第7話 狩りの時間

「うーん……」


 アルフが来てから数日経ったある日のこと。

 朝食を作ったローズは、目の前の料理を眺めながら小首を傾げた。

 

「なんかパッとしないんだよなぁ」


 ベーコンと目玉焼き、そしてパンケーキという一見まともな朝食だが、それらには相変わらず大量の唐辛子が振りかけられていた。

 しかしローズにとって、問題なのはその唐辛子ではない。

 土台となる自分で作った料理たち。これらの味が、どうにもしっくりこないのだ。

 そもそも味を感じるのかという疑問は、この場においてはスルーする。


「飽きちゃったのかな……まあ、毎日こればっかり食べてるんだから、仕方ないか」


 料理を楽しんでいたローズだが、明らかにレパートリーが足りていなかった。

 楽しい娯楽も、同じことが続けば作業になってしまうもので。

 そろそろ新メニューを考案しなければ、味にも、終いには料理すること自体に飽きてしまうかもしれない。

 

「……魔物の肉って、美味しいんだっけ」


 ここでふと、ローズの思考が突拍子もない方向へ飛んでいく。

 ローズの記憶の中に、魔物の肉を好んで食べる冒険者がいるという情報があった。

 実際に彼女自身が食べたことはないが、食べたがる人間がいるということは、それなりに魅力があるということ。

 少なくとも、ローズのマンネリを解消するために一役買ってくれそうな気配がある。


「よし、狩りに行こう」


 思い立ったが吉日。

 ローズは魔力袋だけを腰に下げ、家を飛び出した。


◇◆◇


「はぁ……はぁ……大丈夫か! ユナ!」


「う、うん……!」


 辺境の地を、冒険者らしい格好をした二人の男女が駆けている。

 彼らの表情はひどく引き攣っており、とてもまともな状況には見えない。

 

『シャァアアアアァァアア!』


「くそっ……追いついてきやがった……!」


 二人を追いかけているのは、巨大な蛇だった。

『サウザンドサーペント』――――。

 千年生きると言われている、家屋すら丸呑みできるほどの巨体を持つ蛇である。

 魔物としての位は、一級。

 辺境に住まう魔物の中でも、上位の強さを持つ。


「っ……やるしかないか」


「フィル⁉」


 フィルと呼ばれた青年は、その場で足を止めて振り返る。

 着実に距離を詰めてくるサウザンドサーペント。

 まるで山が追いかけてくるかのような威圧感に、フィルは全身が震えあがる感覚を覚えた。


「どのみち一級冒険者に上がるには、一級の魔物を討伐しないといけないんだ! ユナ! 戦闘準備!」


「う、うん……!」


 剣を構えるフィルと、杖を構えるユナ。

 二級冒険者である彼らは、一級に上がるための試験に合格すべく、この辺境の地を訪れた。

 試験の内容は、一級モンスターの討伐。

 ここで相手を選んで逃げているようでは、胸を張って一級冒険者は名乗れない。

 

「ユナ! バフを頼む!」


「うん! “腕力強化パワーゲイン”!」

 

 フィルの体が赤いオーラに包まれる。

 ユナの魔術、“腕力強化パワーゲイン”は、文字通り対象の腕力を数倍にする。

 さらにフィル自身が“魔力強化”をかけることで、彼の腕力は限界を大きく超えた。


「うおぉぉぉおおお!」


 突進してきたサウザンドサーペントに対し、フィルは地面を蹴って跳び上がり、魔力を纏わせた剣を振り上げる。

 サウザンドサーペントの頭に向かって振り下ろされた剣は、外皮を切り裂き、肉を断つ。

 しかしそれだけでは、一級モンスターは止まらない。


「っ! 浅かったか!」


『シャァァアアアアアアッ!』


 サウザンドサーペントは怒りの声を漏らし、体をうねらせる。

 フィルの一撃は、サウザンドサーペントの脳天からわずかにズレていた。

 彼が威圧感に押され、ミスをしたのか。

 それともサウザンドサーペントの危機察知能力が働き、回避行動を取ったのか。

 真相は分からない。

 ただ一つ分かることは、フィルという未来ある若者の命が、これ以上なく危険に晒されているということ。


「フィル……っ⁉」


「っ!」


 サウザンドサーペントの太い尾がフィルに迫る。


「かっ――――」


 空中にいるせいで身動きが取れなかったフィルは、横なぎに襲い掛かってきた尾をまともに食らってしまった。

 巨大な丸太に匹敵する尾に殴られた彼の体は、大きく吹き飛び、そして生えていた木々を何本かへし折った後、太い木に叩きつけられてようやく止まる。

 

「フィル! フィル……!」


 彼の元に駆け寄ろうとするユナだったが、彼らに対し強い怒りを覚えているサウザンドサーペントがそれを阻む。

 目の前に立ち塞がった巨体を前にして、ユナは恐怖のあまり後ずさった。


「あ……ああ……」


『シャァアアアア』


 元々このサウザンドサーペントは、食料を求めて二人のことを追いかけていたのだ。

 負傷もしたが、これでようやく目的を果たせる。

 大きな口を開けて、サウザンドサーペントは目の前の脆弱な人間へと飛びついた。


「――――させるかぁぁあああ!」


 飲み込まれる直前、先ほど吹き飛ばされたはずのフィルが、ユナの体を抱きかかえて地面を転がる。

 先ほどまで彼女がいた場所を、サウザンドサーペントの顎が通過した。

 

「フィル⁉ 体は……」


「全身バキバキだけど、まだやれるさ……!」


 プルプルと震える腕で、フィルは剣を構える。

 どうやら左腕が動かなくなってしまったようで、普段は両手で持つ剣を、無理やり片腕で支えていた。

 さらには頭部から滴るほどの血を流しており、他にも異常な点がいくつも見られる。

 明らかに満身創痍。

 しかし、立っているだけでもやっとな状況で、依然フィルの瞳には闘志が宿っていた。

 一級冒険者に上がるため。

 そして、仲間であり、幼馴染でもあるユナを守るため、彼はここで折れるわけにはいかないのだ。

 

 ――――ここから、彼らはさらに絶望的状況へと追い込まれる。


『ぐおぉおおおおお!』


「「……え?」」


 彼らの後方から木々を薙ぎ倒しながらギガントベアが現れた。

 いつの間にかギガントベアの縄張りに入り込んでしまったようで、二人は瞬く間に一級モンスターたちに挟まれてしまう。

 進むも地獄。退くも地獄。

 

(これは……駄目だろ……)


 フィルの瞳から闘志が抜けかける。

 

(――――いや)


 歯を食いしばり、フィルは剣を握り直す。

 残った方の腕も、もうほとんど力が込められない。

 それがどうしたと、フィルは自分を鼓舞した。


「ユナ……お前だけは、必ず俺が守るからな」


「フィル……!」


 フィルが死ぬ気だと理解してしまったユナは、瞳から涙を溢れさせた。


「いやだ……! 私も戦う!」


「ユナ……」


「フィルを置いてくなんて嫌!」


 フィルは自身に縋りつくユナの手を握る。

 同じ村に生まれ、二人で特級冒険者になるという夢を掲げてここまで来た。

 今更一人で散ろうだなんて、それはあまりにも薄情というもの。


「……分かった。ずっと一緒だ」


 魔物が迫る。

 覚悟を決めたフィルは、震える腕でユナの体を抱きしめ、その時を待った。


「あ、いたー!」


 しかし、そこにまたしても新たな乱入者が現れた。


「フィル……あれ……」


「まさか、人……?」


 彼らの視線の先には、赤い髪の女が立っていた。

 十六歳である彼らよりかは、少しばかり年上だろうか。

 彼女はスキップしながら、フィルたちの方へと近づいてくる。


「っ! 来るな! こいつらは一級の――――」


「知ってる知ってる。だから来たんだから」


「え?」


 フィルの視界から、女が消える。

 そして次の瞬間、彼女は二人の目の前に立っていた。


「この魔物たち、ちょっともらっていい?」


「え……あ、ああ……」


「よかった、ありがと」


 赤髪の女は、にこやかな笑顔を二人に向ける。

 そしてその身を翻し、二体の一級モンスターを見比べた。


「さーて、一狩りしよっと」


 そう言いながら、ローズ=フレイマンは拳を鳴らした。

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