第11話 フリード様のとっておきの場所

 私は四方八方、真っ暗闇に包まれた――。


 だけど、……怖くはない。


 視界が利かないのに恐怖を感じないのはきっと、私を抱き上げているフリード様の鼓動が息遣いがすぐそばで聴こえるから。

 それにあったかい。

 フリード様と密着している肌が彼の温もりを感じている。


 不思議なんだよね。

 この人、なんでこんなに私に安心感とか安らぎとかくれるんだろう。あと、ドキドキも。


「怖いか? 弥生」

「いえ。それがなぜかまったくです。フリード様が居てくださるじゃないですか。だから真っ暗闇なのに怖くありません」

「ふふっ、お前はおかしな奴だなあ。何もかも見えない視界の閉ざされた魔法結界空間で、初めて踏み入ったのに怖がらんし、取り乱さないとはある意味大物だな。弥生、お前は度胸があって頼もしいぞ」

「いえ、そんなことはありません。怖くないのは、……フリード様に抱かれているからです」


 私が言うとフリード様の腕がぴくっと微かに動いた気がして、さらに耳に付いた胸板の奥から聴こえてる心臓の鼓動が早くなる。


「フリード様の鼓動も聴こえて。……眠くなります」

「眠くなるって。お前さ、こんな状況なのにリラックスしすぎじゃね? どこに連れて行かれるかも分からんだろーが。警戒心が薄いんだよ、警戒心が」

「も〜、知らないですよ。覇王フリード様のスキルじゃないんですか? 他の男の人だったら私に触れようとしてきた時点で全力で逃げます!」

「本当か〜? 言い寄られたら誰にでもほいほい付いて行くんじゃねーの?」


 私の耳元近くで、フリード様の悪戯でちょっとイジワルな声がする。


「まさかっ。こんなの許すのフリード様だからです。私、フリード様にずっとこうして近づいてると眠くなるんですもん。あっ! もしかして、フリード様の腕や体には微かなアロマが発せられてて安眠に誘う効果があるとか? 一緒に寝るとぐっすり爆睡快眠でしたし」

「ゔぁっ。いっ、一緒にっ。一緒に寝る、か。……まあ。お前と共に朝まで寝たな」

「何ですか? さっきから」

「んあー、何がだ?」

「変ですよ? ……まさかフリード様ったら、私を意識しちゃってるとか?」

「うぐっ。……弥生。それ以上俺をからかうなら、……口づけるぞ」

「……」

「何だよ、だんまりか? 冗談に決まってるだろーが。本気なわけがない。お前に黙ってられるとこっちがとんでもない失言をしたと恥ずかしくなるじゃねえか」

「……してみます?」

「ハアッ!? 何をだ」

「だから。キス、です。口づけですよ。いったい、どんな感じなんでしょうねえ。……感触とか。何もかも私には分からない未知数で。あとファーストキスは檸檬の味とかって言うじゃないですかぁ? あれってホントなんですかね。興味はあるので試してはみたいようなぁ……」

「――なっ! なに馬鹿なこと言ってんだ! 大切にしてきたんだろーが。……好きでもなんでもない俺なんかにくれていいもんじゃないだろ? お前は『好きな人と素敵な夕焼けシチュエーション』ってまで待て。他の奴ともお試しでとか軽々しくすんなよ」

「何をです?」

「キッ、キスだろーが」

「プッ。ふふふっ。言いませんよ」

「それから誘うな、からかって煽るな。欲望にまみれた男は危険だ」

「フリード様も危険ですか?」

「――んあぁっ? 俺も……。ああ、危険だぞ。お前を前にしては、自分自身ですら突然何をしでかすか分からん」


 ドキッ!

 ――きゅんっ!


 私、胸の高鳴りのドキッがおそってきて、すぐに胸きゅんもしてた。


 フリード様の言葉にドキドキ。彼のムスッとした照れを誤魔化す様子に胸がきゅーんと甘く疼く。


 私はおずおずと腕を出して、フリード様の首に回してみた。

 ……なんかラブストーリーの映画のワンシーンみたいだな。

 

 触れたフリード様の肌は熱くて、それが心地いい。



「なあ? ……弥生は俺が居るからこんな暗闇でも大丈夫なんだよな?」

「……はい、そうです。あのどうしました?」

「いや、なにあの……。ちょっと嬉しいと思っただけだ」

「えぇっ、あっ、そうですか。フリード様、嬉しいんですね」

「ああ。うん」


 暗闇空間に目が慣れてくると、フリード様が私を抱えて飛んでいるらしいと分かる。

 景色は変わらず闇なのに、遠くに光の点がひとつ見え出していた。


「いまさらだが……。弥生お前、恋人はいないんだよな?」

「いないに決まってるじゃないですか。ファーストキスも初恋すらしたことないのに」

「好きな奴もいないのか?」


 好きな奴……?


 私は話のそこで、フリード様の顔を下からまじまじと眺めた。

 あたりは暗いけど、フリード様の顔は私には見えている。


 こっちの私の方を見ないのは、フリード様ったら自分で質問しといて照れているのかな。


「私の好きな人はですね」

「ああ」

「うーん」

「何だよ、弥生。お前ずるいな、返答を焦らすのか? 俺をもてあそんでんの?」


 私に対して、フリード様が話し方が気さくでもっと砕けた調子の言葉遣いも混じった。私はそれに気づいて嬉しくなってた。


「好きな人、居ないと思います」

「何だよ。はぐらかしたのか、本音なのか。弥生のそれは、はっきり分からん物言いだな」

「だって自分でもまだ分からないんですもん」

「……そっか」

「そうです」


「『離れたくない。また会いたい。一緒にいたい』とお前が思える相手が出来たら教えろ。それが好きな奴だ」

「そっ、そんなこと! いちいちフリード様に教えるんですか? イヤです。恥ずかしい」

「俺は弥生のこの世界での保護監督者だぞ? 知っとくべきだろう?」

「好きな人なんて親にだって言うの恥ずかしいでしょ! むしろ友達には言えても親には言えないと思いますっ」

「俺には言えるだろ」

「言えませんっ。じゃあフリード様に好きな人が出来たら教えてくれますか?」

「……ああ、良いぞ」

「ええっ! 良いんだ〜」


 フリード様が一瞬こっちを見て視線が合う。すぐに前を見て、私には分からない言葉で呪文を唱える。


「お前も教えてくれるんだよな? 好きな奴」

「……じゃあ、良いですよ。好きな人出来たら言います」

「ろくでもない男だったら斬る」

「はあっ!? 何でですかっ!」

「俺がお前の……、弥生の雇い主だからだ」

「雇い主かあ」

「うーん、何かお堅いか。上司? 仲間か? 友人? 家族じゃねえしな」

「お友達で良いです」

「俺と弥生が友達、ねえ……」

「すっごく不服そうですね、フリード様」

「まあな。……俺とお前、考えても気の利いた上手い言葉が見つからないな」

「うーん。そうですね。従わざるを得ない奴隷と雇い主?」

「奴隷だとっ!? 弥生、自分を奴隷とは酷いな。あのな、奴隷はこんな自由ではないぞ。……まさかこの関係を隷属に例えるとは……遺憾だ」

「そうですよね。私、自由だもの。じゃあ、私とフリード様ってなんだろう」

「まったく……。少しは俺に好意を持って欲しいものだ。俺はお前の守護者だし。お前を気に入ってるって言ってんだぞ」

「……その、気に入ってるってどういう部類なんです? 私ってからかってちょうどいい遊び相手ですか?」

「遊びじゃねえ。……むしろ……そのだな」

「なんです? フリード様って時々小声でごちゃごちゃ言いますよね?」

「俺が言い淀むのは、言いづれえことだからだっ! 分かんねーのかよ。弥生は無神経な女だな。デリカシーってもんがねえ。鈍感っ!」

「あーっ! 酷い言い草〜! 炎帝だからって偉そうに。『ぷりん』もう作って差し上げませんからねっ」

「……やだ」

「そんな子供みたいに頬を膨らませたって駄目ですからね。無神経とか言うからですよ」

「うぐっ。ああっ、もう。……ごめん弥生、悪かった。言い過ぎた」

「えっとぉ、私のほうこそ、ごめんなさい」


 素直に謝られちゃったら、私だって素直に謝って返すしかない。


「表向きは弥生は俺の専属料理人だがな。二人だけに通ずる、俺とお前の間柄の言葉が俺は欲しいんだ」

「えっ?」

「……その、……たとえば互いに思いやれる相手とか? あとはなんだ……。えっと、親しい間柄だ。あとは、こ、恋人……とか何やらとか……」

「私達、恋人同士はありえませんっ。うーん。私、フリード様を慕ってはいますけどね」

「お前、俺を慕ってんだな。一応」

「一応です」

「終始、弥生は俺を馬鹿にしてんのかと思ってた」

「まさか! 馬鹿になんてしてませんよっ。どこをどう取ったらそう思うんです?」

「お前かなりのド天然だろ?」

「天然って。今の言い方はいい意味で聞こえませんが? まったくぅ、フリード様のほうが私を小馬鹿にしてんじゃないですか」


「鈍い、鈍すぎる。……こいつ、はぐらかすのは俺の気持ちに気づいていないのか」


 フリード様は眉を寄せ、また小声でぼそぼそ言ってる。


「なになに? なんて言いました? フリード様ってば、私を目の前にして独り言を言うのはやめてください。内容が気になりすぎます」

「気になんの?」

「はい。教えてください」


 それからフリード様は一度天を振り仰いだ。


「いーやーだっ! 教えてやんない」

「ふふっ、あははっ。『教えてやんない』ってムキになっちゃって。フリード様って年上のくせに子供みた〜い」

「子供でけっこう。俺はお前の前では飾る必要ないって決めたから」


 ――なにそれ、ずるいですよ。

 私が特別みたいじゃないですか。

 違うよね? またからかっているのでしょう? フリード様。


「お前、俺をどう思ってんの? 正直に聞かせろ」

「ええっ? どう思ってるかって……。うーん。フリード様って、突然異世界にやって来た私を助けてくれてる英雄ヒーローです。魔物からも不安からも。こんな親切で面白くって素敵じゃないですか。ああ、まあ。強いて言うなら、怖い素振りをしなくちゃならない不憫な美形の御方だなとは思ってます」

「英雄だけど不憫かよ。……まあ、思ったよりかは悪くはないな」


 私はさっきの話を思い出す。

 そう、私達二人の関係に安易に名前を付けられないよね。フリード様と私、しっくり来る間柄を示す言葉が思い浮かばない。

 だけどね、無関心でもなくって。私、フリード様をただの他人とも言い切りたくない。


「しっかし弥生は変わっているな。『どこに行くの?』とか訊かないのか? 不安にならんのか?」

「えっ? フリード様、訊いたら答えてくれます? なんかサプライズなのかなあって。だってフリード様、にこにこして嬉しそうだから。行くまで知らないほうが良いです。すごく面白いとこに連れて行ってくれそうだなってわくわくしてます」

「俺が……にこにこしてる?」

「ええ。してます。素敵ですよ、笑った顔。フリード様は怒っててしかめっ面より、ぜったい笑顔が良いです」

「そうか。……自然と笑顔になれるのは、そばに弥生がいるからだ」

「ちょっ、あの……。どうにかなりませんか。時々甘いの」

「ふんっ! 良いだろ。お前と俺しかここにはいない」

「それはそうですけど……」


 フリード様はニカアッと笑った。

 私に向けられたフリード様の朗らかで少年っぽい笑顔……、ちょっとドキッとする。


「期待しとけ。もうすぐ俺のとっておきの場所に連れて行ってやるから」


 ずっとお姫様抱っこをしてもらっていると、親しい気分に陥ってくる。

 私とフリード様、仲良しなんだって思えてきちゃう。

 ……これって錯覚なんだろうけど。


 ねえ? どうして、フリード様は私に良くしてくれるの?


 私は思わずフリード様の胸に頬を擦り寄せ、掴まる腕に力を込めた。


 こんな甘い気分に浸ってる場合じゃないよね。すっごい不謹慎だ。

 お母さんとお姉ちゃんは辛い目に遭っているかもしれないのに。

 ――明日から、お母さんとお姉ちゃんを捜しに行きたい。

 ちゃんとフリード様に伝えなくっちゃ。


「ほら、着くぞ」

「えっ!? えええ――っ!?」


 とてつもなくまばゆい光に包まれて、目がくらんだ。

 フリード様との浮遊時間はどのくらいだったのだろう?

 時間の感覚はとっくに失われて、自分がどれだけフリード様の腕に抱かれていたのか分からない。


 いつまでもこうしていたい――とすら思ってしまえるぐらい、フリード様の胸のなかは甘く暖かった。

 自分が頼りない小さな子猫になったように、心細くて。

 だけど、この人が居てくれると、どこか安心してしまう。


 突然放り出された異世界で、……フリード様が私の居場所をくれた。

 それが束の間、だろうと。

 私は、ホッと出来る。


 フリード様は今、この異世界で唯一の私の心の拠り所なんだ。



     ◇◆◇



 閉じた目をおそるおそる開けると、そこには見たこともない光る花々の咲く花畑が広がっていた。


 そして――!


「すっ、すごぉーいっ!!」


 わあっ、まさにファンタジーだ! 

 眼前に、私の世界には居ない動物たちが自由気ままに歩いたり、優雅に飛び回ったりしていた。

 絵本や映画でしか見たことがない架空の動物だと思ってた。


 圧巻の景色にただただ驚いた。


 魔法生物? 伝説の生き物がそこらじゅうにいるの!


「驚いたか?」

「ええ、そりゃあ、もちろん。すごいですね。フェニックスですかあれっ! あとはペガサス? 妖精フェアリー? 一角獣ユニコーン? わあっ! 蝶々かと思ったらよく見ると羽を生やしたちっちゃな犬と猫ですね〜」


 私は花畑を駆け出したくなってきた。

 珍しい動物ばかりの不思議な世界を冒険したい。

 この目でたくさん間近で見たいんだ。

 ――だけど、なぜか。

 フリード様は私をお姫様抱っこをしたままで、まだ地面に降ろそうとはしてくれない。

 あれ? 目的地に着いたんだよね?


「あの、フリード様。そろそろ下に降ろしてくださいませんか?」

「まだ駄目だ。……弥生、ここは俺の家の秘密の庭園だ。契約した魔法生物の住処になる。許された者意外は誰も入れない結界を張ってあるから、今の時点で人間は俺とお前しかいない」


 ふーっと、フリード様が深く息を吸い込んだ。


「フリード様?」


 片腕で私を抱き上げたまま、フリード様が私の前髪をもう片方の手で掻き上げる。

 ちゅっと甘く軽い音が鳴った。

 フリード様から私のおでこに口づけが落とされ、私はその熱さに数秒だけど、頭がぽーっとなってる。


「魔法生物はタチの悪いイタズラもする。これは幻惑を防ぐ防御結界の加護だ」

「そ、そそそそうですよね! フリード様のキスは加護ですよね」

「ああ。……期待してんの?」

「ハアッ!? そんなわけありませんっ!」

「弥生は俺からの口づけが欲しいのかと思った」


 私がフリード様の腕の中でばたばたすると、すっと地面に降ろしてくれた。

 とんっ……。

 靴が地面に着くと、なんとも言えない柔らかい感触に一瞬びっくりする。


「なっ、何ここっ! フリード様、地面がふにゃふにゃです!」

「プッ、ハハハッ。弥生、足の下をよく見てみろ」

「ええっ! 下って……。うわあっ!」


 マシュマロみたいな雲のようなワニが寝そべっている。

 私はそのワニの背中に乗っかっちゃってるんだ。

 慌ててどこうとすると、バランスを崩して……。


「きゃあっ」

「おっと……」


 さっとフリード様の力強い腕が私を抱きとめてくれた。

 近づく顔を見ると、フリード様の心配そうにしてる顔の瞳が私を見てる。


 乗っかって足で踏んでしまっていた私のことなんてそっちのけ、気にもとめずに雲で出来たワニはのっそりのそのそと泉の方へ歩いて行く……。


「踏んじゃって、ごめんなさーい」


 一応、謝っておこう。


「ふふっ。あいつは『クラウドアリゲーター』だ。ワニの幻魔獣げんまじゅうだが肉食ではないので危険はないぞ。花と花の蜜を食う。体が擬態化するからな、うっかりした。すまん、怖かったか?」

「いえ、大丈夫ですっ。あの、雲ワニってそのまんまの名前ですね」

「ああ、だな。……そうだ、弥生。ここの森の精霊樹に棲まう吸血小人に泉の人魚と狡猾なピクシーには気をつけろ。まっ、俺の紋章加護があるから、何かされてもお前は死にはせんがな。――だが。万一、そこら辺の果物をピクシー達にすすめられても絶対に食うなよ。奴らは悪戯心で安易に猛毒を仕込んでくる」


 狡猾なピクシーって……怖い。気をつけよう。


「俺の愛犬ケルベロスと相棒のグリフォンを紹介してやる」

「グリフォン……?」


 たしかグリフォンって、ライオンと鷲が合体したような動物ですよね?

 凶暴だったりしないのかな……。


「ほら、行くぞ。あっちだ」


 ちょっと私が怖じ気づいていると、フリード様が私の手を握ってくれた。


「弥生、大丈夫だ。二匹とも愛想が良いから、怖くないぞ。それにグリフォンは人間の言葉を実に流暢りゅうちょうに話す。そう、お喋りが過ぎるほどにな」

「お喋りするんですか? そのグリフォンとやらは」

「ああ、喋る。ついでに言うと、飼い犬のケルベロスもたどたどしいがお喋りが好きだ」


 ……喋る愛犬ケルベロスに、魔法生物のグリフォンって。


 もーっ、わくわくが止まりませんっ!!

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