第二話 イチゴ・鬼上司は「野菜ソムリエプロ」

 残業代のほかに、青果部門でもうひとつだけ気に入っていることがある。制服がかっこいいのだ。


 ハンチング、シャツ、チノパン、ギャルソンエプロン、靴にいたるまで、すべて黒で統一されている。

 加えて、野菜ソムリエの資格を持つ社員は、首に赤いスカーフ、胸ポケットには認定バッジを着けることができた。


 前主任の西川さんも、先輩の稲城さんも、赤スカーフをネクタイ結びにしている。黒に赤が映えて、めちゃくちゃおしゃれだ。……といっても、わたしは修了試験に落ちたので、黒一色のままだけれど。


 今、目の前に立っている新主任は、赤ではなく緑色のスカーフを着けていた。赤スカーフよりワンランク上の「野菜ソムリエプロ」の資格保持者ということだ。たしか、合格率35%の難しい試験だったはず。


 弊社で義務づけられているのは、赤スカーフの野菜ソムリエだけ。ソムリエプロは、よほど熱心な社員でない限り、わざわざ受験したりしない。

 ソムリエプロを取得するレベルの同性の先輩が上司なんて、ちょっと……、いや、かなりプレッシャーを感じる。


「東海事業部ポートモール店から来ました、唐島からしまあずさです」


 西川前主任、稲城さん、嘱託社員の戸塚さん、わたし、パートさんを集めた朝礼で、新主任の唐島さんは、物怖ものおじする様子もなく、堂々と自己紹介をはじめた。

 わたしよりちょっと背が高く、髪は真っ黒なショートカット。見るからにできる女っぽい。


 じつは先日、情報の早いパートさんたちが、「会社のホームページに、新主任のことが載ってるわよ」と教えてくれたので、わたしもこっそり彼女の経歴をチェックしていた。「ソレイユマートで活躍する先輩社員」と題した、新卒向けリクルートページに、唐島新主任が大々的に取り上げられていた。


 唐島梓――入社六年目の二十八歳。

 新卒で東海事業部の中規模店・青果部門に配属。二年次にストレートで主任昇格試験に合格し、三年次になると同時に、持ち上がりで同店青果部門の主任に昇格。主任業務のかたわら、野菜ソムリエプロを取得。四年次に青果部門開設主任として、新店・ポートモール店の立ち上げに携わる――。


「女性も活躍できる会社」のロールモデルとして、非の打ち所がないほどの躍進ぶりだ。本社人事部が、新卒募集の広告塔として目をつけたのもうなずける。


 そして、いま。七年次を前に、関東事業部の旗艦店である、ここドリームシティへ異動してきた、というわけだ。

 ドリームシティ店は、主任クラスのゴールだと言われている。次に異動するときは、事業本部か本社勤務。店舗での勤務継続を希望するなら、課長昇進が約束されている。つまり、ここドリームシティの主任クラスは、出世街道の一里塚なのだ。

 二十代で旗艦店の花形部門の主任。しかも難関資格持ち。ひょっとすると、西川さんよりも仕事ができる女性なのかもしれない。


 西川さんと入れ替わりの着任でよかったね、と他人事ながら思ってしまう。

 西川さんって、わたしみたいなダメ社員やパートさんには、まあまあ優しいけど、できる社員――とくに自分より若い女性社員には、けっこうきつく当たるから。


 たぶん、西川さんと唐島主任が一緒に働いたら、売り場がギクシャクしていただろう。

 まあ、わたしは、そのうちダイニングに異動するつもりだから、青果の売り場が険悪な雰囲気になっても、ぜんぜんかまわないんだけど。


「ここ、ドリームシティ店には、ベテランのパートさんが多いと、西川バイヤーから聞いています。わたしは関東事業部は不慣れで、みなさんから見ると頼りなく感じるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」


 物腰はていねいだけど、唐島主任からは、西川さんと似た不遜さが漂っていた。ぜったいに、自分のことを「頼りない」だなんて思っていない。ただ、勤続年数が長いパートさんや、西川さんの顔を立てるために、へりくだっているだけだ。


「じゃあ、みんなは開店準備にとりかかってくれ。俺は唐島主任に引き継ぎをするから」


 西川さんは稲城さんに売り場の指揮を任せ、クリーンルーム横のパソコンスペースに向かった。


「ねえねえ、お七ちゃん。新しい主任、どう思う?」


 そっと近寄ってきたパートさんのひとりが、わたしに耳打ちした。パートさんたちは、わたしを「お七ちゃん」と呼ぶ。そう、「八百屋お七」の「お七」である。


「うーん、まだよくわからないけど、すごく仕事できそうな方ですよね」


 本音は「めちゃくちゃ自信家で、性格きつそうですよね」なんだけど、ここはオブラートに包んだ表現にしておく。


「そうねえ。緑スカーフだし、仕事はできそうだけど、なんか冷たい感じがすると思わない?」


 わたしたちの会話を聞きつけたほかのパートさんたちが、わらわらと集まってきた。


「あたしもそう思った。新しい主任、厳しそうよね」

「青果の女の子って、だいたい性格がきついじゃない? 男社会だから、気が強い子じゃないとやってけないのよ。あ、お七ちゃんはちがうわよ」


 さっそく、新主任の悪口大会がはじまった。

 陰口に同意を求められたら、めんどくさい。愛想笑いを浮べて、こそこそ場を立ち去ろうとしたとき、嘱託社員の戸塚さんが声を上げた。


「ほらほら、お姉さんたち。口を動かしてないで手を動かさないと。開店までに品出し終わらないと、稲城くんが叱られちゃうよ」


 はーい、と素直に返事をして、パートさんたちはそれぞれの持ち場に散っていった。


「青果の女性社員は性格がきつい」と言うパートさんたちだが、彼女たちこそ、みんなそろって気が強い。

 西川さんや稲城さんにはもちろん、課長や店長にだって平気で噛みつく。

 一番長いひとで約二十年、短いひとでも三年はこの店で働いているのだ。若く、異動が多い社員たちより、自分たちがこの売り場を支えているという自負があるのだろう。


 そんなパートさんたちも、不思議と戸塚さんのお説教には、素直に耳を傾ける。

 戸塚さんは、定年退職後に嘱託社員として再雇用されたおじいちゃんだ。パートさんたちより年上で、かつ青果には珍しい穏やかな人柄のため、みんなに尊敬されている。


 戸塚さんのおかげで悪口大会に巻き込まれずに済み、わたしはこっそり安堵のため息をついた。


 オープン時間に間に合うよう、大急ぎで品出しをする。

 九時五十五分に「開店五分前」のアナウンスが流れ、十時にショッピングモールすべての自動ドアが開くと、お客さまが次々に入店してきた。


「いらっしゃいませ、おはようございます」


 わたしたち従業員は通路に並び、ていねいなお辞儀でお迎えする。

 五分間、お客さまのお出迎えをしたあとは、おのおの自分の仕事にとりかかる。わたしの今日の担当は果物だ。


 二月上旬の今は、国産柑橘類のほか、イチゴがよく売れる。

 とちおとめにあまおう、紅ほっぺ。ひとパック398円の手頃なものから、ひと粒300円以上する高級イチゴ「ベリークイーン」まで。品揃えのバリエーションがやたら多いのが、このドリームシティ店の特徴である。


「おーい、瓜生さん。主任たちが呼んでるよ。新主任とあらためて顔合わせだって」


 次々売れていくイチゴを補充していると、稲城さんがわたしに声をかけた。


「わたしと稲城さんだけですか? 戸塚さんは呼ばなくていいんですかね?」

「うん。とりあえず、僕と瓜生さんだけでいいって。戸塚さんは、唐島主任と面識あるみたいだから」


 へえ……。戸塚さん、社歴が長いから、東海事業部のひとともどこかで会ったりしてたのかな。

 そんなことを考えながら、オープンキッチンに入る。パソコンスペースの前で、新旧主任がわたしたちを待っていた。


「唐島主任、改めて紹介しよう。うちの社員の稲城と瓜生だ」


 稲城さんとわたしはそれぞれ名乗って、唐島主任に頭をさげる。手元の資料とわたしたちを交互に見ながら、唐島主任はまず稲城さんに声をかけた。


「稲城康平さん」

「はい」


 稲城さんは、緊張した様子で背筋を伸ばした。新主任の声はやや低めで、やはり威圧感がある。


「稲城さんは、次の春で三年目。野菜ソムリエ取得済み。今年度、主任昇格試験も合格している……、と」

「はい。まだまだ勉強不足ですが、よろしくお願いします」

「うん、よろしく」


 唐島主任はにこりともせずそう言うと、今度はわたしの方を見た。


「瓜生菜々子」


 稲城さんは「さん」付けだったのに、なぜわたしだけ、しょっぱなから呼び捨て……?

 少々むっとしながらも、わたしは「はい」と返事をした。


「瓜生は、次の四月で二年次だな?」


 そう確認しながら、首元に視線を向けてきた。野菜ソムリエの赤スカーフがないのを、見とがめたのだろう。


「東海事業部では、一年目でソムリエを取ることになっていたが、関東事業部はちがうのか?」


 弊社ソレイユマートでは、どの事業部の青果も、新人のうちに野菜ソムリエを取得する決まりだ。

 わたしがソムリエ試験に落ちたことなど承知の上で、この女主任はイヤミを言っているのだ。初対面の印象どおり、やっぱりこのひと、性格がきつい。


 西川さんと稲城さんが、おろおろして、わたしと唐島主任のやりとりを見ている。

 わたしは、やっとのことで声を絞り出した。


「……修了試験、落ちました」

「落ちた?」


 唐島主任が、冷たい目でわたしを見る。


「合格率85%の試験だぞ。どうやったら落ちるんだ?」


 ぐっと、答えに詰まる。

 そりゃあ、合格率35%のソムリエプロと比べたら、超楽ちんな試験ですよ。でも、百人受けたら十五人は落ちるって計算じゃないですか。わたしはその十五人に入っただけです。


 そう反論しかけたけれど、口には出さなかった。あまりにもみじめな言い訳だし、そんなことを言えば怒られるのが目に見えている。

 手元の資料に目を落とし、唐島主任は続けた。


「前回のキャリアプラン調査で、瓜生は住居フロアへの異動希望を出してるな?」

「……はい。内定もらったときから、ダイニング希望だったので」


 そうだよ、わたしは好きで青果に来たわけじゃない。野菜ソムリエの試験に身が入らなくたって、仕方がないじゃないか。


「なるほど。青果に配属されたことへの抗議の意味もこめて、わざとソムリエ試験に落ちたってわけか」


 唐島主任は、デスクに資料を放り、ドスの効いた声で言った。


「いいか、瓜生。組織で働くからには、希望が通るとは限らない。文句があるなら、独立するか、組織を変えられる立場まで昇進しろ。いつまでも学生気分でいるな」


 正論だ。正論だけれど、なんて厳しいひとなんだろう。こんなの、「唐島主任」じゃなくて「からし主任」だ。

 わたしはエプロンを握りしめ、うつむくしかなかった。

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