第40話 真夜中のアイスクリーム

 即席の野営基地での晩、私はふと目が覚めてちょっと夜風に当たりたくなった。

 あと、星が見たいと思ったの。

 外に出ると、急ごしらえの簡単なテーブルとベンチがある場所まで歩く。


「あれ……?」


 そこに人影が一つあって。

 ――あっ、あれって……。

 の人は牧草地の柵に寄りかかって、星空を仰いでいる。

 先客の姿に、私の胸がどきんと弾む。


「フリード様!?」

「……弥生、か」


 フリード様だ!

 私の声に振り向いたフリード様は、優しく微笑んだ。

 う〜っ、フリード様ったら笑顔が神々しい。

 ――フリード様、嬉しそう……?

 私に向けてそんな笑顔を見せてくれるのが、単純に嬉しい。


「どうしたんですか? フリード様も目が覚めちゃったの?」


 フリード様と私、お互いに近寄って。


「そうだ。弥生、お前もか?」

「うん。一度起きたら少し目が冴えちゃった」


 私が背の高いフリード様を見上げ、じっと見つめると、彼が照れた。


「弥生、そう上目遣いに真っ直ぐに見つめるな。……恥ずかしいだろうが。それにお前が可愛すぎて、俺はどうにかなっちまいそうだ」

「ふゃいっ!? かっ、可愛すぎてって……。フリード様、私のほうが恥ずかしいです」


「弥生は姉に無事再会できたことだし、嬉しすぎて心が高揚しているのかもしれんな」

「高揚……そうですね。うん、フリード様。私ね、嬉しかったし、お姉ちゃんの変貌ぶりというかいつも以上の勇ましさに興奮しました」

「そうか。葉月はいつもあの調子なんだな」

「はい、パワフルですよ〜。お姉ちゃん、いつだって元気で周りを励ましてくれるし、すごく頼りになります。……フリード様?」

「弥生、ちょっと抱きしめても良いか?」

「えっ……。ああ、はい」


 答えて、返事の声が途中でもう……。たちまちフリード様に抱きしめられてしまった。

 抱きすくめて。私のすぐ近くでフリード様の切なげで深い溜め息がする。


「弥生が足らない……。俺、もう限界……だ」

「えっ、ええっ! フリード様〜、ちょっと……!」


 私の鎖骨にフリード様の唇が当たるとちゅっと軽いキスの音がした。

 ほんのりとした熱さ……これは加護のキスじゃないみたい。


「お前は世界一可愛い……」

「ふえぇっ!」


 胸がきゅっと苦しくなる。

 甘いフリード様の声が耳元で囁かれると途端に動けなくなってしまう。


「好きだ。お前が好きだ、弥生」

「そ、そそそそんな……っ。ど、どーしたんですか。次々に甘々で攻めてこないでください。心臓が持ちません」

「俺が好きなものを好きと正直に言って、お前にとって何か都合悪いか?」

「悪くはありませんが……、ドキドキで腰が抜けそうです」

「では、ちゃんと支えてやらねばならんな」


 ぐいっと引き寄せられると、フリード様ともっと密着してしまう。

 どきどきどき……。

 心臓が高鳴って、壊れそう。


「そんな火照った顔、俺にだけしか見せてはならんぞ」

「火照った顔……?」

「ああ、そうだ。お前の特別な表情……。思わずキスしたくなる」

「ひょえ〜っ。だっ、駄目です。いけませんよ? フリード様」

「なんでだ?」

「……だって。もしかしたらうちのお母さんがフリード様と敵対する隣国のお姫様かもしれないんでしょう?」

「ああ、まあ。そうかもしれんが、エミリア姫はその昔異世界からやって来た勇者と駆け落ちしたんだ。勇者はドラゴニア皇国を俺の父と共に救った英雄だ。出生はどうであれ、自国を棄てエミリア姫がドラゴニアに亡命したとの話もある」


 まだ信じられない。

 お母さんがこっちの異世界の生まれで聖女で、一国のお姫様……だったの?


「フリード様。私のお母さん、ぜんぜんお姫様っぽくないですよ。すごく優しくってちょっとおっとりはしてますけど、普通のお母さんです」

「……そうか。なあ、弥生。セイロンの忘却術の話は覚えているな?」

「はい、すごく難しくって、出来る人が少ない闇魔法ですね」

「そうだ。おそらく勇者が自分の世界に帰る時に忘却術を誰かがエミリア姫に合意の元にかけたか、魔法をかけられてから渡ったのではないかと思うぞ。――お前の父親の名は?」

「お父さんの名前……ですか?」

「ああ。名を確かめたい」


「「竜騎りゅうき」」


 私とフリード様の声が重なる。

 えっ? なんで、フリード様が私のお父さんの名前を知っているんだろう。


「食事の席で肝心なことを話し合わずにいたことはすまない」

「ううん。だってそれはお姉ちゃんが急に風のドラゴンの巣に帰るって言い出したからで、フリード様のせいじゃないよ」


 お姉ちゃんは風のドラゴン族と魔法契約を結んでいるドラゴンソードマスターだ。風のドラゴンのフーリュンがお姉ちゃんにドラゴンの赤ちゃんたちを今夜中に巣に帰還させたいと言ってきたから、出掛けていってしまった。


「えっとあの〜、……うちのお父さんがフリード様のお父様と一緒に戦ったんですか?」

「ああ、そうだ。皇族に継承されてく魔導書にはそう記されている」

「お父さんが勇者って……。あのっ、なんか全然想像つかないんですけど。だって、父は勇ましいなんて程遠い感じで。いっつもにっこり優しく微笑んでて。美味しい料理を作ってくれたり、絵本を読んでくれたり。おおよそ、そんな魔物と戦ってドラゴンやフリード様のお父様と勇敢に戦うって感じには見えないんですよ。なんなら背が高くて細くってひょろひょろっとしてたし……」


 抱きしめていた腕をほどいて、フリード様が私の肩を掴んで、ぐいっと顔を近づけた。

 なななっ、なに? お互いの顔が近いです、近すぎですっ!


「勇者リューキもエミリア姫と一緒に忘却術をかけられたのかもしれん。俺が思うに魔法も魔物もいない弥生たちの住む世界では、ここの記憶は生活の妨げになりはしないか? それに魔法や魔術を覚えていては悪用される危険も及ぶかもしれんしな。お前たちを守るため、ここでの記憶を封じ込めたと俺は考えている」

「そんな……。じゃあ、私とお姉ちゃんって二つの世界のどちらもが起源ルーツってっことですか?」

「そうなるだろうな。お前がここに来たのは偶然じゃない」

「偶然じゃないって?」

「果たすべき使命があるのではないのか? それがなんなのかは分からないが、とにかくお前の母親を見つけ出さなければならんな」

「……はい。あの」

「んんっ? なんだ」

「お母さん……。うちの母はこちらに来て記憶を思い出したと思いますか?」

「いや。まだだろうな。思い出していれば、奴らはドラゴニア皇国を奪い、俺を殺しに来る。『癒やしの光の聖女』の魔法力は回復と同時にドラゴンの懐柔をうながす波動を出すことだ。エミリア姫が言い伝え通りの力を取り戻したなら、ドラゴンたちは向こうに付くことになるからだ」


 風のドラゴン族やアレッドおじいちゃんもまだ【正気】だった。

 フリード様の説明によると、ドラゴンたちは自我を失い、『癒やしの光の聖女』の言うがままの操り人形みたいになるという。


「強すぎるドラゴンの力は人間世界を脅かす。それに俺やセイロン、ドラゴニア皇国にはドラゴン族の血を引いてるものが少なからず混じっているんだ。遠い遠い昔、古えの時代にはドラゴン族の姫とドラゴニアの王の間には婚姻関係を結んだ世代があった。単に愛し合ったか、友好の証かは知らん。文献では感情のそこまでは書かれてはいない。とにかく、ドラゴンの血を受け継ぐ俺やセイロンも『癒やしの光の聖女』の魔法の懐柔対象に入りうるということだ」

「それってもし私のお母さんが本当に『癒やしの光の聖女』でフリード様と敵対している勢力に悪用されてしまったら、フリード様たちが操られてしまうってこと〜っ!?」

「ああ、そうなるだろうな。俺は炎帝だから多少は紋章で抗える可能性があると思いたいところだが……。分からん、まったくの未知数だ」


 私はようやく、ことの恐ろしさともしかしたらの可能性の重大さに気づいた。

 怖さに、ぐっと喉が詰まった。

 フリード様は分かっていたんだ。……早くから、危機を感じ取っていたんですね。


「ドラゴニア皇国を手に入れてしまえば、脅威のドラゴン族が絶命させられることもあるんだ。奴らはドラゴンを恐れ、同時に憎んでいる。『癒やしの光の聖女』の存在、それは人間世界だけに及ぶ火種になるだけではなく他の種族にとっても見過ごせない争いの発端になっていく。『癒やしの光の聖女』の魔法の発動を止めねばならん」


 もし、自分の世界に帰れなかったら、お姉ちゃんとは家族みんなで洋食亭でもやってのんびりスローライフを楽しもうよなんて呑気なことを言っていた。

 そんなの浅はかな夢で、とうてい叶わないことだ。


 だって、だって……!

 自分の大好きな人たちをこの世界を、私のお母さんが傷つけ破壊してしまうかもしれないんだよ?


 私はその重圧にぐるぐるぐるっと目眩を起こしそうだった。


「フリード様、アイスクリームを食べましょう」

「むっ?」


 私の提案にフリード様の美貌が驚いたような呆れたような表情を浮かべた。

 そりゃあそうだろう。ドラゴンを脅かす『癒やしの光の聖女』問題と甘いスイーツとは脈絡ないもんね。

 

「アイスクリーム? それはなんだ? そもそもどうしてこんな深刻な話をしていて煮詰まっている時に、弥生は何かを食うとかいう突飛な発想が出るんだ?」

「こんなときこそ、甘くて美味しくって、冷たいアイスクリームの出番です」


 明日、お姉ちゃんの好きなクレープを作って、風のドラゴンの巣に行って差し入れにするつもりだった。バニラのアイスクリームをクレープに入れる具材の一つとして準備していた。


 真夜中のアイスクリームを味わいながら、フリード様とお話しようと思ったの。

 だって……これからきっと辛いことが起きるかもしれない。

 少しぐらい、甘い思い出を作ってもバチは当たらないと思うんだ。


 私はフリード様もお母さんも大事だ。

 どちらかを選ばなくっちゃいけない場面になってしまったって、選ぶことなんて出来ない。


 敵対する勢力同士に、フリード様とお母さん。

 ……助け出した時、お母さんがオリランツ教団の手先になっていたら、全力で説得しよう。


 今夜はこの満天の星空のもとで甘い背徳のアイスクリームを食べて味わって、私はあの時フリード様と二人っきりでこんな素敵な時間を過ごしたんだよねって思い出したい。

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