第13話 恐るべきホテル――コーチがサッカー(袋詰めする方)に注ぐ、その熱き想いとは――?

 夕方を過ぎ、日も落ちた夜中――とある一室で、椅子に座った奈子なこがスマホを通して家族に連絡を入れていた。


「うん、うん……それで、なんか泊まることになっちゃって、お夕飯も頂いたから……妹達のこと、お願いね。ごめんねお母さん、出張帰りで家にいるの、珍しいのに……う、うん、ありがとう。……は? ……いや違う違う、そういうんじゃないから。違うってば、本当……だから違うって! 部屋とかも別だし! だっ……違うっつってんのマジやめてってば! えっ、いつもの内気で気弱な感じじゃない? いや私は内気で気弱だけど、こうならざるを得ない理由があるの! ……いや誰かの影響とかじゃないって! ……お赤飯せきはんとかいらねーから! 絶対ヤメロくださいよ!? ぜえ、ぜえ……」


 戦いを終えた直後の如く息切れする奈子――さもあらん、未来の《サッカーの女王》たるもの、常在戦場じょうざいせんじょうの心構えは当たり前。そういうことなのだろう。


 間違いない。


 さて、通話を切る直前、奈子がふと思い出したように尋ねる。


「あっ、あとお母さん、えっと、変なこと聞くんだけど……サッカーって知ってる? あ、違くて、球を蹴ったりするほうじゃなくて。その……袋詰めする方のサッカーで、試合したり大会とか……えっ、ちょっとなに言ってるか分からない? ……う、ううん、そうだよね……ごめんね、変なこと聞いて。おやすみなさい。…………」


 今度こそ通話を切った奈子が、スマホを仕舞いつつ「はあ」とため息を吐く。


 椅子から立ち上がりながら、奈子は自身が少しばかり憂鬱ゆううつな気分になっている、その原因の一つ――即ち、今まさに泊まろうとしているホテルの室内を見回した。



 そのこしらえは、一言で表せば〝優美ゆうび〟――鮮明でありながら威圧する豪奢ごうしゃは一切なく、見る者を安堵あんどさせるような意匠いしょう随所ずいしょに見て取れる。

 不足など見当たらないアメニティグッズの配備は心憎いばかりで、泊まる者のことを考え尽くした繊細なまでの信念がうかがえた。


 奈子が、ただの一室に備えられているのには明らかに豪華すぎるバルコニーに、完全な無表情で出る。


 街中にあって、まるで星空を眺めるように――街の灯の、一つ一つが、星のようにきらめいて。


 今サッカー大会関係者が、決勝戦進出者のために用意した――中世ヨーロッパの王城を彷彿ほうふつさせる、豪華絢爛ごうかけんらんなこの場所。


 文句ナシの〝四つ星ホテル〟のバルコニーで――今大会のダークホース女子高生・栄海さかみ奈子選手が呟くのは。



「費用の無駄遣いだと思うんですよ絶対」



 高いバルコニーから眺める絶景とは裏腹に、奈子の眼の光は若干消えていた。


 さて、そんな未来の《サッカーの女王》が泊まらんとしている、この超高級ホテル――〝ゲストを心から愛し〟〝ゲストに愛されるべく〟〝無上の愛を込めて〟――その理念に基づき、名付けられた名とは。



 即ち――〝ラブ♡ホテル〟である――!!



「ネーミングセンス、クソですね」


 フフッ。


「笑いごっちゃないんですよ」


 えっ!?


「……ん? 私は、何を独り言を……疲れてるせい、ですかね……うーん、無理もないですよね、今日ばかりは……」


 ……ドキドキ……。


 ……と、とにかく、今日の激戦が尾を引き、さすがに気疲れしている奈子が、何となく部屋にいるのも落ち着かず――バルコニーを後にして、まっすぐ部屋から退室する。


 室内の優美さに劣らない、きらびやかで幅広い長廊下。踏み心地の良い赤絨毯に、奈子は逆に居心地の悪さを覚えつつ、落ち着ける場所を探して歩く。


 元々、一晩の宿泊料だけでも高額すぎるほどの高級ホテルだからか、客も少ない――ホテル名のせいでは、と思わなくもないが、それはまあ、まあまあまあ。


 さて、廊下を進んだ先で落ち着けそうな共用スペースを見つけ、奈子が横長の高級ソファに腰かけると、ようやく一息つく。


「ふう……うう、ソファもすごいフカフカ、座り心地よすぎて逆に落ち着かない……貧乏性なのかなあ、私……別に生活に困ってるわけでもないのに……」


 はあ、と奈子が更に深くため息をついている、と――そこに一人のサングラスをかけた偉丈夫いじょうぶ、即ち木郷きざと晃一こういちが現れ。


「――ん? 奈子か、部屋で英気を養っていなくて良いのか?」


「うわ出た。……そういうコーチさんこそ、どうしたんですか?」


「フッ、なに……今日の一回戦と二回戦同様、明日の決勝戦をどう戦うべきか、考えていてな……今は休憩にきたのだ」


「考えてるだけで私に一切伝わってないなら、考えるだけ無駄じゃないです?」


「フフッ、奈子! フフフッ、奈子!!」


「その変な感じで名前呼ぶの、やめてくださいって言ってますよね?」


 しかし聞かぬ。


 基本的に人の話を聞かない晃一が、洒落た雰囲気のホテルバーで、初老しょろうのバーテンダーから二人分のコップを受け取り――薄っすら湯気の立つそれを奈子に渡す。


「受け取れ、奈子。ココアで良かったか?」


「え、あっ、はい。あ……ありがとうございます、コーチさん。……初めて感謝した気がするな、普通ならコーチングとかで……いや、別に不要か、はあ……ずず」


 やや猫舌な奈子が恐る恐るココアをすするも、程よい温度で飲みやすく、それでいて上品な甘やかさでとろけるような味わい。


 そうしてようやく、本当の意味で人心地ひとごこちついた気がした奈子は――改めて、同じく横長のソファに腰かけた、左隣に座る晃一に尋ねようと決めた。

 だが一体、何を尋ねるべきなのか。


「あ、あの、コーチさん」


「ずず、ここのいちごミルクは、相変わらず絶品だな……。む。どうした奈子、何か質問でもあるのか?」


「いちごミルクとかあるんですかココ。……ってそうじゃなく、質問、質問……あ、えっと……その。……え、えーっと、ですね……」


 真っ先に奈子の頭に浮かんだのは、決勝戦の相手である〝霧崎きりさき 氷雨ひさめ〟という女性のこと。


 ……あくまで〝決勝戦の相手だから〟と頭を振る奈子、だがそう思いながらも、やはり聞けないでいるらしい。その代わりに、と奈子が尋ねることにしたのは。


「……あの、結局、サッカーって何なんですか? 袋詰めする方の。……いえもう、どういう競技とかじゃなく……コーチさんは、どういう風にとらえているんですか?」


「ふむ」


 普通に漠然ばくぜんと問うたところで、まあマトモな答えは返ってこないだろう――そんな奈子の考えは英断、さすが未来の《サッカーの女王》である。


 対して、質問を受けた晃一は――サングラスを外し、右目尻の横にある物々しい傷跡の奥にある目を、薄っすらと細め。


 奈子に横顔を向けたまま――ささやくように、けれど良く通る声を発した。



「サッカーは、人に一時の夢を見せる……商品を袋に詰め込んでいく瞬間の、言い表せない昂り……暑い夏に太陽を見つめるような、迸る情熱の行き先が、あのレジ袋の中だと思っている。それをスポーツに昇華し、互いの魂をぶつけ合い、果てしなき夢を紡ぐ――俺は俺がコーチングする人間に、俺と同じ夢を見て欲しいんだ」


「……コーチさん……」



 晃一の言葉に感銘かんめいを受けているのだろうか、何かを慈しむような彼の横顔を見つめた後、奈子が視線を切って目を閉じ思うのは。



(ダメだ……理由を聞いても、全く理解できない……)



 そのまま片手で眉間を押さえる、そんな悩み多き姿こそ、奈子の本音。悩み多いのは思春期ならではなので、まあ仕方ない。


 けれど、そんな師弟の熱き会話に―――冷や水を浴びせるような冷淡な声が割り込む。



『良くそんな綺麗事きれいごとが言えたモノね、コーチ――

 ――――いいえ、晃一、と呼ぼうかしら――?』


「!? おまえは……氷雨ひさめ!?」


「あ、今のって綺麗事な話だったんですねー」



 驚く晃一とツッコむ奈子の前に現れたのは、〝霧崎 氷雨〟。


 晃一を見つめる目に、明らかな憤怒を浮かべながら――奈子の決勝戦の相手たる、人呼んで《氷結女王》氷雨は、何を告げに来たのか――!?

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