知った。




 いくつもの並行世界があると聞き及ぶ現世。

 采配は神の領域であれど、その運命を切り拓くのはいつだって、実際に生きている我々に託されているのだろう。


 そもそも【神】とはなんだ?

 俺は究極論に発展しては、答えの出ない問答に嫌気が差していた。


 加えて――。

 あの風のドラゴン族の若長フーリュンの生意気で挑戦的なエメラルドアイが脳裏をかすめる。

 ふつふつと怒りが地中のマグマ火山のようにたぎっている。

 俺の弥生にちょっかいかけるとは、……ふざけるな。

 まったくもって、――心底腹立たしい!

 嫉妬には限界がない。


 奴は風のドラゴンとして相当な覚悟でもってということか、もしくはただの阿呆か。

 いいや、あの若長はかなりの食わせものであり、策士に違いない。

 根底には自分のドラゴン族を守るのだという強い意志とたぎるものが、あの者には流れている。

 多少、自分と近しい感情。

 課せられた使命と責任、我らは領民を統率し束ね守る立場が同じだということだ。

 そして、俺達はどうしたって異世界からやって来たあいつに惹かれてしまう。 

 宿命さだめと言わざるを得ない。

 ドラゴンの血は、ドラゴンの冠を掲げる娘たちを欲してしまうようだ。

 


 食事前の隙間に俺は執務をこなしながら時折り思いに耽け、斥候から秘密裡に届けられた弥生と葉月の母親に関する報告書を読んでいた。


 突如、紋章が焦げるように熱く、鋭く痛んだ。

 ――――ッ!

 俺の魂に刻まれ込まれた炎帝の印が、燃えるように熱い。


 紋章印は、弥生の感情の助けを乞う声や負の感情を感じて、知らせて来る。


「フッ、……面白い。あの野郎、宣戦布告のつもりか?」


 弥生と風のドラゴンの気配が接近して二人が互いに親しさを通わしていくのを、肌と紋章がピリピリと感じる。

 風のドラゴンが弥生を抱き寄せ胸におさめた光景が脳内になだれ込んできて、俺のどこかが豪火で燃えた。

 俺はギリッと奥歯を噛んだ。

 弥生に施した炎帝の紋章は俺と否応なく伝わり合っているから、彼女に起きた【異変】を知らせる。




 俺は、弥生とフーリュンのを見て【知らせ】が予想通りであることを目の辺りにした。

 弥生が俺以外の男に腕に抱かれている――、この事実が受け入れがたかった。

 ぐらぐらと煮えたぎる嫉妬心で、俺の握った拳が怒りで震えてきていた。


 救いなのは、弥生には同情と困惑の表情があること。

 受け入れていないのが、明らかに見て取れる。

 憐れみが愛情に変わることもあるものだろうか?



 若長フーリュンは俺を焚きつけるために試したと言ったが、演技なものか。

 風のドラゴンの証の緑宝石エメラルド色の瞳が、弥生を好ましく思い慕う光で揺らいでいる。


 セイロンといい、このフーリュンといい、俺が気を緩めればすぐさま弥生は誰かのものになってしまうだろうな。



 フーリュンから弥生を取り戻して、俺は彼女を抱き締めた。


「フリード様? ……ごめんなさい。怒ってる?」

「怒ってなんかないぞ。ああ、お前にはな」


 誰にもコイツを渡すものか。

 他人にやるぐらいならいっそ自分だけのものに……。

 いや、だめだ。なんて俺は自分勝手なんだ。


 それよりむしろ。

 弥生に危害が及ぶようならば、そんな世界に傾く反勢力は必ずや潰してやろう。




 弥生を守り元の世界に帰すために、この世界の摂理をこの俺が、ぶっ壊してでも変えてやる――。

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