第12話 修行の成果

「ほら、さっさと入りなさい」


「い、いいい、いいんですか?」


「何してんのよ。この私があんたの背中を洗ってあげるって言ってんのに」


「そ、そそ、その……ちょっと恐れ多くて――――わっ⁉」


 浴室の入り口で立ち止まってしまったユナを、ローズは無理やり引き入れる。

 そして湯船からお湯をすくい上げると、そのままユナにかけた。


「わぷっ⁉」


「これはこれで鍛錬の一つなんだから、遠慮しないで入ればいいのよ」


「はい……」


 髪から水を滴らせながら、ユナは困った顔をした。

 何故二人して風呂に入ることになったのか。

 それは熱を操ることにおいて、水の温度をコントロールできるようになることが一番手っ取り早いのではないかと、ローズが思いついたからである。


「熱を操るっていうのは、要はこういうこと」


 ローズが湯船に腕をつける。

 すると彼女の手の周囲が、ボコボコと煮え立ち始めた。


「今私は、この水の温度を上げながら、熱を手の周りに集めている。湯船の端っこを触ってみて」


「はい……あれ、熱くない」


 恐る恐る湯船の端にある水に触れてみたユナだったが、その冷たさに驚いた表情を浮かべた。

 ローズの手が触れている部分は、依然として沸騰し続けている。

 湯船は広く、全体が熱くなるまでには時間がかかるとはいえ、ここまで冷水と熱湯が分かれているのは、さすがに不自然だった。


「この中では、私が“華炎”を撃つ時に近い原理が働いてる。熱を集めて、手の周りに留まらせているの。多分ある程度感覚を掴むために役に立つと思うわ」


「……分かりました、やってみます」


「ま、その前に体は洗ってもらうけどね」


 そう言いながら、ローズは洗い場を指差した。

 


「あの……やっぱり申し訳ないというか……」


「何言ってんの。こんなのすぐ終わるのに」


 ローズは泡立てたタオルでユナの背中をこする。

 伝説の魔術師――――憧れの存在であるローズに背中を洗ってもらっているという事実が、彼女を委縮させていた。

 

「それにしても細いわねぇ。ちゃんと肉食いなさいよ。魔術師だって肉弾戦ができないと舐められるわよ?」


「そ、そうなんですか⁉」


「ま、元々向いてない奴もいるけどね……私は無理やり鍛えたけど」


「無理やりって……」


「どうしても師匠に勝ちたくてね。魔術の撃ち合いなら互角に持って行けたんだけど、どうしても接近されたら拳一発で沈められちゃうから、仕方なく鍛えたの。……何度も血反吐を吐いたわ」


 過酷な鍛錬を重ね、ローズは今のような体術を身につけた。

 それでもやはり近接を本業としている者たちには敵わないし、彼女の中ではいまだに自分の欠点の一つである。


「すごいです……私、前衛は全部フィルに任せっきりなので」


「あんたら、いつからパーティ組んでるの?」


「二年前に村を出てからずっとです。付き合い自体は……生まれた時からですね。同郷なので」


「ふーん……二年で二級ね。やっぱりあんたら才能あるわ。私ほどじゃないけど」


「ローズさんは……その、十歳で宮廷魔術師になって、十四歳で特級になったって聞いたんですけど……本当なんですか?」


「まあね。私、天才だから」


「すごいです……憧れます」


 魔術師のユナは、宮廷魔術師になるための試験の難しさを知っている。

 さらに特級魔術師の資格を取るために必要な『特級魔術』の難易度も、よく知っているつもりだ。

 これらは、ローズが天才だからで片付けられるレベルの話では一切ない。

 類稀な才能と、寿命を削るほどの努力が必要なのだ。


「私、フィルの役に立ちたいんです」


 顔を伏せたユナが、そうポツリと語る。


「フィルはいつも真っ直ぐで、勇敢で、かっこよくて……ちょっとドジなところもあるし、無鉄砲なところもあるけど……そんなフィルと一緒にいるためには、私がもっと強くならないといけないんです」


 決意表明のような言葉を聞いて、ローズはにやりと笑う。


「もしかして、フィルのこと好きなの?」


「す――――そ、そうですね……そうかもしれません」


「あらら……」


 恥ずかしさのあまり、ユナは茹蛸のように赤くなってしまう。

 やはりローズには恋というものがよく分からない。

 ローズでも、フィルが優秀な男であることくらいは分かる。

 まだまだあどけないところが目立つフィルだが、あと数年もすれば立派な男性の顔つきになるはずだ。

 腕っぷしも強く、仲間を守るためにその身を挺する勇敢さもある。

 しかしローズは、その魅力を理屈で理解することはできるが、感情で理解することはできなかった。


「そういえば……ずっと気になっていたんですけど」


「ん?」


「ローズさんは、どうしてこの辺境の地に住んでるんですか? 宮廷魔術師の任務とか……」


「ああ、宮廷魔術師なら辞めちゃったわ。仕事が忙しすぎて嫌になっちゃった」


「ええ⁉ あの宮廷魔術師を⁉」


 ここに来て、ユナは一番の驚きを見せた。

 何度も言うように、宮廷魔術師は魔術師にとって憧れの存在。

 国から優秀な魔術師だと認められた、これ以上ない証なのだ。

 それを自分から辞めてしまうなんて、本来考えられない話である。


「忙しすぎるのが悪いのよ」


「大丈夫なんですかね……国の方が混乱したりは――――」


「あら、だったらユナが私の代わりに仕事する? よかったら推薦状くらい書くわよ」


「い、いえ! 荷が重すぎるので……」


 ローズの言葉は、とても冗談とは思えない声色で語られた。

 途端に恐ろしくなったユナは、慌ててそれを否定し、話題を逸らすことにした。

 

◇◆◇


 ローズが条件として提示した二泊三日の最終日。

 二人は各々の成果を見せるため、ローズを連れて森を歩いていた。


「いきなり実戦で大丈夫なわけ?」


「はい。実戦じゃないと意味ないですから」


「ふーん」


 はっきりと言い切ったフィルは、どこか自身に満ち溢れた表情をしていた。


「……フィル、来るよ」


 ユナがそう言うと、向こうの方から地響きが聞こえてきた。

 やがて現れたのは、二日前には敗走を余儀なくされた一級モンスター、サウザンドサーペント。

 目の前の人間を獲物と見なしたサウザンドサーペントは、戦闘態勢に入ったフィルとユナを睨みつけた。


『シャアアアアア!』


「ユナ、行くぞ!」


「うん!」


 二人はすでに作戦も話し合っていた。

 まずフィルが飛び出す。

 彼が前衛を張っている間、ユナは杖を掲げ、自身の周囲に炎を展開した。


(最初に炎をばら撒いた? ……面白そうじゃない)


 ユナの意外な行動を見たローズは、新たな魔術理論が見つかる瞬間を予感し、楽しげに笑う。


「こっちだ! 化物蛇!」


『シャアアァァアアア!』


 飛び出してきたフィルに、サウザンドサーペントのヘイトが向かう。

 丸のみにしようと迫ってくる蛇の大口を前に、フィルは剣を振り上げた。


「ふっ――――」


 フィルが振り下ろした剣は、サウザンドサーペントの頭部を縦に切り裂いた。

 サウザンドサーペントの悲鳴が響く。

 “腕力強化パワーゲイン”を施した時と同等の威力を、彼は全身の“魔力強化”によって一人で実現することに成功した。


『シャアァアアアアァァ!』


 サウザンドサーペントは尾を持ち上げ、真っ直ぐフィルに向けて叩きつけてくる。

 初めは反応すらギリギリだった尻尾の動きだったが、全身強化によって体の頑丈さも向上し、精神的に大きな余裕が生まれたことで、あらゆるものが鮮明に見えていた。

 

「はぁああああ!」


 気合と共に、フィルは剣を振る。

 すると、サウザンドサーペントの尾が宙を舞った。


「あのぶっとい尻尾を刎ねるとは、フィルもやるじゃない」


 素直に感心した様子を見せたローズは、手を叩いて称賛した。

 サウザンドサーペントの外皮は、生半可な一撃を通さない。

 それを断ち切るなんて芸当は、ローズですら魔術を用いなければ不可能だ。


「フィル、下がっていいよ」


「おう!」


 のたうち回るサウザンドサーペントから、フィルは距離を取る。

 それを指示したユナは、さらに高く杖を掲げた。



 

 

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