第37話 人間 vs 妖怪④
教室の扉を開けると、異界へと繋がっていた。
無明の闇の奥で、
まるで天井に目が付いたように、遥か天空の彼方から大きな瞳でギョロリと見下ろしているのは、あれは海坊主だろうか。全身黒ずくめの、山のように大きな体。突然夜の海の底からにゅっと姿を現し、数多もの船を沈めてきたと言われている妖怪だ。天候を自由に操ることができるとか、変化能力があり、たまに人間に化けて海に近づく者を襲っているとも云われている。見た目以上に知力の高い難敵だと思われる。
今更云われるまでもない……という方もおられようが、せっかくなので対戦相手の紹介を続けよう。
海坊主にも負けず劣らずの巨きな体を揺らすのは、伝説の巨人、ダイダラボッチである。琵琶湖を掘っただとか、その土で富士山を作っただとか、にかく規格外の逸話は枚挙にいとまがない。空を持ち上げて、自分の背丈に合った高い空を作ったのんて話もある。パワーのみならず、概念破壊系の攻撃も使うとなると攻略はかなり厄介だ。
調べてみたら、『常陸国風土記』では足跡だけでも長さが約72mあったと書かれている。300mは悠に超える巨人で、ウルトラマンでも約40m、ゴジラでも約50〜100mだから、歴代最強と謳われる訳も分かるだろう。新作映画が待たれるところである。
巨きさこそ敵わないかもしれないが、八岐大蛇や大百足だって十分破壊的だ。八つの頭、八つの尾を持ち、八つの谷と八つの丘にまたがるほど巨大な大蛇である。山八個分。鬼灯のように真っ赤に血走った目で相手を睨み、その腹は裂けいつも血で爛れている。
毎年娘を一人生贄に差し出させるなど、コンプライアンス的に不味い一面もあるが、今のところ炎上はしていないようだ。畢竟、あまりにも強すぎれば炎上などしないのであろう。
大百足はその名の通り足が100本ある巨大な蟲で、全長はなんと数十kmにも及び、口から火を吐き、龍すらも飲み込むほどだったという。龍のライバルと云えば昔はムカデだった。中国では、ムカデは大きくなると空を飛ぶと云われており、毒で弱らせた龍の目玉や頭を喰い千切っていたのだとか。あの見た目で空も飛ぶのだからたまったものではない。
さて、最強と呼ばれる妖怪には……各人好みもあるだろうが……ここではまず牛鬼を紹介しておきたい。頭が牛で鬼のようなツノが生え、胴体は蜘蛛のようなグロテスクな見た目をしている。非常に残忍で獰猛な性格で、毒を吐き、出会うだけで相手を病気にさせたり、影を舐めるだけで死に至らしめるという、『出会ったら死ぬ』タイプの妖怪である。筆者は昔からこういうタイプの妖怪が苦手で……要するに対策しようがない、出会ったら死ぬって、どうしようもないじゃないか、という絶望感がある。余談だが、筆者が子供の頃一番怖かったのは『べとべとさん』だった。何をする訳でもないが、ただ後ろから跡を付けてくるという、ストーカーの走りみたいな妖怪である。見た目も何だか、丸い体に大きな口が一つだけという、実に不気味な存在だ。ところがこれが意外と女性人気があると言うのだから吃驚である。どう見てもストーカーじゃないか。小学生の頃、筆者が入院していた時に、差し入れに持ってこられた『妖怪大百科』でべとべとさんを知り、おかげで夜中にトイレに行けなくなってしまった。
話が逸れた。べとべとさんはただ付いてくるだけなので、警察に相談すればストーカー規制法で逮捕してくれるだろう。ところが世の中には、法律ではどうしようもない、タチの悪い妖怪も少なくない。数多の妖怪の頭領・山本五郎左衛門だとか、魔王の異名を持つ神野悪五郎、九尾の狐、天逆毎、風神・雷神、平将門、菅原道真……など、要するにこれらの怨霊を解き放って、人の世に騒乱を巻き起こし、壊滅させてしまおう。新時代の、妖怪大戦争の幕開けだ。
……と云うのが田貫の目論見であった。
「クリエイターとアーティストの違いを知ってるかい?」
『蓋』の向こうで、たぬき先生が嗤った。彼の横にいるのは、見覚えのない女の子だった。先日、トイレで幽霊にナイフで襲われたという、あの女の子だ。今はふわふわとした耳と尻尾が生えている。ぼくは目を見張った。
「誰が云ったか忘れたが……クリエイターは『応える人』、アーティストは『問いかける人』という定義なんだそうだ」
教室の中は、『蓋』の向こうは漆黒の闇で満たされていた。闇の中で、ただ先生と女の子の影が妖しく蠢いている。
「フン。
「へぇえ……」
「芸術は違う。確かに芸術家にもカネは必要だが……優れた芸術は、誰に頼まれずとも自ら輝きを放ち、そして世に広く問いかける」
「貴方は
女の子がクスリと笑った。たぬき先生が肩をすくめた。ぼくは、二人に見つからないように、必死に息を殺した。
「芸術が爆発なら、爆発だって芸術だ。だろう? 僕は僕の
それからたぬき先生はくるりと振り向き、扉に向かって歩を進めた。
先生がゆっくりと
「いよいよだ」
闇の向こうから顔を覗かせながら、たぬき先生が嬉しそうに顔を綻ばせた。
「いよいよ百鬼夜行が始まる。『蓋』の中はみんなで集めた『嫌なこと』で溢れ返ってる。人間の憎悪・嫉妬・厭忌・怨恨……もっともっと負の感情を集めて煮詰めて、全ての妖怪が通れるくらいに、『蓋』を大きくしなくちゃあ……」
日の当たる場所に出てきた先生は、すでに人間の顔に戻っていた。それから先生はしっかりと『蓋』を閉じて、長い廊下を歩いて行った。
「ねぇ……あれって……」
長い沈黙の後、やがているかちゃんが恐々と声を震わせた。窓の外は晴れ渡っていた。青々とした空の向こう、何処からともなく降り続ける白い雪の結晶……ぼくはまだ息を殺したままだった。物陰に身を潜めたまま、心臓が、ぼくの胸の中でカエルになったみたいに飛び跳ねていた。
大変だ。たぬき先生の正体は、妖怪だったのだ。
数日前……。
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