第38話 人間 vs 妖怪⑤
……数日前。
「先生。きのう、隣のクラスの男の子たちが、じゃんけんで負けた一人に全員分のランドセルを持たせて、大笑いしてました」
「弱いものいじめするなんて最低の奴らだ! 全員『蓋』にしてしまおう」
「先生、みんなが僕のこと『バカメガネ』だとか『メガネザル』だとかあだ名してきて辛いです……」
「視力が悪いことをそんな風にバカにするなんて! 『蓋』行きだな」
「先生ー! きのうあの子が、近所のスーパーで万引きしてるの見ました!」
「その場で逮捕してしまえば良かったのに。そう云う臭い者には、一刻も早く『蓋』をしなければ」
トイレでの事件が遭って以来。
みんな競うようにして、たぬき先生に告げ口をするようになった。先生もみんなに、積極的にそうするよう促した。
「何も難しいことじゃない。悪いことをしている奴は許せない! そうだろう?」
先生はそう云う奴を片っ端から『蓋』に送り込んだ。路上で歩きタバコをするサラリーマン、不倫のことをセカンドパートナーだと言い張る親、頼まれてもいないのに妖怪について語り出す筆者……私人逮捕系小学生となったぼくらは、スマホを片手に、街で悪いことをしている人を次から次へと告発して行った。動画の再生回数もそれなりに多かったので、みんなたちまち夢中になった。
「嫌なものを見ないように見せないようにしていけば、きっと美しい世の中になるに違いないよ」
臭いもの認定された人たちが『蓋』行きになると、何となく問題が片付いたような気分になるから不思議だ。目にしないようにすることで、ぼくらは自然とそれ自体の存在を忘れて行った。
今思えば、それが先生の狙いだったのだ。
「こんなのおかしいわ」
「え?」
放課後。『今日の悪い人』という1コーナーで、街で見かけた許せない人を撮影して吊し上げていた時、いるかちゃんがボソリとぼくに呟いた。
「みんな、前はこんな子たちじゃなかったのに。こんなことをして何が楽しいのかしら。まるで催眠術にでもあったみたい」
「そう?」
動画を撮って嫌な奴を晒したり、突拍子もないバカなことをしてみんなに注目されるのは気持ちいい。ぼくらは動画の再生回数を上げるために生まれてきたのだ。人類は皆そうだと思っていたから、ぼくは意外だった。
「そんなことないわ。大体、授業中に漫画読んだりゲームしたりする先生がどこにいるの? 何が『蓋』よ。友達がいなくなっても、何にも疑問に思わないなんて。絶対変よ。何かあるんだわ」
「うーん……改めてそう言われると、何だかそんな気がしてきた」
「ね……怪しいと思わない?」
いるかちゃんは『蓋』を……たぬき先生を疑っているようだった。『蓋』。思えばぼくらは、それが何処にあるのかさえ知らない。なのに、ぼくも今まで、当たり前のように『蓋』の存在を受け入れてきた。悪いものは、臭いものは『蓋』をされて当然だと。疑問に思わせないこと、それこそが、たぬき先生が仕掛けた罠なのかも知れなかった。
ふと教室に歓声が沸き起こった。
黒板いっぱいの大画面に晒された『悪い人』は、どうやら全会一致で『蓋』行きが決定したようだ。これから悪人をどんな目に遭わせてやろうかと、私人逮捕系小学生たちが息を巻いた。
「さあみんな声を合わせて」
たぬき先生が、ぱん、と手を叩いて皆の顔を見渡した。
「『地球のために』」
「地球のために!」
「『未来のために』」
「未来のために!」
「『仲間のために』」
「仲間のために!」
「そうだ。仲間がいるってことは、仲間外れもいるってことだ。仲間外れになった、憎き敵を殺そうじゃないか」
「敵を殺そう!」
みな一斉に拳を突き上げ、鬨の声が地鳴りのように教室に鳴り響く。次はどんな公開私刑が行われるんだろう。悪い人、弱い人、負けた人には、何をしても良い……と云うのがたぬき先生の教えだった。自慢じゃないがぼくは誰かの仲間になるよりも仲間外れになることが多かったので、これから起きることを想像して、一人ぶるると震え上がった。
「知らず知らずのうちに」
いるかちゃんが声をひそめた。
「私たち先生の思い通りに……思考を誘導されてたのかも知れないわ」
「そんな……まさか」
まさかとは思いつつも、ぼくは一つだけ心当たりがあった。いつだったか、先生はぼくの目の前で野菜を動かして見せたのだ。あれが夢じゃなかったら、きっとたぬき先生はあの時催眠術を使ったに違いない。
「じゃあみんな、今日はドローンの使い方を勉強しよう」
教壇では、みんなの顔を見回して、たぬき先生がにこにこと笑った。
「ドローンがあれば、空撮したり、爆弾を括り付けて武器にも使えるから。違法だけど、大丈夫、『小学生がやったことだから』って勝手に擁護してくれる人がきっといるから。安心して空を
「はぁい先生」
配られた新しい武器を前に、みんな嬉々として目を輝かせた。
「ドローンの次はマシンガンだ。いよいよ本格的な戦闘訓練に入るぞ」
「はぁい先生」
「良いかみんな、敵には絶対に勝たなきゃダメだぞ。負けたら何をされるか分かったもんじゃないからな……」
「はぁい先生」
今日も何処かに、悪い子はいないか。
弱い子はいないか。
負けた子はいないか。
叩ける子はいないかと、みんなが目をギラつかす。
歓声に湧く教室の片隅で、ぼくといるかちゃんは顔を見合わせた。このままじっとしていられない。ぼくらは『蓋』を探しに学校を捜索することにした。
それで、数日後。
その日は日曜日だったが、グラウンドではサッカー部や野球部が練習に汗を流していたし、ドローンを飛ばしたりマシンガンをぶっ放してる生徒も何人かいた。体育館ではバレーやバスケ、匍匐前進の練習をしていたし、図書室だって空いている。職員室に来て仕事をしたり銃の手入れをしている先生も何人かいたので、完全に閉まっていると言うわけではなかった。おかげで出入りがしやすい。さらに幸いなことに、駐車場にたぬき先生の車はなかった。ぼくはホッとした。
「行きましょう」
ぼくらは忘れ物を取りに来たふりをして、マスターキーを職員室から持ち出して、校舎を片っ端から調べることにした。
「たぬき先生はいつも、3階の音楽準備室の辺りにいるって、女子たちが言ってたわ」
それで、音楽準備室に入ってみたが、何も変わったところはない。せいぜい楽器の代わりに、竹槍やら防空頭巾が並べられるようになったくらいだが、これは他の教室もいっしょだ。それも、近々戦争が起きるから致し方がないことだった。
「ね、どうして私たち、戦争が近いって思ってるのかしら?」
隣の教室の鍵を開けながら、いるかちゃんが小首をひねった。
「それはだって……先生がそう云ってるから」
「でも、それもたぬき先生が仕組んだことだとしたら?」
「そんな……」
ぼくはだんだん不安になってきた。偉い先生が云ってるから、大人が云ってるから絶対に正しい……って訳じゃないことは、なまはげのオッサンが身を持って証明してくれた。だけどそのオッサンも、もういない。街からはオッサンがいなくなった。オッサンは真っ先に『臭いもの』に認定されたからだ。
「たぬき先生が赴任してきた時期と、ニコリちゃんたちがいなくなった時期がぴたりと重なるわ」
「まさか……全部先生の仕業ってこと!?」
「まだ分からないわ。でも……」
いるかちゃんもまた不安そうに前髪を撫でつけた。ぼくは何度も瞬きを繰り返した。たぬき先生はみんなに慕われている。他の先生や親からも評判が良いし、でもそれも、裏の顔を隠すための仮面に過ぎなかったのだろうか?
そんな疑問も、次の教室の鍵を開けた時に、吹き飛んでしまった。空き教室に、健太と秀平がいたのだ。
「き、君たちは!」
「悠介!? いるかちゃんも!?」
「健太!? 秀平!?」
間違いない。数日前の『嫌いな生徒ランキング』で、ぶっちぎりで一位二位に選ばれて教室を追放された、あの健太と秀平だった。二人とも、『蓋』に閉じ込められていたはずだ。いや、それよりも。
「どうしたのその格好!?」
ぼくは驚いて二人の格好を爪先から頭の天辺までマジマジと眺めた。二人とも、まるでハロウィンの仮装パーティみたいに、人間離れした姿をしている。健太は、両手がザリガニみたいに大きなハサミになって、お尻から蠍のような尻尾を生やしていた。秀平は胴体が蛇になり、おでこに第三の目が開眼しようとしている。
「妖怪じゃん!」
「うるせえ! なりたくてこうなったんじゃねえんだよ! あのたぬき野郎が……」
「僕たち、たぬ公の目を盗んでこっそり『蓋』から逃げ出してきたんだ」
「まぁ……!」
「そうだ悠介! テメェ、よくも!」
「きゃあ!?」
突然『怪奇! 蠍男』と化した健太が、カツカツとこちらに歩み寄って大きなハサミでぼくの首をちょんぎろうとした。
「よくも俺様を『嫌いな生徒ランキング』一位に投票してくれたな!」
「だって……嫌いだったから……」
「ふざけんな! 嫌いだったら教室から追い出しても良いって言うのかよ!」
「僕ら、悠介を助けたこともあったよな!? ほら、第17話あたりで!」
「そんな昔の話をされても……もう38話だし」
「なんて薄情な奴だ。主人公の風上にも置けない奴め!」
「お前も『蓋』の中に閉じ込めて、妖怪にしてやろうか」
「やめて! 今は仲良く喧嘩してる場合じゃないでしょう」
どうやら二人とも、たぬき先生に『蓋』の中に閉じ込められた後、中に溜め込まれた妖気のせいで徐々にこんな姿になってしまったらしい。ぼくは二人が『蓋』にされた時、そのことを疑問にすら思わなかった。それが当たり前だとすら思っていたのだ。きっとそれこそが、たぬき先生の使う妖術に違いない。そう言うことにしておこう。
「許せない……人の心を操り、友達を見殺しにさせる催眠術なんて!」
「今更取ってつけたように怒るなよ」
「でも、じゃあ『蓋』はどこに?」
その時だった。突然教室の外、廊下からコツコツ……と足音が聞こえてきて、ぼくらは身を縮こまらせた。
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