第10話 鍛錬開始

 ヴェルデシア王国において、最強の魔術師の名を挙げろと言われたら、ほとんどの者がローズ=フレイマンと、その師であるエルドリウスの名を挙げるだろう。

 誰もが憧れる最強の魔術師。

 その一角から魔術を教えてもらえると分かり、ユナは興奮を隠しきれずにいた。


「身体能力はアレだけど、あんたの魔力からはいいものを感じる。練習は必要だけど、多分あんたなら扱えるわ」


 ローズは指を天に向け、その魔術の名をつぶやく。


「“一分咲きアインスブルーム”――――“レッドロータス”」


 新居を破壊したギガントベアを葬った、ローズのオリジナル魔術、“華炎かえん”。

 その中の一つ、“レッドロータス”は、花弁のような火の粉を指の先に収束させ、超高火力の火炎弾を放つ技。

 “華炎”という魔術は、この技がすべての基本となる。

 ローズが指を弾けば、完成した火の玉は少し離れた地面へと着弾した。

 あまりにも高く上がった赤黒い火柱を見て、ユナとフィルは唖然とする。


「炎を集めるというより、熱を凝縮するイメージかな……そこが炎魔術と違うところね。じゃ、やってみて」


「え⁉」


「え?」


 信じられないという顔をしているユナを見て、ローズは首を傾げる。

 反対に、説明したのだからもうできるだろうという顔をしているローズを見て、ユナは言葉を失った。


「……なんか変なこと言った?」


「あ、いえ、その……すみません、熱を集めるイメージがどうしても湧きません」


 ユナは素直に謝罪した。

 炎を凝縮するという話ならば、まだ理解できる。

 魔術で生み出した炎は、術師の練度次第ではあるものの、ある程度操る感覚というものが存在する。

 しかし熱を操るという話は、まったく聞いたことがない。

 それもそのはず。

 誰も触れたことのない概念に手を出したからこそ、“華炎”はローズのオリジナル魔術なのだから。


「うーん……炎って熱いでしょ? その熱の部分を、とにかく増幅させるのよ」


 ローズは、それぞれの手で異なる色の炎を生み出す。

 片方は暖炉などでよく見る色の炎。

 そしてもう一つは、ローズが“華炎”を撃つ際の真紅の炎。

 こう見ると、色だけでも大きな違いがあることが分かる。

 

「こっちの普通の炎を、凝縮しながらさらに火力を上げれば――――」


 普通の色をしていた炎が、徐々に深い紅になっていく。

 これで両方の炎が、真紅に染まった。


「……俺には全然分かんねぇ」


 胡坐をかいて地面に座り込んでいたフィルは、諦めた様子で肩を竦めた。


「なんとなく……なんとなくですけど、分かりました」


 何かを掴んだ様子のユナが、炎を見つめながらそう告げた。

 ローズの教え方が悪いというのもあるが、いまだかつて“華炎”の仕組みを理解し、再現できた者は一人として存在しない。

 師であるエルドリウスであればあるいは――――とローズは考えるが、弟子の魔術を真似するなんて芸当を、あの憎たらしい男はやらないだろう。

 現状、ユナが本当に仕組みを理解したのかは分からない。

 しかしもし、彼女が“華炎”を再現できたなら、人知れず歴史的な快挙を達成する可能性が大いにある。


「ふあぁ……じゃあまあ、そんな感じで。二人とも、精々頑張んなさい」


 あくびを一つ挟んだ後、ローズは指を鳴らす。

 するとフィルを包んでいた炎が再び灯り、彼の苦悶の声が辺りに響くことになった。


◇◆◇


「はぁ……はぁ……」


 炎に包まれたまま、フィルが森の中を駆ける。

 なんとも違和感のある間抜けな光景だが、彼の体は想像を絶する苦しみを味わっていた。


(きつい……! 全身強化をかけてないと、足が止まっちまう……!)


 フィルは今、己の体を魔力で包んでいた。

 そのおかげでかろうじて動けるようになったのだが、これがどこか一部でも強化が疎かになった途端、悶絶するほどの痛みがその部位を中心に広がる。


(息が全然吸えねぇ……あっ)


 熱気によって、中々呼吸も定まらない現状。

 酸素不足によって一瞬意識が揺らぎ、フィルは木の根に躓いてしまう。


「ぐっ……!」


 なんとか転ばずに済んだものの、体勢を立て直すのに必死になりすぎて、“魔力強化”が解けた。 

 その瞬間、全身に耐えがたい痛みが走る。


「あつ……!」


 ローズの炎は、的確に熱によるダメージだけを与えてくる。

 彼がたとえ木に寄りかかったとしても、彼女のコントロール下にある炎は燃え移らない。

 今彼を包んでいる物は、極めて炎に近いが、炎ではない何かだった。


「はぁ……はぁ……くそ、まだ半周もできねぇ」


 炎が収まっていく。

 それと同時に、フィルは地面に転がり天を仰いだ。

 彼の魔力が尽きると、炎は自動的に消えるようになっている。

 再び灯る時は、フィルが全身強化を施した時だ。


(ダメージを受けないために全身を無理に強化すると、魔力を一気に持っていかれる……必要なのは、体をほどよく均等に強化し続けること)


 魔力の回復を待つ間、フィルの頭にあの絶望的な光景がよぎる。

 サウザンドサーペントとギガントベアに囲まれ、彼は死を覚悟した。

 あの時ローズが現れなかったら、間違いなく二人とも死んでいただろう。


「もっと強くならなきゃ、ユナを守れない……」


 悔しさのあまり、フィルは拳を痛いほど握りしめる。

 今はとにかく、ローズに言われた鍛錬を積むしかない。

 浅い呼吸を整え、フィルは魔力の回復に努めることにした。


◇◆◇


「炎を……凝縮……」


 ローズの家の近くにある水辺で、ユナは魔術の鍛錬を行っていた。

 彼女が杖を掲げれば、空中に巨大な炎の塊が現れる。

 轟々と燃え盛る炎は、ユナが念じる通りに少しずつ小さくなっていき、やがて人の頭部程度の大きさになった。


(やっぱり色が変わらない……これじゃ何かが違うんだ)


 ユナはその炎を、近くの岩に向かって放つ。

 炎は岩に直撃したものの、その表面を焼き焦がす程度にとどまった。

 ローズの“華炎”と比べて、明らかに威力が落ちている。


「これじゃ火を凝縮しているだけ……熱はそのまんま」


 ローズの炎は、もっと熱く、そして綺麗な色をしていた。

 あれからいくつかやり方を試したが、ユナの炎はまったくそれに近づかない。

 すでに彼女は、根本的に自分のやり方が間違っているのだと悟っていた。


「もっと何か……違うやり方を……」


 そう言いながら、ユナは服の首元をパタパタと動かし、熱気を逃がした。


「……いつの間にこんなに汗を」


 集中していて気づかなかったが、ユナの体はじっとりと汗をかいていた。

 それもそのはず。

 彼女は先ほどから高火力の炎を、近くの岩にぶつけ続けていたのだ。

 岩は炎に焼かれ、強い熱を帯びている。


「あ……もしかして」


 額の汗を拭い、ユナは再び杖を掲げる。

 何かに気づいた様子の彼女は、何故か自身の周りを火で囲った。


◇◆◇


 一方その頃、ローズはというと――――。


「一応客人なわけだし、もてなしくらいはしないとね」


 そんなことを言いながら、彼女は自家製のスープをかき混ぜる。

 鶏で取った出汁に、野菜の甘味。そこに加工肉から溶け出した塩気が合わさり、濃厚なうま味が感じられるスープになっていた。

 ここまではいいのだ、ここまでは。


 ローズ=フレイマンの悪癖シリーズ。

 一つは、どんな物にでも唐辛子フレークをかけること。

 そしてもう一つ――――。

 自分の料理に自信を持っている彼女は、それを他人に食べさせようとする。

 アルフのように、ローズの料理を知っている者は、食卓に招かれる前に避けることが可能だ。

 いや、もしかすると、空気中に漂う辛み成分に気づくことができれば、初見でも避けることはできるかもしれない。

 しかし、たとえ気づいたとしても、ただでさえローズに対して恩義を感じている二人が、出された料理を無下にすることはないだろう。

 フィルとユナ。

 若き天才である二人は、果たして明日を無事に迎えることができるのだろうか。

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