第36話 人間 vs 妖怪③
やがて
「良いかいみんな、人生ってのは『戦うため』にあるんだよ」
「戦う?」
「誰と?」
「自分に仇なす宿敵と、だ」
先生が笑った。
「強くなろうよ、みんな。敵に負けないように」
たぬき先生は毎回、授業の終わりにぼくらの顔を見回してこう云った。
「もっと強くならなきゃ駄目だよ。これからはグローバルでダイバーシティな、インバウンドでオルタナティヴする時代だ」
初めはみんな、ぽかんと口を開け、得体の知れない妖怪を見るような目で先生を見つめていた。何が云いたいのか良く分からない。だけどそのうちみんなすっかりその気になった。大人が使っている言葉は何となく格好良い。これからはスクリーニングしたステークホルダーとドラスティックにコミットメントしていかなくてはイシューなのだ。
「みんなもっと強くなれ。弱い者を蹂躙できるように」
「じゅうりん……?」
「
「どらいぶ??」
「
「へぇえ!」
それからぼくらは張り切ってドライブするようになった。授業中は漫画を読み、ゲームをして。給食の時間。
「嫌いなものは無理して食べなくて良いよ」
ある日。
ぼくは昼休みになっても、一人机に座ったままだった。大根や人参を残していたぼくのお皿を覗き込んで、先生が優しく笑った。
「もっと自分に素直になって。嫌いなものは、自分には必要ないものなんだ。そんなもの捨ててしまえばいい」
「え……でも」
「大丈夫大丈夫。どうせ食べ物なんて、毎日日本中で、大量にゴミになってるんだから。むしろ頑張ってゴミを出さなきゃ、『どうしてゴミが少ないんだ!』って偉い人に怒られてしまうよ」
最初はぼくも面食らった。前の担任の先生は、食べ切るまでずっと片付けを許さなかったから、なおさらだ。食べ物を粗末にしてはいけません、とか何とか。
「良いんですか?」
「もちろんさ。人生ってのは『自分のため』にあるんだよ。よく見てごらん」
先生が不意にぼくの目の前でぱん、と手を叩いた。
「あっ!?」
するとどうだろう。
大根が、人参が、お皿の上で一人でにぴょんぴょんと飛び跳ね始めたではないか。ぼくはびっくりして箸を取り落とした。
「あ、あ、あ……!?」
ぼくの足元で箸まで踊り始めた。それから残した野菜たちは皿を飛び出して行って、ていねいにお辞儀をして、自分からゴミ箱に入って行った。
「何が見えた?」
「だ、大根が……人参が……ゴミ箱に!」
「だろう? きっとあのお野菜も、頑張ってゴミになれて、喜んでるだろうね」
先生がいたずらっぽくウィンクした。ぼくは呆気に取られた。信じられない。まるできつねかたぬきに、化かされているみたいだった。
それからクラスでは毎日、終わりの時間に『好きなこと・嫌いなこと投票』があった。
毎日一人づつ、黒板の前に立たされて、自分は何が好きです、何が嫌いです……と大きな声で発表するのだ。そして公正なる民主主義の投票で選ばれた『好きなこと・嫌いなこと』は、みんな手放しで褒めたり、それから溺れた犬みたいに棒で叩かれて、追放されたりした。
「人生ってのは『自分の好きなことをするため』にあるんだよ」
先生は毎回、満足げにみんなを見回しながら、どっかのユーチューバーみたいなことを云った。先生がぱん、と手を叩けば、それだけでみんな耳を澄まして聞き入った。
「人生は短い。嫌いなものに時間を割いてる暇はないってワケ。コスパ、タイパ。タイムパフォーマンスだね。みんなもっと嫌いなものを嫌いになろうよ。
嫌いなもの、
汚いもの、
変なもの、
妙なもの、
いやらしいもの、
馬鹿げたもの、
無駄なもの、
使えないもの、
にせもの、
げてもの、
まがいもの、
ハレーションなもの、
アブノーマルなもの、
役に立たないもの、
ろくでもないもの、
怪しいもの、
怖いもの、
不潔なもの、
臭いものにはフタをして、どんどんなかったことにしよう。そして好きなことだけしていよう。美しい世の中にしようじゃないか」
算数が嫌い。大根が嫌い、人参が嫌い。アイツが嫌い、コイツが嫌い……そうしていつの間にか、退屈な授業も無くなって、苦手な食べ物も無くなって、いじめっ子もいなくなった。投票で嫌いと名指しされたモノはみんな、『蓋』と呼ばれる空き教室に詰め込まれ、他の人の目に触れないようにされた。
だけど、どうしてだろう?
嫌いなものは次々に無くなっているはずなのに、教室は何だかどんどん息苦しくなって行った。みんな、次は誰を追放してやろうかという後ろ暗いワクワクと、もしかしたら次は自分じゃないかというもっと後ろ暗いドキドキで、もうこれ以上ないくらい真っ黒にギスギスしてしまったのだ。
「これで良いのかしら?」
何だかがらんとしてしまった教室で、掃除の時間、いるかちゃんがポツリとつぶやいた。
「大丈夫だよ、いるかちゃんを嫌いになる人なんていないよ」
「そうじゃなくて……」
ぼくのクラスでは今『密告』が流行っていた。
アイツが実は、こんな悪いことをしていました……と、たぬき先生にこっそり
そういう意味ではぼくは見向きもされなかったし、いるかちゃんのような良い子が心配になるのも分かる気がする。
「私は叩かれるのが怖いんじゃないのよ」
いるかちゃんが少し怒ったようにぼくに言った。
「そりゃあ痛いのは嫌いだけど……でも痛みがなかったら、自分が傷付いていることにも気づけないわ。私はむしろ、叩いてる方を心配してるの」
「いるかちゃん……」
確かに『溺れた犬』を追放する今のみんなは、
「きゃああああああああああっ!?」
また別のある日、算数の……いやゲームの時間の頃だった。突然教室の外から悲鳴が聞こえて、ぼくたちは騒然となった。みんな急いで廊下に飛び出ると、教室の隣、トイレの前で、見たことのない女子生徒が倒れていた。青い顔をして、ガクガクブルブルと震えている。
「大丈夫かい!?」
たぬき先生が駆け寄って女生徒を助け起こした。その周りに、遅れて次々とぼくらが群がる。廊下にはあっという間に人だかりができた。
「あ、ああ、あ……!?」
「血が出てる。怪我したのか!? 何処だ!?」
「ト、トイレに行こうとしたら……中に女の人が。ナイフを持ってた……!」
「ナイフだって?」
みんなざわついた。女生徒はたぬき先生の腕の中で、ブルブルと首を振った。
「だ、だけど、だけど急に消えたの! 幽霊みたいに……」
「消えた??」
「か、髪が真っ赤で、血だらけみたいだったわ。先生、あ、あれは幽霊……!」
「バカな」
先生は眉を釣り上げながら唸った。
「幽霊がナイフを使うもんか。この世に幽霊なんていない。いるとしたら、そりゃ幽霊を騙った人間だ。
ぼくといるかちゃんは黙って顔を見合わせた。トイレに出る、髪の真っ赤な幽霊と言えばあの花子さんだが……だけど花子さんは確かに、ナイフなんて使わない。花子さんは金属バットで相手を確実に仕留めに行く。
「先生は」
警察と救急車を呼びなさい、と云った後、たぬき先生がぼくらを見回した。就任してから、ずっと笑みを絶やさなかった先生が、この日初めて見せた怒りの表情だった。ぼくらはごくりと唾を飲み込んだ。
「僕は人を傷つける人が大っ嫌いです」
シン……と静まり返った廊下で、たぬき先生がぱん、と手を叩いて云った。
「ハイ復唱して。『僕は人を傷つける人が大っ嫌いです』」
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