ベジタブル&フルーツ ソレイユマート青果部門

たつた あお

第一章 冬の終わりのカットメロン

第一話 キャベツ・シットジョブ

「いらっしゃいませー」


 キャベツを乗せた台車を押しながら、声を張り上げる。

 商品を運ぶ従業員の「いらっしゃいませ」は、すなわち「どけどけ、道をあけろ」の意味だ。

「失礼いたします。うしろ、台車通ります」と慇懃いんぎんに声をかけながらも、通路をふさぐ多くの客に、ついイライラしてしまう。


 わたしはただいま勤務中。

 スーパーマーケット「ソレイユマート・ドリームシティ店」の青果部門、今年度入社の期待のルーキー……と自称したいところだけれど、じっさいはやる気もなければ期待もされていないダメ社員だ。はあ、早く帰りたい。


 わたしが配属された、関東事業部ドリームシティ店は、弊社ソレイユマートの中でも屈指の大型店だ。

 テナント数二百店超、シネマコンプレックス併設のショッピングモール。その中でも食品フロア――とくに青果・精肉・鮮魚の生鮮三部門は、スーパーマーケット業界の花形と言われる。

 そんな大型店の花形部門に、なぜわたしのような、やる気も能力もないダメ社員が配属されたのか。

 それは――。


瓜生うりゅうさん、次はじゃがいもの品出し頼むよ。そのあと、ケールとルッコラもよろしく」


 品薄になってきたバナナをテキパキ並べながら、一年先輩の男性社員――稲城いなぎさんがわたしに指示を出した。

 わたしが青果部門に配属された理由。それはたぶん、「瓜生うりゅう菜々子ななこ」という名前のせいだ。

「瓜」に「菜」、しかも「なな」とくれば、誰もが「八百屋お七」を連想する。

 じっさい、就職活動の面接でも、この店に配属されたときも、「八百屋お七だ」とみんなに笑われた。きっと人事部のひとたちがウケを狙って、わたしを青果部門に配属したにちがいない。

 スーパーマーケット業界は、体育会系のおかしなノリがあるから、あながちわたしの推測は間違ってはいないと思う。


 全国に散らばる同期たちには、「ドリームシティの青果担当なんて、めちゃくちゃ期待されてるじゃん」とうらやましがられたが、わたしは青果なんてやりたくなかった。

 朝は早いし、残業も多い。一日中忙しく駆け回っていて、社員も商品部バイヤーもパートさんたちも、みんなそろって気が荒い。うちの売り場で穏やかなのは、先輩の稲城さんと嘱託しょくたくのおじいちゃん社員のふたりだけだ。


 むりやり青果のいいところをあげるとすれば、労働時間が長いぶん、残業代が多いことくらい。

 でも、忙しすぎて、お金を遣う時間がない。

 平日休みだから、友達とも休みが合わずに遊びに行けない。そもそも、就職してから実家を出て、会社の借り上げマンションに住んでいるので、近くに学生時代の友達もいない。

 ネットショッピングで食器や雑貨を買うことだけが、入社してからの唯一のわたしの楽しみだった。


 稲城さんに指示された商品を取りに、バックヤードへ向かう。スイングドアを押そうとしたところで、ダイニング用品担当の女性社員とすれちがった。


「瓜生さん、おつかれさま。稲城くんにこき使われてない?」


 わたしは慌てて首を横に振った。


「こき使われるなんてとんでもない! うちの売り場で優しいの、稲城さんくらいですから」

「ふふ。もし稲城くんにパワハラされたら、わたしに告げ口しにおいで。お説教してあげるから」


 ちゃめっ気たっぷりにそう言った彼女は、稲城さんの恋人の丸山さん。温和で素朴な稲城さんと、いつもにこにこ笑っている丸山さんは、とてもお似合いのカップルだ。

 丸山さんは、愛想よくお客さまに声かけしながら、ラップや割り箸の売り場に向かっていった。

 彼女が所属するダイニング用品部門は、三階の住居フロアにメインの売り場があり、かつ一階の食品フロアにも日用消耗品を展開している。


「いいな、丸山さん……」


 思わずため息がもれた。

 稲城さんの恋人の座がうらやましいのではない。部署だ。丸山さんの部署が、うらやましくてたまらない。


 内定時、わたしが希望した配属先は、ダイニング用品部門だった。

 昔から雑貨が好きで、食器や台所用品、テーブルウェアを扱う部門に行きたかったのだ。店舗で顧客ニーズをつかみ、いずれは商品部のバイヤーになるのが夢だった。


 なのに、まったく希望外の青果に配属されるなんて……。

 野菜にも果物にも興味が持てず、与えられた仕事をこなすだけで、もうすぐ一年が過ぎようとしている。

 あまりにもやる気がなく、新人のうちに取得しなければならない、野菜ソムリエの資格試験にも落ちてしまった。


 稲城さんに指示されたものを品出ししてから、わたしは青果の加工場に戻った。

 青果の加工場は、売り場からクルーの顔が見えるハーフオープンキッチンになっている。その並びにはカットフルーツを作るためのクリーンルームがあり、オープンキッチンとクリーンルームの間には、事務作業用のパソコンと固定電話が設置されていた。

 そのパソコンスペースで、直属上司の西川主任が電話をしていた。


「はい、はい! そうですか! はい、もちろんです。よろしくお願いします!」


 よい知らせなのか、西川主任は上機嫌で受話器を置く。振り返った彼の顔は、興奮で紅潮していた。

 仕事に関しては無能だけれど、上辺だけのコミュ力には、そこそこ自信がある。主任が電話の内容を話したくてうずうずしているを見て取り、わたしは水を向けた。


「主任、なにかいいことでもあったんですか?」


 よくぞ聞いてくれましたという様子で、西川主任はわたしに近寄り、声をひそめた。


「じつは、俺、異動の内示が出てさ」

「もしかして、課長昇進ですか?」


 そうたずねると、主任は口元をほころばせて首を振った。


「なんと、異動先は商品部」

「ということは……?」

「そう、バイヤーに抜擢だって」

「えー、すごーい! さすがです!」


 部下のつとめとして、とりあえずおべっかを使ったものの、青果のバイヤーなんて、正直うらやましくもなんともない。


 入社したてのころ、青果バイヤーたちと一緒に、東京中央卸売市場・大田市場に行く研修があった。

 バイヤーは朝真っ暗なうちから市場に行かなければならないし、仲卸や商社、農家との商談で、あちこち飛び回らなければならない。

 そしてスーパーの青果売り場同様、市場では気の荒いひとたちが、怒号を飛ばしあっていた。精神的にも肉体的にもタフでなければ、つとまらない役職だ。わたしにはぜったいむり。


 わたしの「すごーい!」を聞きつけたパートさんたちが、「なになに? どうしたのよ、主任」と集まってくる。

「まだ内示だから内緒だよ」と言いながら、西川主任はパートさんたちにも、電話の内容を自慢げに話した。

 大型店の主任とはいえ、課長職を経験せずバイヤーに抜擢されるのは、異例の大出世だ。主任も嬉しさを胸にしまっておけないのだろう。

 パートさんたちから噂が広がり、明日にはショッピングモール全館に、西川主任の昇進が知れ渡っているにちがいない。


「西川主任の出世はおめでたいけど、後任はどうなるのよ?」


 二十年選手の、古参のパートさんが心配そうに言った。

 全国展開のチェーン店とはいえ、直属上司の人柄しだいで、働きやすさは大きく変わる。

 西川主任は、社員には厳しいけれど、年上女性であるパートさんたちには、まあまあ優しい。

 彼女たちが土日祝に休みたいと言っても、嫌な顔もせずに有休を取らせるし、文句を言われても苦笑いするだけで許してしまう。そして、高身長の爽やかイケメンだということが、パートさんたちの支持を集めていた。


「稲城くんが、持ち上がりで主任になってくれるといいんだけど。あの子、主任資格持ってるでしょう?」


 別のパートさんが言うのを、西川主任はすぐさま否定した。


「それはないな。稲城は資格は持ってるけど、ドリームシティみたいな旗艦店の主任はまだむりだ。まずは小さい店舗で経験積まないと」


 自分では気づいていないのか、西川主任は他の社員に対して、さりげなくマウントをとることがある。

「俺は旗艦店の主任の器だが、稲城はまだ俺の足元にも及ばない」と、言外に匂わせているようなものだ。

 こういう不遜ふそんなほどの自信があるからこそ、西川主任はバイヤーに大抜擢されたのだろう。青果のような男社会では、西川主任みたいなタイプが、偉いひとたちからかわいがられる。

 まあ、青果で出世するつもりのないわたしには、関係のないことだけどね。


「じゃあ、別店舗から主任がくるってことかしら。次も優しいひとだといいわねえ」

「そうね。あんまり厳しいひとだと、息が詰まっちゃう」


 次の主任について、パートさんたちが盛り上がっているのを横目に、わたしは品出しの続きをするべく、冷蔵庫に入った。

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