第10話 煽ると大変なことになる覇王フリード様
こ、これはファーストキスの予感――っ!?
顔が近づいてくるフリード様の瞳が揺れている。
私の視線はフリード様にとらえられ、絡まってしまったように動かせない。
「……弥生」
「フリード様?」
耳元で全然想像してなかったセリフを聞かされる。
「弥生。……お前、頬にソースついてんぞ?」
「――はっ?」
フリード様は、私の頬についたソースを長くて節くれ立った指で掬ってくれて……ぺろっと舌で指先を舐めたっ!?
はっ、恥ずかしい!
フリード様に拭き取ってもらったこともだけど、自分がはしたなくて勘違いな想像をしてしまったんだと恥ずかしくなって一気に顔の温度が上がる。
くすくすとフリード様が笑った。
すっごく楽しそうに、ちょっとイタズラな笑みを浮かべてる。
「弥生、キスじゃなくて残念だったか?」
「もっ、もお〜っ! なんで私をそんなからかって遊ぶんですか?」
「えっ、なんでって。……そりゃ楽しいから」
「なんですか! 『楽しいから』って……。いちいちフリード様にそんな美貌で幾度も連続でどきどきとかさせられたら、私いつかキュン死します」
「ふははっ、続けざまだと弥生はどきどきしすぎて死ぬのか。それは困る。まあ、出来そうだったら控えよう」
食事をしているあいだもお喋りは続く。
私から一方的じゃない、フリード様からも色んなお話をしてくれる。
この国の西のはずれの泉に棲む小さな
フリード様は屈託なく少年のように笑う。
はたから見ている限りは従臣や討伐団の皆の前では寡黙でおっかないフリード様だけど、私の時は『素』でいてくれているのかな?
「弥生。さっき、もし俺がお前に口づけたらどうしてた?」
「どうしてたって……」
伏し目がちで、こっちを見ないフリード様。
恥ずかしそうに見えるけど……。
そんなこと口に出されて、どう答えれば良いんですか。
あの、答えづらいです。
「いやだと感じるか?」
「えっ、あっ、あの……」
私は返答に困りました。
「……たぶん、嫌じゃないとは思いますけど」
「そうか。ふーん……『たぶん』ね。なあ、弥生」
「はい、フリード様?」
でも、どうかな……?
好きだって、そう思う相手と初めてのキスをしたいって思ってる。
――私、フリード様を好きかな?
そんな、まだ確信できないもの……。
何度かフリード様にときめいて、とくんと胸は鳴った気はした。
私を一度見て、フリード様は真剣な顔つきを見せた。
「フリード様?」
フリード様は静かに「ごちそうさま。美味かった」と言って席を立った。
どうしたんだろう?
すっと音を立てずに歩くとフリード様は簡素な執務机に行き、
テーブルの上の食事を終えた皿をささっと重ね、先程よりさらに場所を確保する。
そうして私の目の前に差し出されたのは、溶け固まった赤い蝋に印が押された一枚の羊皮紙だった。
こういうの初めて見たっ。映画とかでは見たことあるけど……。
羊皮紙には私の知らない文字が並んでいる。
英語とかとも違う。
そこにある羽ペンでフリード様が書いたものなのかしら?
「俺が用意したこの国の正式な魔法契約書。皇帝である俺のサインを入れたものになる。これで弥生、お前は名実ともに俺の炎帝フリードの保護下に入った。契約は強力だ。俺が死ぬかお前が元の世界に帰るかまで無効にはならない」
「それってどういうことですか? 私に良いことばかりで、フリード様に旨味はあるんですか?」
「旨味ってお前……。この世のすべてが利益不利益で動くわけでもなかろう? まあ、俺に加護の報酬をくれるなら、三日に一度は木苺ソースがかかった甘くて美味いあの『ぷりん』を食わせろ」
「お安い御用です! だってこの国で一番偉い皇帝が無償って理由にもいかないじゃないですかー。私だけえこいひいきって従者の皆様国民の皆様に怒られてしまいます!」
「そんなこと、弥生が気にしなくっても良い。お前は俺の大切な専属料理人なんだから、特別待遇は当たり前だろ」
「大切なって……。嬉しいです! 食にあんまり関心がなかったフリード様が食事を大切にしたいってことですよね〜?」
「大切なのはどちらかといえば食事というか……なんというか。俺のために好みの料理を作る料理人のお前が大事……。いや、飯ぬきでも……」
「なんですか? ごちゃごちゃ小さい声で……。よく聞こえませんが? もう一回言ってください」
「言うか!」
まったくなんなんだろう。
真っ赤な顔して。
むきになってる〜。
フリード様は時々すっごく子供みたいだ。
口振りや考えはお兄ちゃんみたいなのに、こういう時は弟みたい。
フフッ、きっと弟がいたらこんな感じなんだろうなあ。
頭をなでなでしてさしあげたい。
「これって具体的になんて書いてあるんですか?」
「弥生。お前は俺の権利で身の保護はされたってことが書いてある。が、改まった役職や間柄はまだ抜いてあってな。……だからお前に聞いたんだ」
「――えっ? 何を?」
「キスが嫌じゃなければ俺の婚約者として迎え入れることも可能。……もし嘘でも振る舞うのに気が進まないのであれば」
「進まなければ……」
フリード様は椅子を私の横に持って来て座った。
テーブルに肘をついて、拗ねたような顔をする。
「他はだな、言うまでもないだろ? お前の得意の料理は類を見ない才能で他者を圧倒する。弥生、お前は口約束だけではなく正式に書類上でも俺のための専属の料理人になれ。従者の一人ってことにすればいい。雇い入れるから賃金も弾む」
「そ、それでいいですっ! 私にフリード様の専属料理人をやらせてください! お給料が貰えるなら、稼いだお金はお母さんとお姉ちゃんを捜すのにも役立ちますよね。あと、異世界の料理を食べにレストランとかカフェとか飲食店巡りも出来ますね〜。うふふっ」
「弥生、そんなに必死で……。俺の婚約者の振りをするのをまたも全力否定とはちょっとショックだ」
「フリード様! 何度も言いますが、私には料理人の方がよっぽど合ってます。だって、私にフリード様の婚約者だとか恋人だとかが務まるわけがないじゃないですか! 貴族同士のお作法とか社交会でダンスパーティとかあるんでしょう? ダンスなんか踊れないし。私、さっき侯爵だの辺境伯だのって、ぜんっぜん頭に入ってこないんですよ? にわかの勉強では
私があたふたするとフリード様が私の手を取り握って、あろうことか彼の頬に寄せた。
「かまわんぞ? お前になら俺はいくら迷惑をかけられようとドンと来いだ。俺はそんなに器量は狭くない。何度だって失敗したって良い。弥生を笑ったり非難する者がいれば俺が一喝するか剣で斬りさばいてやる」
「きっ、斬りさばくって。物騒ですよ?」
フリード様の黒く輝く瞳が綺麗だ。
私の姿が映り込むほど、近くにいる。
――熱いまなざし。
見つめ合っていると変な気分になってくる。
甘くて、体の芯が痺れてくるような。
その視線に見つめられて、熱くぽーっとなってくる。
「罪な奴だ。弥生……。そんなうっとりとした顔をするくせに、お前は俺を拒むのだな」
「うっとり……? 私がフリード様に?」
「そうだ。弥生が俺にそんな表情を向けたら衝動が止まらなくなる」
「私、恋とかしたことないんです。一度も。……初恋だってまだで。だから好きとかよく分からない」
「俺だって知らなかった」
知らなかった?
「お前に出会うまでは」
「それって……」
「感情の『好き』と『愛しい』と『離したくない』は、等しく存在するのだな」
どきっん。
やめてほしいぐらい、フリード様に
いつものフリード様と私、からかい半分なら冗談めかした雰囲気なら、茶化して笑って誤魔化せるのに。
突然の真剣モードに本気を感じて、逃げ場がない。
私は空いている方の手をフリード様の鼻先にちょんって触れてみた。
「んんっ?」
「あのっ。聞きようによってはフリード様がすっごいめちゃめちゃ私のことが大好きだあっ! って、告白してる感じになっていますけど?」
カアアアアアッ! っとフリード様の顔が熟れた林檎みたいに真っ赤になった。
「ばっ、ばかかっ! んなわけねえだろっ」
「本当ですかあ〜? ではではどうしてそんなお顔が真っ赤なんですか?」
私はやめればいいのに完全に調子に乗ってしまっていた。
慌てふためくフリード様の顔にちょっと接近すると、恥ずかしげに顔を背ける。
手は握られっぱなしなのが気になるが、完全に私は優位に立った気分で。いつも攻めてくるフリード様に仕返しとばかりにからかってしまった。
なんか楽しくって……、ごめんなさ〜い。
赤らめて、ムッと怒ったフリード様の顔が私に迫って……。
私はフリード様にぐいっと腰を引き寄せられて、ハッとなる。
「……煽るのか? 弥生。それとも茶化してんのか。お前、俺の本気を
「えっ……!」
私は座っていたのに、さっと横抱きにフリード様に抱え上げられてしまう。
「下ろしてください。……フリード様。私を下ろして、離して」
「キスしたら、俺とお前のあいだに始まるものがあると思わんか?」
ばたばたと手足を暴れてみたものの、フリード様の力は強くて、私を床に下ろそうとはしてくれない。
「お子様は相手にしないって言ったじゃないですかっ」
「前言撤回。弥生だけは特別だ」
お姫様抱っこされたまま、フリード様が呪文らしきものを唱えたのが分かる。
目の前が急に真っ暗になった。
私、いったいどうなっちゃうの――っ!?
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