第28話 弥生、あーんってして

 フリード様が私とのふたり旅に用意していたのは、黒茶の毛色の艷やかな馬が一頭、角の生えた白色のロバが一頭でした。


 荷物は少ない。

 うん、かなり少ないよね。


 フリード様が言うには、危険な旅だから動きやすいよう身軽な方が良いんだって。


 ま〜、実際は魔法鞄や魔法リュックや小さい魔法トランクに、着替えやら武器やら防具やポーションがた〜っくさん入ってるんだよ。


 心配症のフェルゼン爺やさんやミントさんとバジルさんが、備えあれば憂いなしとあれこれ詰め込んだ模様。


 私とフリード様のために。

 ありがとう、みんなー!



 それにしても、いっぱい収納したって重くもならない魔法鞄はほんと助かる不思議で便利グッズだな〜。



 私は乗馬が未経験なので、ひとまずフリード様が手綱を握る黒馬に相乗りさせてもらっている。私はフリード様の前に座っています。

 密着してるから、ずっとどきどき。


 フリード様が馬を優雅に走らせ、お昼近くになってる。


 野営基地を出てすぐにスライムの集団とオーガの群れに襲われたけど、フリード様があっという間に倒してしまった。

 私が「キャアッ!」と一度叫んでいるうちに……。

 瞬く間、ほんの一瞬であんな怖ろしい魔物たちを的確な剣筋でバシバシやっつけちゃうフリード様って本当に強いんだな〜。


 そう、フリード様は大勢の魔物を倒す時は顔色一つ変えずに……、いや、ちょっと不敵に微笑んでいたかも。その妖艶さにちょっとゾクッとしたけど。

 うはあっ、怖いぐらいの気迫で颯爽と倒してしまったフリード様、カッコいい!


 私はポシェット型の魔法鞄から、軽食としてシュークリームとフルーツサンドをフリード様に差し出す。

 自分で空き時間を利用して、工夫して(ドラゴンのライティくんとアレッドおじいちゃんに火加減をしてもらい)、サンドウイッチ用の食パンを焼いてみたのです。あとはシュークリームのシューも。うふっ、けっこう上手に出来たよ。

 それからクリームはカスタードクリームと生クリームの二種類。

 フルーツサンドにはイチゴとオレンジに桃が入っている。異世界にも桃があるんだよ〜。

 シュークリームはシンプルなカスタードクリームだけのと、苺入り、あとはカスタードクリームと生クリームのダブル使いを用意しました〜。

 食べやすい一口サイズのシュークリームだよ?


「なんだその美味そうな甘味は?」

「シュークリームとフルーツサンドです。そうそう、ランチにはホーンヌー【鑑定済み 牛と同等の生物】のしぐれ煮と焼き鮭のおむすびを用意しました」

「んっ? 弥生、その『おむすび』ってのはなんだ?」

「炊いたお米のなかに具材を入れて握ったものです。おむすびは「おにぎり」ともいいます。私の住んでいる日本という国では大昔から愛されてきた国民食です。お手軽で愛情たっぷりで美味しいですよ。農作業してて合間に食べたり、勉強の夜食とかにもってこいです。私の国では戦の携行食だったりしたようです」

「コメに具材をな。あれは腹に溜まり持ちが良いと聞く。美味そうだ」

「おむすびは数個で満腹感が得られますから。それに中に具材が何が入っているか楽しみだったりしますし。ダンジョンでお宝発掘の気分です」

「ププッ……。お宝発掘ってお前、大袈裟だなあ」

「うっ、フリード様ったらバカにしてるぅ。もぉ、良いじゃないですかー。とにかくおむすびの具材はサプライズです。塩むすびと言って具材の無いのもあるんですよ? おむすび一つとっても創意工夫のしがいがあります。ねえねえ、フリード様! ちょっとしたことでウキウキわくわくなのって楽しいでしょう? 食は食べるのも調理の演出も楽しまなくっちゃ。あとはこれはとっても大事なことですが、生きるための糧として自然の恵みや命をいただくわけですから、感謝しましょう。どこの世界だって一日数度食事が出来ることはわりと贅沢なんです。誰もが恵まれているわけじゃない。ありがたいって気持ちで美味しくいただきましょうね〜」

「うむ、そうだな。弥生、お前は良い環境で育ってきたようだな。お祖母様をはじめ家族の愛情をまっすぐに受けてきたと見受けられる。……ああ、それから俺はお前をバカになんかしてないぞ。ただ食のこととなると特にすごく楽しそうに雄弁に語るお前の顔を眺めているのが俺は大好きだ。本当に好きなんだな、料理が」

「……フリード様。あの『大好きだ』って……」

「照れてんの?」

「フリード様にそんなこと言われたら照れますよ、そりゃあ」

「今日はやけに素直だな、お前」


 すると甘い顔をしたフリード様が私の鼻先をピッと長い指でつまむ。


「ひゃあっ、何するんですかっ! んもおっ、フリード様はどうして隙あらば私をからかうの〜?」

「ふははっ。特に意味はないんだが、そうしたくなっただけだ。弥生が鼻も可愛いから悪いんだ」

「ちょっ、あの……。反応に困ります」

「大いに困っておけ。俺は弥生のその顔も好きだぞ。悲しんだり泣き顔以外なら、可愛いからたくさん見せろ。……なあ、お前の泣き顔は美しいから俺じゃない男には絶対に見せんなよ?」

「ええっ? ……ああ、はい。そうですね、そうします」


 フリード様がゆっくりと微笑んで、私の頭を撫でてくれる。

 こうされてしまうと、私はあったかいもので満たされていく。なにもかもが包まれてしまう。


「甘味、今食わせてくれるんだろ? ずっとお前がこれ見よがしに持ったままやつ。それ食ってみてえんだけど」

「ああっ、はい!」


 フリード様がにっこにこになる。

 大好きだもんね、甘いもの。


 話に夢中になってしまった。


「弥生、食べさせて。あーん」

「はあっ!?」


 私は顔がカーッと赤くなるのを感じた。

 だってフリード様に「あーん」とかされて、照れちゃう。


「俺は馬の手綱を握っているし絶えず魔力探知をかけているから、集中力を途切れさせたくないんだよな」

「魔力探知……?」

「良からぬ邪気や殺気を持った魔物や魔法使いなんかを探っている。俺の炎帝の闘気を周囲数メートルに張り巡らせてるからさ、余計に力を使うんだ。あー腹減ったなあ。だから、弥生、早く食わせて。……あーん」


 フリード様、警戒してくれてるんだ。そんな気を使いながら馬で疾走するとか、どれだけ神経をすり減らし疲れてしまうか私には想像がつかない。


 あーんって口を開けて待つフリード様にちょこっと見惚れながら、私はまずはカスタードクリームだけのシュークリームを彼の口に向かっておずおずと差し出す。


「きゃっ……! わっ、私の指まで……」

「ふっ。うん、美味いっ」


 フリード様はシュークリームを掴んだ私の指に付いたクリームにちゅっと口づける。

 たちまち私の全身に熱さが駆け巡った。

 体中の血が沸騰するみたいにあったかくなったみたい。


「もぉ……フリード様、そんなにしょっちゅう加護のキスをされてしまうと、私どきどきで体も心臓も持ちません!」

「甘いシュークリームを食わせてくれる弥生へのお礼だ。すっげえ美味いよこれ。ぷりんの次にだな」

「フリード様は本当にプリンがお好きですね。美味しいシュークリームもプリンには勝てないかぁ」

「弥生が作ってくれたぷりんは衝撃の美味しさだったからな。あれを超えるものはこの世にはあるまい」


 次々に甘味をご所望のフリード様。

 どんどん平らげてしまう。


「お前も食え。あーん」

「えっ、ええっ、良いです。自分で食べますって」

「遠慮すんな、弥生。あーんって口開けてみな」

「じゃ、じゃあ、う〜んっと一個だけ。……あーん」


 フリード様が差し出すシュークリーム……。

 私の口の中にシュークリームが彼の指によって運ばれ、口に含むと甘く芳醇なバニラビーンズの香りがした。


 すっと、私の唇のはしをフリード様が指でなぞる。


「フリード様……?」

「お前の口の横にクリームがついてただけだ。……弥生はなんか期待したか?」

「期待? 期待なんかしてませんっ」

「おかしいなあ、今日はお前が素直だと思ったんだが、前言撤回だな。……思ったこと言ってみろよ?」

「イジワル」

「んっ?」

「私はフリード様が意地悪だって言ったんですぅ」

「この世の中、言わなきゃ伝わらんことも多い。まあ、弥生の考えていることは結構俺には分かってしまう気はするがな。でも口にして、言葉にしてもらいたい。その方が良いこともあんだろ。勘違いやすれ違いも最小限ですむ」

「ううっん。フリード様には私の気持ちが筒抜けで伝わっているのに、わざわざ言葉にするんですか? 恥ずかしいんですけど」

「だって聞きたいじゃないか。まず、お前の口から奏でられる小鳥のさえずりのような声がたまらない。弥生の照れながら語る甘いセリフや笑い声に気分が高揚して俺は存外幸せな心持ちだ。弥生にはな、俺を好きだと絶えず言わせていたいって欲が出るぞ。お前から聞くと甘すぎてこうゾクッと煽られ……劇的な甘さにドキドキと胸が高鳴り、くらくらする。――だがそれは、そう感じるのはお前からだけだ。弥生、お前は俺の特別。お前に味あわされる感情はどれもこれも悪くない。だがな『フリード様』って弥生に呼ばれるたびに胸がきゅっとなるのは、回数が多すぎて心臓に悪いな。もっとお前の可愛さに己を慣らさないとならんな」

「……っ!」

「どうした? 真っ赤に熟れた林檎みたいな顔して黙りこくって」


 だっ、だって〜。

 次から次へと、お砂糖にハニーメープルとチョコレートシロップをかけたみたいに甘々なセリフがフリード様から告げられると、もう恥ずかしくて恥ずかしくってたまらない。


 男の人から、こんなこと言われたことなんて初めて尽くしだし。

 自分にそんなに自信がないから、フリード様の甘々攻めにキャパオーバーでプチパニックだ。


 大人の女性で恋愛上級者なら「あら? そう? ありがとう。自分の魅力は知ってたわ」とか言うのかもしれないけど、そんなの私には無理だし、言えないし。セイロン様と付き合うような手慣れた女性だったらあしらったり恋愛を愉しむのだろうけど。


 こんなすごい褒め言葉や甘々で蕩けるような余裕で受け流せない。

 私は恥ずかしすぎて! 次の言葉が紡ぎ出せずに、下を俯いちゃった。


「弥生。もしかしてクリームを取るのは指じゃなくて唇で掬い取ってやれば良かったか?」

「いいや、違いますっ。良いんですっ」


 フリード様、私をからかってます? 面白がってますかー?

 下から覗き込むと、彼は案外素の表情で、悪戯な笑みを浮かべているわけでもなく、わりと真顔だ。


 ……本心?

 あれもこれも、フリード様は私に心から言ってくれているんだ。


 どうしよう、私……。胸のなかがどんどんフリード様でいっぱいになっていく。


 空から雪みたいに『好き』がたくさん降ってきて想いが積もってくる。


 ゆっくりと走る馬に揺られ、ロバが遅れまいと付いてくる。


 さっき魔物に襲われたのにフリード様のおかげで怖さが薄れてなくなって、代わりに甘い時間が心を穏やかにしてくれてるんだ。


 フリード様なりの、癒やしかた?

 彼は私の震える怖がりを、察して……。



「そっちのフルーツサンドも食わせて弥生。あーん」

「ああっ、はい! 召し上がれ」

「うんっ、美味い! むっ、果実がジューシーだな。それに甘さが絶妙」

「フルーツサンドのパンに挟んだ白い生クリームは甘さ控えめにしたんですよ。果物がそれ自体だけで充分に甘々ですからね」


 それにしても、馬に乗りながらこうしてフリード様とおやつを食べさせ合うだなんて、思いもしなかった。


 フリード様が満足そうに、笑顔を私に見せる。


「ふ〜っ、美味かった。弥生、ご馳走様」

「はい、喜んで貰えたようで何よりです。嬉しいです! 私もご馳走様……」

「ああ、だが思いもよらなかった。弥生がこの世界にやって来るまで、俺は食うことが楽しいなどと感じたことがない。大体食に興味が無かったし、戦や執務と俺は最低限体や頭が動けるスタミナさえ付けば良かった。弥生、俺はお前のお陰でどんどん好きな食べ物が増えていくな。……付随してお前との思い出もな」

「フリード様。……うん、私嬉しい」

「弥生のおかげだ。生きる楽しみが増えた」

「私のおかげだなんて……。それに大袈裟ですよ」

「大袈裟ではない。大事なことだったんだな。俺は食へのあれこれの概念や手間を大切にしようと思い始めている。食べることは生きる活力であり、生きる楽しみにもなり得る。だから、俺は領地の国々にもお前の作る料理を広めたい、国民にも美味いものを味あわせてやりたい」

「良いですね、それは!」

「だからこそ、皇帝である俺が積極的に不穏な種は残らず狩らねばならんな。国民が安心して暮らせ、尚且つ食を楽しめるように。俺の国々に住まうからには国民には飢えや命の危険無きよう。平穏平和な国造りをこれまで以上に推進し、みなに心の余裕を与えてやりたいな」


 私は活き活きと語るフリード様に見惚れていた。

 いつもはその美貌や仕草に目を奪われがちだけど、瞳には炎が見える。


 自分だけの幸せや欲を願うギラギラしたものではなく。

 私が知ってる物語に出てくる国の頂点に立つ将軍や王様たちが抱く野望とか野心とかというものよりも困難かもしれない。

 権力をひたすらに追い求めるのと、違う清らかで気高い意志の炎――。

 フリード様の覇気あるその瞳と抱いている熱さは人々を思いやる立派な皇帝のものだよ。


 のちに私は知る。このフリード様の思いは一部の頭の固い敵対勢力に『雲月霞の様に掴めない甘くて青い思想』と言われる。

 ――でも!


 でもね、それは理想とか夢とか、その中でも叶えるのにはすごく難しいかもだけど。

 私はフリード様なら、いつかやり遂げてしまうに違いないと思えるんだ。

 彼には長生きして、必ず国々を平和な場所にして欲しいって願うようになっていた。

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