第15話 未来の《サッカーの女王》と《氷結女帝》の恐るべき舌戦――戦いは既に始まっているのだ――!

 ひょんなことから並んで歩くことになった、決勝戦の対戦相手同士である、栄海さかみ奈子なこ霧崎きりさき氷雨ひさめだが――ここで、が二人を襲う。


 気まずい空気で歩き続けていた二人が、ほぼ同時に各々おのおのの部屋の前で立ち止まる。


「……………………」

「……………………」


 、だったのだ。


 明日、決勝戦で優勝を争うことになる、両選手の部屋は。


 ―――だったのだ―――



 ……これは関係ない話ではあるが、現時点で既に、内心で若干キレ気味の奈子が、後に大会の運営に問い合わせたところ――次のような答えが返ってきたという。


『じょ、女子同士だし、同じ競技の選手同士だし、話とかはずむと思って……』

『な、仲良くなってくれたらいいなって思って……』

『ゆ、百合とかすごい好きで……』


 途中まではギリ納得していた奈子だが、最後の奴でキレて――その後どうなったかは、想像にお任せする。



 さて、余談はここまでとし、既に頭痛がしている奈子が、あまりにも気まずい空気の中、部屋に入る前に挨拶だけしておこうと氷雨へ声をかけた。


「あ、あの……それじゃ、失礼しますね。霧崎氷雨さん――」


「―――氷雨でいいわ」


「………えっ?」


 思いがけぬ返しに戸惑う奈子へと、氷雨はため息を吐きながら続ける。


「はあ……アナタね、いちいち人のこと、フルネームで呼び続けるつもり? 面倒くさいでしょ。こっちだって、鬱陶うっとうしいわよ。だから――」


「あ、そ、そうですよね。……で、でもまあいきなり、っていうのもアレですし……じゃあ、霧崎さん――」


 さすがにいきなり名前で呼ぶのもな、と気をつかった奈子が、姓で呼ぼうとすると――氷雨が提案したのは。


「どうしてもというなら、氷雨か……《氷結女帝ブリザード・エンプレス》とでも呼びなさい」


「氷雨さん、氷雨さんで。絶対、氷雨さんのほうで呼ばせて頂きますね」


「ッ―――〝氷雨さん〟だなんて、随分と馴れ馴れしい呼び方じゃないっ!」


「もしかして物凄く情緒不安定な人だったりします?」


 ツッコむ奈子だが、苛立たしそうに声を上げた氷雨が続けて言う。


「ふんっ、勘違いしてほしくないから、釘を刺しておくけれどっ……アタシは普段、友達とか全然いないし、人付き合いの距離感とか全くわからないんだからねっ!」


「すみません、ビックリするくらい納得できてしまいました。納得できてしまったことに、本当にすみません」


 陳謝ちんしゃする奈子、だが〝フォローしないのもなあ〟〝なんだかなあ〟という割かし、な思いから、話を続けた。


「で、でも……友達が全然いない、っていうのは意外ですね。や、同性に言われても嬉しくないと思いますけど……氷雨さん、美人なのに――」


「!? は……はあっ!? ッ、なるほど、そうやって油断を誘っているワケね……戦いの前に揺さぶりをかけるなんて、大した策略家だわ! フンッ、こっちを見ないでよっ! ……い、今、顔、赤いから……み、見ないでってばっ!」


(あっ何か可愛いな、この人。クールそうに見えるのに。まあ話してると、そんな感じでもなくなってきたけど)


《氷結女帝》の氷だか何だかが、またたく間に溶けている気がする奈子であった。


 ――が、気を取り直したのか、氷雨が咳払いしつつ言葉をつむぐ。


「こ、こほんっ。……そんなことより、アナタ……栄海奈子」


「あ……私もその、奈子でいいですよ、氷雨さん」


「!? だっ……だれが心の友よ! 今日会ったばかりで、図々ずうずうしいわねっ!」


「別にそこまで言ってませんけど……」


「と、とにかく! その…………な、奈子」


(呼ぶんだ……)


 若干たどたどしくだが、奈子を呼んだ氷雨が問いかける、本題とは。



「アナタ、あの―――木郷きざと晃一こういちのこと、どう思っているの―――?」


「えっ?」



 思ってもいない質問に、少しだけ考えた奈子が――1秒後(つまりすぐ)に出した答えは。


「ロクにコーチングしてくれないくせに、人にコーチとか呼ばせる、文句なしの変人だと思ってますけど……」


「なるほど、奈子は……ツンデレ、というやつなのね」


「絶対に違いますし、デレとかないです」


「ひっ」


 やや語気が強い奈子に、少しだけ面食らっている気がする氷雨――そう、これは恐らく、未来の《サッカーの女王》が放つ気勢に、気圧けおされているのだろう。


 間違いない。


 しかし《氷結女帝》もる者、負けじと話を……いや舌戦ぜっせんを繰り広げた。


「そ、それじゃ……コーチとして、以外では……どういう関係で、どう思っているのかしら? その、人として、というか……」


「――――――――えっ?」


「お、男の人として、とか……べっ別に深い意味とかないけれどね!? か、勘違いしないで……あら? 奈子?」


「…………………………」


 先ほどの即答とは違い、沈黙してしまう奈子――明らかに、様子がおかしい。


 なるほど、これは質問に見せかけた、氷雨の策謀――あえて難解な問題を投げかけることで、奈子と晃一の間にある師弟の絆に、揺さぶりをかけているのだ。


 常在戦場とは、まさにこのこと――サッカー台の前にあらずとも、サッカー選手(袋詰めする方の)は、常に戦いの渦中かちゅうにある。


 これぞ、決勝戦まで生き抜いた者たちの、恐るべき舌戦なのだ―――!!


 間違いない。


「あ、あの、奈子? 大丈夫? あ、アタシ、そろそろ部屋に戻るけど……気分とか悪かったら、水とか持ってくるけど、そのっ」


 氷雨は何やら慌てふためいているように見えるが、これも恐らく策略の内なのだろう、間違いない。


 と、ぼんやりとしていた奈子が、若干気の抜けた声で返す。


「……あ、はい。大丈夫、です。その……じゃあ部屋、戻りますね。おやすみなさい、氷雨さん。………………」


「あ……う、うん! じゃ、じゃあ明日、決勝戦で……お、おやすみなさい」


 まるでコミュニケーション下手べたの如く、ちょっぴりキョロキョロしながら、部屋へと戻っていく氷雨。


 一方、奈子もうつろな表情で、ようやく部屋へと戻っていった――……


 ▼  ▼  ▼


 一人用としては豪華に過ぎる部屋は、備え付けの浴室とて、思い切り足を延ばしても浴槽の端に届かないほどである。


 入浴好きの奈子は、いつもなら、こればかりは喜びそうなものだが――しかし。


「………………………………」


 氷雨に質問された直後の、ぼんやりとした状態のまま――奈子は湯船で、考え事をしていた。


(……コーチさんのことを、どう思ってるか、って。そんなの。…………)


 生まれたままの姿で、少し熱めの湯に漬かり、小さく滑らかな手でパシャパシャと水面を弾きつつ。


(そもそも、出会ってまだ一日目ですし、わかりませんよ。ていうか、そんな人にこんな所まで連れてこられて、コーチングもロクにしてくれず、よく分からない世界に叩き込まれて! う~、考えたら、腹が立ってきましたっ。……でも)


 浴槽のへりから、ほっそりとした手を伸ばし、だらん、と力なく垂らす。と濡れた肌は、うるおつやめいていた。


(……そんな変な人に、何で私、こうして、ついてきちゃったんでしょうか……文句を言いながら、結局、帰ろうともせず……)


 物思い、悩みにふける横顔は、湯船の温度で上気し、上品な顔に不思議な色気を添えており――……

 ……ところで、わざわざ入浴シーンを挟んだのは、趣味である。


(私にとって、コーチさんは……一体、、って。………それは。……それは?)


 入浴シーンを挟んだのは、趣味である(大事なことなので二度)


「……う゛~~~~~~~~~~~~~~ん……?」


 とにかく、悩み多き女子サッカー選手が――広い浴室に結構響く疑問の声を漏らしつつ、湯船に顔を突っ込んで「ぶくぶく」と音を立てるのだった。

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