第20話 【フリードside】覇王の困惑

【――フリード視点――】



 俺の名はフリード。


 この周辺国を束ねる皇帝だ。

 炎帝とか、覇王とか、俺をそう呼ぶ者も多い。


 そのいわれは、俺が普段は冷酷無慈悲な皇帝で、戦場や魔物討伐では火炎のごとく戦いに身を投じて燃えるから。


 その俺が――。

 うぐっ、こんな事態に陥ることになるとは!



   ✧✦✧



 俺は今だ味わったことのない極度の焦りの中にいて、自分のこれまでの人生で初めてじゃないかっていうぐらい困惑している。


 ――なぜだ! 俺はあろうことか、一人の女に目が釘づけになった。



 胸の拍動が騒がしく、かつてないほどの動悸がしてる。


(なんだっ、この胸の高鳴りは……!!)


 心臓が爆発しそうだ。


 目の前には、魔物のゴブリンの集団に襲われ噛まれた、女が一人。

 足からおびただしい量の血が溢れている。


 ――ゆっ! 許せんっ!


 俺は瞬間、頭にカッと血が昇り沸点を迎えた。烈火のごとく怒り任せに愛刀をふるい、次々とゴブリンを斬って斬って斬りまくった。

 対峙する魔獣や魔物に討伐退治するために、魔法の威力を滞留させやすく湾曲させた愛刀は今日も斬れ味は抜群に鋭かった。

 造り出した魔法刀鍛冶職人のドワーフを、褒めて称えるべきに値するな。

 帰ったら、ドワーフ職人の村には褒美を遣わそう。


 割とあっさりとゴブリンどもの集団は絶命したな。森の積もり重なった落葉の上に、俺が倒した複数十体の魔物の遺骸が転がっている。

 あとで魔法僧侶をこの地に派遣して、光魔法で浄化し片付けねばなるまい。数が多いから神官か司祭あたりが良いか。

 魔物といえども、その魂は天に還るそうだからな。



 しかし、だ。

 ――この女を傷つけることは、何人たりとも俺が許さん。


 出会ったばかりだが、この女を守りたいと笑顔を見たいと願うおのれがいた。

 無償の庇護欲など、亡くなった家族以外に湧いたことがあっただろうか。


 俺は女の怪我した足に物理的に止血をしてやる。それから回復魔法で傷口をふさぐ。

 俺は回復魔法は専門外だから初歩しか扱えん。怪我を完璧に治すにはポーションを飲ませてやらねばならないが、あいにく急いで駆けつけたから、持ち合わせがない。


(――こいつを野営基地に連れて帰るか)


 見知らぬ女を連れ込めば、従臣どもがやいのやいのとうるさそうで気が滅入ってくるが、致し方あるまい。




 俺は見つめた。

 すぐそば眼前に異世界人いせかいびとの、……変わった服を着た女――。

 ポカンと口を開けた女は地面にぺたんと座り込んで、こちらを見上げていた。

 おそらくはゴブリンに追い回され逃げ惑い、ついには追いつかれてしまったのに驚いて、恐怖して腰が抜けたのだろう。


 ドキッ、その瞳で上目遣い……。

 女の視線は真っ直ぐに向けられる。潤んだそれは、俺をいっそうドキドキとさせてしまう。


 やっべえ、この気持ちは何なんだよ?

 この女……。

 か、か、可愛いじゃねえか。


 めちゃめちゃ、可愛すぎだろーが。


 ――まて、まてまて〜。

 鎮まれ、俺の心臓の鼓動よ。


 この女が光に包まれながら空から落ちて来たのを目撃して、一瞬その姿を見た時は、俺と同じくらいの年頃かと思ったが。なんだよ。ぜってぇ、かなり年下だな。


 少女……、いや、こりゃあガキだろ。


 そんな相手に胸が高鳴っちまって、ときめいただとか。


 まずくねーか?

 恋?

 まさか、これが恋というものか!

 たぶん、そ、それにちがいねえな。


 初恋が、こんなガキ相手だと?


 うっわーっ、ふざけんな。

 年下すぎんのは、イヤだ!

 愛情の偏ったヤバい性癖の野郎みたいじゃねえか。


 恋は女神や天使の采配とか聞くが、異世界人いせかいびとでしかもこんな年下の女に心を奪われるなんて、俺のなかの硬派が許さねえぞ。



 明るかった空が突然暗く染まりそらは裂け、その穴から人が落ちていった。魔物の森に落ち入った民間人を助けるために、俺は必死で追いかけて来たが――。


 そう、助けるべく……。

 あっ、やべっ。

 見惚れてたぜ。


 初めて女に見惚れてたのを自覚する。

 これは確実に心が奪われた。


 大失態じゃねえか、まずいぞ。


 やましい気持ちをいだきたくない。

 色恋は人を惑わして狂わす、判断を鈍らす余計な感情ものだ――。


 俺はどちらかといえば女なんて煩えだけだし、苦手だった。

 顔色を窺って、色気使って、皇帝の妻の座を狙う女ばっかり近寄って来た。

 家の名誉のために、父親だか母親だかもしくか兄妹だかに命令されて誘惑するどこかの御令嬢。俺の背後の権力に縋り国々を支配する野望持ちの馬鹿どもばかりだ。


 信頼出来る女性は、教育係のばば達ぐらいだ。


 ――それが、どうだ。

 この女ときたらなんて無防備で。

 こいつ、思ったことをそのまま言っちまうんだな。


 女に名を聞くと『弥生やよい』と名乗る声――。発せられた声にまた胸がドクンっと高鳴る。

 彼女の美声はまるで小鳥のさえずりか美しい音色で奏でられたメロディのようだった。


 弥生が近くに寄って来たりするだけで、俺の心臓が飛び跳ねた。

 いつもは何事にも動じないように厳しい訓練してきているのに、だ。


 それから俺は弥生といると普段にないぐらい饒舌になった。

 気さくな人間には程遠い俺が、苦手な女に笑いかけている。


 ……話が尽きない。


 俺を一部の奴らは女嫌いと決めつけていうが、嫌いというか苦手、どう接すれば良いのかが分からんだけだ。

 物心ついた頃から既に女性たちには一方的に畏れられてきた。だからこそ親しくなったりは皆無だし、そもそも接する機会もない。


『ププッ、美貌で覇王なフリード様が実はお子ちゃま舌とか……笑えるんですけど?』

『そんな凄んで見せたって、私にはフリード様の可愛らしいとこ分かってます』


 俺に気安く接する女なんて弥生が初めてだった。


 何より……、出会った瞬間から俺は弥生の虜になった。

 ――がっつり胃袋も掴まれちまったし。

 弥生の作る飯やぷりんは最っ高に美味いっ!

 俺に弥生がふるまう料理は初めて食べる物ばかりだったが、どこか懐かしく心がほっとする味だった。 


 俺は弥生を自分の世界に返してやらねばならない。

 うちの国々のゴタゴタに巻き込まれ、家族ともに異世界召喚転移したのだから。

 弥生の姉上と母上を捜し出し救って、俺が責任を持って三人を無事に送り届けよう。

 未練がましく俺の我が儘で弥生をこちらに留めるわけにはいかない。

 弥生のばば様だって、ずっと弥生と家族の帰りを待ち望んでいるはずだ。



 別れの時――、そこに俺いち個人の感情が溢れようが無視することに決め込んだ。


 俺がこの先、弥生をいくら気に入ろうが愛してしまおうが必ず手放すことを肝に銘じよう。


 たとえ今生の別れへの哀しみがあろうと、弥生はここの世界の人間ではないのだから――。


 弥生の幸せは向こうに、自分のいるべき世界にある。



 俺はいつだって弥生との別離の覚悟はしなくてはならない。



 ――だからそれまで、たくさんお前の想い出を俺にくれ。


「弥生、この世界ではお前の笑顔も涙も俺のものだ」

「な――っ!? 何言っちゃってるんですか? ……それから不用意に抱きしめないでください、フリード様……」

「イヤか? 弥生、お前は俺に抱かれるのはイヤなのか?」

「ずるい、フリード様ってば。私は……、えーっと。あの……そ、そりゃあね、イヤではありませんけれど……。むしろ嬉しいというか何ていうか」

「フッ……。よしっ、じゃあ、弥生は大人しく俺の腕に抱かれとけ」


 弥生の甘い香りにくらくらする。


「なあ、弥生。美味い飯を一生懸命作り出すお前は立派だよ」

「あっ……。えっとぉ、ありがとうございます。どうしたんですか? フリード様?」


 俺は弥生を抱きしめる腕にぎゅっと想いと力を込めた。

 弥生を男装させたのはたんに身を守らせるため――、それから俺が弥生に言い寄る奴と仲良くすんのが見たくないから、だ。


 俺の弥生への独占欲が日増しに強くなっていくのは、愛情と比例してんのか。


 だが、やり過ぎは良くないよなあ。

 俺の理性の歯止めが利かなくなりそうだ。


「お前がここにいる間だけでも、俺の恋人になってくれたら俺は満足だ」

「フリード様。それはダメですっ。わっ、私にはフリード様の恋人だなんて! たとえ恋人役とかフリでも畏れ多いのでご提案は却下です……」

「俺がこんなにお前のことが好きなのに?」


 赤らめた弥生の顔が愛しい。弥生は恥ずかしげに俺の胸に埋もれた。


「はあーっ、強情だなあ。ちったあ、なびけよ。俺は弥生にキスやそれ以上のこと、……してえのに」

「ダメです、フリード様」

「弥生、ダメってお前……」


 ダメって奴の態度じゃねえだろうが。

 弥生は俺の腰に手を回そうとして回らず、彼女は次は俺の首に手を伸ばしてくる。だが、上手くは届かない。


 ……身長差が恨めしいな。

 そこもまた可愛いけど。


 俺に弥生の想いは伝わってきてる。

 少なくとも、多少の好意はあるんだろ?


 はあー、この先どう口説いたら良いんだか。弥生は俺に容易には陥落しない。


 俺には国々を治めるより、よっぽど弥生との恋模様の方が難儀で悩ましい問題だ。

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