第25話 陽菜の苦悩
午後の授業も終えて放課後になると、空模様は一変し、今にも雨が降りそうだった。
とはいえ、通学路の殆どがバスでの移動であるから、私達はバスが混み合う時間を避けるために暫く教室にいた。
「そういえば、唯って私を呼び捨てにしたいって言ってなかったっけ?」
「そういえば……。だから私を呼び捨てにして、それで陽菜に変んな誤解を生ませたのに……」
「いやー、なんかそれしちゃうと関係性が崩れちゃいそうで怖いの」
「だったら、美夜子を呼び捨てにするのやめなよ」
「美夜子はなんか呼び捨ての方がしっくりくるのよね……多分、陽菜ちゃんがそうしてるからだろうけど」
「じゃあ私、美夜子ちゃんって呼ぶ」
私がそう言うと、美夜子は明らかにショックを受けたような反応を見せた。
「え……。じゃあ私も、陽菜ちゃんって呼べばいいの?」
「あはは!なんか違和感!」
「もう、二人でいちゃつくのやめてよね」
唯はそっぽを向くと、スマホを弄り始めた。
暫く私と美夜子はいちゃついていると「陽菜ちゃん!大変だよ!」と唯は声を荒げた。
「どうしたの?」
「これ……」
芸能ゴシップを扱う雑誌のweb記事。
私と誰かがキスをしている写真が掲載されていた。
「これ……私?」
美夜子は少し慄きながらそれを見ていた。
「なんか背の高さから男っぽくされてるけど……場所的に美夜子以外ありえない」
【元人気子役、活動休止は恋愛の為か!?】と銘打たれた記事。私はすぐに事務所に連絡をした。
事実確認のヒアリングを受けて、なんとか事務所としては否定してくれる事となった。
「本当、パパラッチってどこにでもいるんだ……」
「最近では素人が撮った写真を買い取ったりしてるらしいし……」
念の為、SNSを見てみると「咲洲陽菜の制服姿、可愛い」だとか「相手の人、女の子じゃない?」など、何故か好意的なコメントばかり流れてきた。
ある程度加工されていたおかげで、学校の特定まではされなかったが、私はどうであれ、美夜子に何かあったときに、私は冷静ではいられないだろう。
「……美夜子、これからは気をつけよう。週末、アウトレット行くのもやめよう」
「陽菜……」
「じゃないと、美夜子に迷惑が掛かっちゃう。それからだと遅いから……帰りも、別々の方がいいかも」
私は鞄を肩に掛けると「じゃあ、私先に帰るから」と教室を後にした。
いつもと違う帰り道。私は、事務所に寄ることにした。
「あら……陽菜ちゃん。思ったより早かったじゃない」
「すみませんいきなり……」
「いいわよ」
今の私の担当をしてくれている佐竹佳織。
正直、この人もタレントじゃないかってくらい美人で透き通った声をしている。
「とりあえず、会議室空いてるから、そこで話しましょう」
「ありがとうございます」
私は佐竹さんの後について、久しぶりに来た事務所内を歩く。
「社長……」
「いいから早く入れ」
社長の黒部勉も会議室に入ると、突然三者面談のような空気になった。
「まず……写真の相手だが、俺が見るに女の子だと思うんだが」
「はい。同級生、クラスメイトの立山美夜子って子です」
「そうか」
社長は眉間の皺を緩めることなく、そのままため息を吐いた。
「で、キスをするほどの仲なのか?」
「一応、付き合ってます」
「付き合ってる?」
「恋仲ということです」
社長は出されたコーヒーを一口飲むと、何故か少し安心していた。
「そうか……陽菜もそう言う歳になったか」
「社長、なんだかお父さんみたいですね」
「まあ、小さい頃から見てるからな」
佐竹さんは議事録を取るようにずっとノートパソコンに向かってカタカタとタイピングをしていた。
「今時……なのか? 女の子同士って」
社長は隣に座る佐竹さんに問う。
「さあ……昔から似たようなのはあったと思いますけど。少なくとも、多数派ではないかなと」
「そうか……」
社長は安堵じみたため息を吐くと、私を少し優しい目で見た。
「学校は楽しいか?」
「はい……それなりに」
「そうか……」
「もう社長、ちゃんと話してあげてくださいよ」
「いや……そのだな……この前、バスケ部の取材に行ったと思うが……実はあの時、様子を見に行こうと思ってな。そしたら、陽菜の方から来たから驚いたよ」
唯が最初に来た時のことだ。
確かあの時は唯に引っ張られて、現場に行った気がする。
「俺は……私生活など関係なく、陽菜の仕事を取ってきていた。そして活動休止という選択肢を選ばせてしまった。唯もそうだが……」
「きっと私にも唯にも、必要なことなんですよ。一度、立ち止まって周りの景色を見ることが」
「陽菜ちゃん……あなた本当に高校生なの? 人生二周目みたいなこというじゃない」
私はそれを聞いて笑うと「高校生ですよ」と制服を見せびらかした。
「正直、今までこの弱小だった事務所を支えてくれていたのは陽菜だった。ここまで大きくしたのもそうだ。俺は、不安で焦っていたのかもな……唯にも悪いことした」
私の代役というプレッシャーに負けた唯。私は唯なら出来るだろうと思っていたが、そうではなかった。
結果、ああ言うことが起きて私達の関係に亀裂が入ったかに思われたが、案外普通だった。
「……よかったらその立山美夜子さんをここに連れてきてくれないか?」
「ど、どうしてですか?」
「ちゃんとどういう人間か見ておきたい」
「正直に話すと、ルックスだけでいえば私より上だと思います。肌も白いし胸も大きいし、背も高い。それに合気道を昔からしてるので強いし……」
私が美夜子のことを話すと社長は高笑いをし「いっそのこと、会いたくなったよ」と言った。
「合気道で立山というと……もしかして」
「あ、そうです。立山道場の……」
佐竹さんはハッとしてスマホを弄り始めた。
「もしかしてこの子?」
「あ、そうです」
話を聞くと佐竹さんは、玖美子さんと知り合いらしく、学生時代に美夜子と遊んだこともあるらしい。
「世間って狭いですね」
「そうね」
「なあ言い辛いんだが、俺も健一郎とは学生時代鎬を削りあった仲なんだが……」
「社長も!?」
「なんで最初に言わないんですか!」
私と佐竹さんが詰め寄ると「同じ名字なんて五万といるだろう!」と社長は言った。
「確かに、娘の話は何度か聞いたことはあるが……」
確かに、美夜子は別に芸能界志望というわけではないから、コネを使う必要はないし、会わせる必要性もない。
各々、一口コーヒーを飲んだところで、社長は話題を変えるように一つ咳払いをした。
「なあ陽菜。戻ってくる気にはならないか?」
「……正直、まだですね。最初のお約束通り、最低高校卒業までは……お願いします」
私が頭を下げると「いやいや、頭を下げるのはこちらの方だ」と社長は私に向かって首を垂れた。
「元はうちの社員が原因で、陽菜の家庭を壊してしまった……」
「それは……もう和解成立したじゃないですか。お陰で今までの貯金とその慰謝料とで生活できるんですから」
「確か……私の前任の宮原さんが……」
「ううんっ!」
「失礼しました」
佐竹さんが話そうとすると、社長がそれを止めるように咳払いをした。
「いいですよ。済んだ話ですし、私達ももう慣れましたから」
「そうか……。でも、あの出来事が休業のきっかけだったからな……」
「まああの時は正直、事務所も……社長も信用できなくなりましたから」
「そうだろうな……」
まだ鮮明に思い出せる。
父の不倫相手がまさか、自分の担当マネージャーだとは思わなかった。
というか、そもそも父に不倫をする度胸があるとも思わなかった。
家庭では仲睦まじい夫婦で、いつも笑顔が絶えなかった。
だが、中学二年の終わり頃、父はいきなり私とお母さんの前で土下座をした。
まずは離婚を申し出て、そしてその理由を告げ、そしてその相手を述べると、私は父の顔を蹴飛ばした。
知る限りの言葉で罵って、私は事務所に連絡をして、早急に話し合いの場を作ってもらった。
思えばあの話し合いも、この会議室だったのではなかっただろうか。
「だから、うちから無理矢理復帰してくれとは言えない。そして、陽菜の好きな時に復帰させる。この前みたいに、本当にできる範囲で仕事をしたりもあり。これがうちが付ける落とし前だ」
「そういえば、阿良川監督の作品のオファーは通せと引き継ぎにありましたね」
佐竹さんがそう言うと「阿良川監督は本当にお世話になったんで……丁度揉めた時に」と、私は答えた。
「なるほど……でも阿良川監督、体調崩されてましたよね?」
「そうなんですか?」
「ああ……ガンとか聞いたな。一応、そこまで悪いものではないと」
「できればお見舞いに行きたいんですけど……」
社長にそう頼むと「わかった。なんとかしてみる」と返答をもらった。
「まあ話が脱線したが、まず週刊誌の件はさっきの話の通りで動こう。健一郎にも話しておく。それから、今度来るときは唯も連れて来てくれ。あいつ、スケジュールすら取りに来てないからな」
「わかりました」
「そうそう、陽菜ちゃんにこれ。溜まってたファンレターとプレゼント。もちろんだけど、封は一度開けてある。プレゼントも持ち帰れるものだけピックアップしてあるから。まあ持ち帰れないものは……」
「一応、目は通します」
「と言うと思って隣の会議室に保管してるわ」
私はそれらを確認して、帰宅することになった。
「俺はこれで」
社長はそう言うと、社長室へと戻っていった。
「それじゃあ……」
隣の第二会議室に入ると、段ボールの山がどっさりとあった。
「えっと、こっちが持ち帰れる物」
「めちゃくちゃある……あ、これ欲しかったやつだ」
「で、これが
そこには写真で残ってる花や生菓子。もちろんだが、ガイドラインで定めてある範囲外のプレゼントは原則受け取り不可だ。こういった生物、特に食べ物類は当然そうだ。
中にはそれを承知で送ってくるファンもいる。
「すみません、場所と労力を奪っちゃって」
「いいのよ。あ、こっちの紙袋がファンレター」
「ありがとうございます」
「んー持ち帰りの方は全部持って帰るなら後日宅配便で送ろうか?」
「あ、助かります」
そう言うと、私は紙袋だけを手に帰路についた。
「また、美夜子の都合のいい日にご連絡します」
「ええ、頼むわ」
私はエレベーターに乗り込み一階へと降りる。
「ちょっと待て!」
「社長?」
「家まで送る。もう暗いからな」
外は確かに夜もどっぷりといった時間だ。
だが、別に通い慣れた経路。簡単に帰ることができるが……。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
社長の赤いMAZDA RX -7の助手席に乗り込む。
「だいぶ年季入ってますよね。この車」
私は何度もこの車で送ってもらったことを思い出していた。
「最近じゃ燃料代よりメンテナンス代の方が高くついてるがな……なかなか手放せんよ」
社長にとっても思い出深いのだろう。撫でるようにハンドルを摩ると、エンジンを掛け、発進した。
流石にルーフは閉めっぱなしで走る。
「まだ陽菜の顔が指す前は、開けられたのにな」
「そうでしたね。社長、私が喜ぶからいっつも途中で開けてましたよね」
「陽菜がせがむからだよ」
自宅までの道のりも、社長はナビなしで難なく辿れている。
自宅マンションの下に車は停まり、社長は最後に「唯のこと、頼むな」と言い走り去って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます