第四話 フルーツパプリカ・緊張のひな祭り発注
ドリームシティ店の青果売り場では、どの時間にも、かならず社員がひとりはいるようにシフトを組む。
今日は唐島主任が休日。わたしと戸塚さんが早番の七時出勤で、遅番の稲城さんが十三時から閉店までを担当する。
ちなみに、戸塚さんが早番なのは、わたしが唐島主任に信用されていないからだ。
先日のプリセット事件以降、わたしが商品マスタを触ったときには、他の社員がかならずチェックを入れるルールになった。
たしかに、わたしはそそっかしいし、やる気のないダメ社員だ。けど、ここまで上司に信用されないのは、さすがにへこむ。
青果は残業が多いブラック部門なので、とうぜん定時では帰れない。十八時過ぎまで残業し、わたしはタイムレコーダーを打刻しに食品フロアの事務所に向かった。
売り場には暖房がかかっていて忘れがちだが、今は二月下旬。荷受け場から風が吹き込んでくるバックヤードは、けっこう寒い。
腕をさすりながら事務所に入ると、休みのはずの唐島主任が、デスクにノートパソコンと紙の資料を広げていた。唐島主任以外は、課長も他の部門の社員も誰もいない。
おそるおそる「おつかれさまでーす」と声をかけると、主任はちらりと顔をあげ、「ああ、瓜生か。おつかれ」と言った。
よく見ると、主任は黒いタートルネックとデニムを着ている。一見制服に見えるけれど、私服なのだ。制服と私服があまり変らないところが、彼女らしいといえば彼女らしい。
「主任、休日出勤ですか?」
そうたずねると、「うん。用事が終わったから、ちょっと資料見に寄った」と返事が返ってきた。
主任の足元には、少し大きめのリュックが置かれている。どこかに出かけた帰りなのだろうか。
「もうすぐ、ひな祭りだから、発注の資料になるデータ見ようと思って」
「へえ……」
休日なのに、熱心なことだ。わたしは、デリカでお
「瓜生、三十分くらい時間あるか? もちろん残業つけてかまわないから」
すでに二時間残業して、帰ろうと思ってたところなのにな。
家に帰っても、どうせやることもないから、いいっちゃいいんだけど。唐島主任とふたりで話すこと自体、ものすごく気が重い。
「あ、はい。時間は大丈夫ですけど……」
乗り気でないことを暗にアピールしつつ、主任の隣のいすに座る。
わたしの内心など気に掛ける様子もなく、唐島主任は資料を指さし、話しはじめた。
「ひな祭り用の発注、瓜生ならどうする?」
これは相談なのか、それとも試されているのか。背筋に緊張が走った。少しでも見当違いなことを言えば、また怒られるかもしれない。
わたしはおそるおそる口を開いた。
「えっと、わたし、去年のひな祭りはまだ入社してないから、どんな状況だったかわからないんですけど……」
「それは知ってる。だから、データから判断する方法も身につけないと。おまえ、今まで感覚で発注してただろ?」
主任は資料に目を落としたまま淡々と言った。
この店に着任して、まだ一か月弱。わたしの発注の傾向まで、しっかりチェックされていたのだ。さすが、できる女は見ていないようで、部下の働きぶりを細かいところまで把握している。
彼女の指摘どおり、わたしの発注方法は、感覚に頼った雑なものだ。
前任の西川さんから、ノウハウは習っていたけれど、彼も経験則や感覚で発注をするタイプだった。
アドバイスといえば、「天気が悪くて客数少ないだろうから、発注を絞れ」とか、「テレビでトマトが特集されたらしいから、
いいかげんな発注をするなと、また唐島主任に叱られるのだろうか。つい身構えてしまう。
けれど、唐島主任は、意外なセリフを口にした。
「感覚頼りとはいえ、瓜生の発注センスは悪くないよ。もう少しデータを読めるようになれば、廃棄ロスやチャンスロスを減らせると思う」
「はあ……。ありがとうございます」
ほんとうに意外だ。あの「からし主任」が部下を――それも、わたしのようなやる気のない社員を、ほめることがあるなんて。
呆然としているわたしの前に、唐島主任は資料を広げた。ここ数年の売上や
「この周辺には、築浅の大規模マンションが多い。つまり、どういうことかわかるか?」
「ええと……、比較的若い夫婦が多いってことでしょうか」
「うん、そうだな。ファミリー向け分譲マンションを買うのは、だいたい二十代から三十代の男女の夫婦だ。独身や同性カップルは、いてもごく少数だろう」
主任は、なぜか少し疲れた顔になった。彼女の表情がちょっぴり気になったが、理由を聞けるような気やすい
「マンションを買った夫婦は、『次は子どもを産もうか』ってことになる。だから、新しい大規模マンションがある地域は、子どもが多いんだよ」
わたしは自分の過去を振り返ってみた。高校生くらいからだんだん簡略化されていったけれど、うちの実家もわたしが小さかったころには、律儀に桃の節句のお祝いをしていたのを思い出した。
「ということは、ちゃんとひな祭りをやる家が多いってことですかね?」
「そうそう。瓜生もわかってるじゃないか」
いつも厳しいばかりの「からし主任」にふたたびほめられ、なんだかむず
残業なんて嫌でたまらなかったのに、つい主任の言葉に耳を傾けてしまう自分がいる。
「そこでだ。瓜生は、ひな祭りの前日や当日には、なにが売れると思う?」
ちらし寿司の材料――マグロやいくら、サーモン、桜でんぶ、錦糸卵……は、青果の商品じゃないな。
「えーっと、青果の商品でいえば、レンコン、にんじん、しいたけ、絹さや……、でしょうか」
「うん。そのあたりだな。あとは、毎年のデータを見ると、
主任が指したデータを見る。なるほど、いろどり用の緑の野菜もよく売れるのか。
「意外に、フルーツパプリカ、ズッキーニ、ラディッシュあたりも伸びてる。とくに、去年のフルーツパプリカは、十五時ごろに品切れしたっぽいな。たぶん、売れた理由はこれだと思う」
主任は自分のスマホを取り出し、SNSを開いた。「ひな祭り料理」のハッシュタグで検索をかけると、カラフルな手まり寿司や洋風ちらし寿司の写真がたくさん表示された。それらの写真には、主任が例にあげた、ラディッシュやフルーツパプリカが使われていた。
わたしは内心舌を巻いていた。
このひと、SNSの料理写真までチェックしてるのか……。きっと、雑誌に載っているレシピやテレビの特集なども、あたりまえのように把握しているのだろう。
「ここ数年のデータを見ると、『映える』料理の材料が、ぐんと増えてきてるのがわかるだろ?」
たしかに、数年単位の推移を見ると、洋風の食材が着実に伸びている。主任の話につられ、つい身を乗り出した。
「テーブルが映える食材……。というと、イチゴは欠かせませんよね」
「ケーキを手作りする家庭も多いだろうからな。ほかには?」
わたしは、ちょっと考えてから答えた。
「アールスメロンをフラワーカットで出すとか? イチゴ、オレンジと並べたら、けっこう映えると思います」
「いいね、それでいこう。メロン、例年より多めに発注しようか」
てきとうなアイデアが秒で採用され、わたしは焦った。
「えっ、えっ……。ちょっと待ってください。今の時期、まだメロンめちゃくちゃ高いですし。売れなかったら怖いです」
「いいよ。失敗したら、責任はわたしが取る。値引きして売り切ればいいだけの話だ」
そう言って、主任は不敵な笑みを浮かべた。
「売上を取りにいくには、思い切ったチャレンジも必要だ。失敗したとしても、『売れなかったというデータを取れた』と考えればいい」
ビビっているわたしをよそに、唐島主任はさっさと発注案を立ててしまった。
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