第31話 のっぺらぼう vs アーカイブ②

 しばらく小径こみちを歩いていると、やがて寂れた集落に辿り着いた。


 と云っても、今や誰も住んでいない、廃墟同然のあばら屋の群れであった。東の空はうっすらと白み始めていた。明けの明星が、薄く雲のかかった三日月の下で、まだ眠たいとでも言いたげに瞬きをする。そろそろ獣たちも起き出す時刻だった。さすがの妖怪も、太陽の昇ってから暴れ出しはすまい。


「ここで休憩しよう」


 漢たちの間から歓声が上がった。夜の間中、森の中を彷徨い歩いた彼らはくたくたに疲れていた。家の中は賊にでも襲われたかのように荒れ果てていたが、数名が寝るには十分な広さがあった。ふと視線を感じ、坊が顔を上げると、隙間だらけになった屋根の上にカラスが止まっていた。坊はぶるると体を震わせた。


「おれ……ちょっとションベン……」


 ふらふらと厠に向かいながら、坊は内心後悔し始めていた。妖怪退治になんか参加しなければ良かった。確かに今の俺は暗殺者としてまだまだ無名だ。いくら有象無象を殺しても、ちっとも箔にならねえ。これといって記録に残らない、自慢する顔のないに過ぎない。弓男に声をかけられた時は、名を上げる良い機会だと意気込んだが……。

「ちぇっ……何が妖怪だよ……」

 目論見は外れ、もう何日も歩きっぱなしで、なんの成果も上げれらない。こんなことなら猪か熊でも狩りに行けば良かった。そうすりゃ、多少は腹も膨れたかも知れなかったのに。


 厠の扉を開けると、中に死体が横たわっていて、坊は思わず悲鳴を上げそうになった。薄暗がりの中、恐る恐る目を凝らす。そこにあったのは、まだ年端もいかない少女の死体だった。生前の面影はなく、全身骨と皮だけのように痩せ細っている。頭の半分がパックリと割れ、髪の毛全体が紅色に染まっていた。何処からか入り込んできたカラスが、少女のひび割れた頭の中に嘴を入れ、嬉々として中身を啄んでいる……。


「ヒィ……ヒィィッ!?」


 突然カラスが大きく羽ばたきをして、こちらに向かって飛んできた。坊は慌てて尻餅をついた。尿意はすっかり引っ込んでしまった。転がるようにして逃げ帰る。何事かと怪訝な顔を突き出した漢たちにこのことを話すと、「いつか厠の幽霊になって化けて出るぞ」とたちまち大笑いされた。坊は吐き気を堪えながら眠りについた。その日、髪を血で濡らした少女が、狭い厠に化けて出る夢を見た。寝付きは最悪で、坊は途中何度も、何度も悲鳴を上げながら飛び起きた。皆が大の字になる中、弓男はただ一人大黒柱に背を預け、白ばむ空を眩しそうに睨んでいた。


「……待て」


 陽が中天に昇った頃だろうか。弓男の鋭い声がして、坊はせっかくうとうとしかけていたのに、叩き起こされてしまった。瞼がやけに重たく、熱い。風は止んでいた。他の者は皆すでに目を覚まし、各々の武器を構えていた。誰もが獲物を前にしたような、ギラギラとした目つきであばら屋の外を睨んでいる。何かあったのがすぐに分かった。臭いで分かる。戦の臭いだ。恐怖の臭い、興奮の臭い、血の臭いだ。坊はゴクリと唾を飲み込んだ。


「何か来るぞ」


 弓男がそう言い終わるか、終わらないかの刹那だった。突然藪の中から雄叫びが聞こえたかと思うと、黒い影がいくつもこちらに向かって突進してきた。

「こりゃあ……!?」

 黒い影……狼が見えた。坊は狼の耳を、その鋭い顔がこちらを睨んでいるのを見た。だが、何かがおかしい。影は素早かったが、弓男は冷静に矢を放ち、一番手前にいた一匹の眉間に見事命中させた。

「ぐぎゃっ!?」

 ぐにゃり、と四肢を曲げて、影が崩れ落ちた。血飛沫が弧を描いて宙を舞う。それがまた、世にも綺麗な赤色で、坊は一瞬見惚れた。


「野郎ども! やっちまえ!」

 誰かの叫び声が合図だった。たちまちあばら屋は戦場になった。槍使いが雄々しく長い槍を振り回し、影の土手っ腹に先端を容赦なく突き刺す。肉が潰れる鈍い音がして、そこからボタボタと、滝のように鮮血が吹き出した。


 再び矢が放たれた。弓が勢いよく、風を真っ二つに切った。影は地を這うように、素早く軒下に身を潜めた。

「コンニャロ! コンニャロ!」

 刀持ちが飛び出していって、腐った畳の上に何度も何度も刀が突き立てられた。そのうち、くぐもった悲鳴が聞こえたから、一匹には当たったのだろう。だが坊には確認する暇もなかった。すぐ後ろにも影が何匹か迫っていた。寝ている間に囲まれていたのだ。


 振り向きざま、坊は影を斬った。喉が潰れたような悲鳴。手応えあり……やはり何かがおかしい。狼は二足歩行をしない。ということは、こいつらは……まさか。

「殺せ! 殺せ!」

 あばら屋に怒号が飛び交う。すでに何匹か仕留めたが、まだまだ藪の中から、何匹も何匹も影が飛び出してくる。向こうも死に物狂いでこちらに突撃してきた。坊も必死で刀を振るった。


 気がつくと西の空が赤く染まっていた。そして、それ以上に足元が。くるぶしが、いやスネの辺りが血で浸かるまで、影の襲撃は止まなかった。全てが終わった時、地面は足の置き場がないくらい、死体で埋め尽くされていた。


「ゼェ……ゼェ……」


 坊は真っ赤になった刀を杖代わりにしながら、何とか体を支えていた。

「こいつらは……」

 そこで初めて、坊は自分が殺した獲物をまじまじと見た。

「子供だ……」 

 誰かがぼそりと呟いた。


 地面に横たわっていたのは、痩せこけた子供の死体だった。狼の皮を剥いで、頭巾のようにして被っているが、その中身はまだ十にも満たない子供であった。


 先述の飢饉により、農民は荒れた土地や家を捨て、山に住むようになっていた。貴族たちが合戦に夢中になっている間に、各地で食糧の奪い合いが起きていた。木こりも死んでいなくなったので、薪が足りず、自分の家を壊して売る者もいた。その薪ですら、1日の食料代にもならなかったと、『方丈記』の作者・鴨長明は語っている。


「なんてこった……」

 坊はぽろりと刀を取り落とした。おそらくは元農家の子が、山に入り、山賊にでもなったのだろう。しかし、いくら乱世とはいえ、だ。いくら殺し屋稼業とはいえ、この手で、まだ年端もいかない子供を殺すことになろうとは……。


「殺さなければこちらが殺されていた」

 坊は驚いて叫び声をあげそうになった。弓男が、返り血を浴びて真っ赤に染まった顔でこちらをじっと見ていた。おそらく坊も同じような顔になっているのだろう。


「だけど……だけどオラたちは、子供を……」

「こいつらが人間に見えるか?」

「え?」


 震える声を上げる槍使いに、弓男が冷淡な声を投げかけた。


「見てみろ。獣の皮を被り……こいつらが人間に見えるか?」

「…………」

。俺たちが殺したのは、。分かったな」

「…………」


 行くぞ、と一言放ち、弓男は有無を言わさず先に進み始めた。漢たちはぽかんと顔を見合わせた。漢たちの顔は今や皆、血と血と血と血で真っ赤に染まっていた。しばらくして、誰かがボソリと呟いた。


「……こりゃ、どっちが妖怪か分かったもんじゃねぇな」

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