ROUND 7

第30話 のっぺらぼう vs アーカイブ①

「何でも其奴そいつぁ」


 徳利とっくりに残っていた安酒をぐいと一飲みし、漢は大声で笑った。全身びっしりと濃い毛で覆われた、熊のような見た目をした大男だった。それで、仲間内からは熊吉とか、熊公と呼ばれていた。誰も本名は知らぬ。名前は重要ではなかった。重要なのは、得物だ。刀。槍。斧。弓矢。


 月が出ていた。薄く蒼く光る三日月の下を、四、五人の漢たちがそろそろと行進している。


「鬼のようなおっそろしい顔をしているらしい。角を見たって奴もいる。口からは常に血を滴らせ、人を喰って生きてるんだと。立ち上がると悠に六尺を超え……」

「馬鹿言え」


 各々が思い思いの武器を携えて、深い森の中を歩いている。三日月が屈強な漢たちの顔をぼんやりと照らした。


「そんなバカでかい生き物がいるもんか。そんな奴がいたら、オラたちにすぐに見つかってる」

「んだんだ。それに、奴ぁ人間を丸呑みするんじゃねえ。心の臓をくらうんよ。長い爪の生えた両手で、ぶすり! と胸に穴ぁ開けちまって……」

「ひぃぃ!」

「とにかく化け物には違えねえや、なあ、坊」


 熊吉がたたらを踏みながら悪態をついた。坊と呼ばれたのは、漢たちの中でも一番若い、しんがりを歩いていた童のように小柄な青年だ。坊はぶすっと唇を尖らせたまま返事をしなかった。子供扱いするんじゃない。坊は鼻息荒く足を踏みらした。


 漢たちの足元には、動物の骨がそこらじゅうに散らばっていて、森一帯が白い砂浜のようになっていた。おそらく肉食の獣に食い散らかされた跡だろう。あるいは、彼らが今追っている化物ケモノの方か。そのうち一人がぶるる、と震え上がった。


 夜風は冷たく、西から東へと吹き荒んでいた。漢たちが歩くたび、打ち捨てられた骨がバリバリと音を立てた。これではこっちの存在に気づいてくれと言っているようなものだ。しかし、誰も慎重に、忍び足で森を通ろうと言い出す者はいなかった。本音を言えば、みな怖かったのである。さっきから得体の知れない野鳥がゲエゲエ哭いている、この不気味な骨の森を、早く抜けたくて仕方がなかった。


「その牙は刀のように鋭く、硬く……瞳は紫色に尖り……舌は蛇のように長く……」

「おい熊公、ちったぁ静かにしろ」

「脚は麒麟のように速く……手は、手はまるで孔雀の羽のようにおおきく……」

「相手が誰であろうと関係ない。朝敵は速やかに始末せよとのご命令だ」


 集団の先頭にいた、弓を構えた男が振り向きもせずに低く唸った。端麗な顔をした、若い男だった。美形だが、頬はやつれ、目の下にクマがある。他の者が擦り切れたボロ布を見に纏う中、この弓男だけは、まるで都務めの歌人のような、絹の、上等な直衣のうしを着ていた。誰も素性は知らぬ。知らぬ方が、身のためだった。触らぬ神に祟りなしだ。お上に目をつけられては、たとえ命がいくつあっても足らぬ。


 数日前のことだった。熊吉も、それから坊も、この弓男に声をかけられた。腕利の賊たちが人目を憚って集められた。弓男は涼しげな顔で皆を見回し、ただ一言こう云った。


 朝廷に仇なす大妖を退治せよ。


 たちまち漢たちはたじろいだ。歓声とも、嗚咽とも取れる声が皆から漏れる。

 大妖……そのなら坊も知っていた。坊は、表向きは猟師として、都から遠く離れた僻地を転々と暮らしていた。坊は文字が読めぬ。当然歌も詠めぬし、学もない。それでも大妖の噂は何回か耳に挟んだことがあった。およそ噂というのは、どんな教養も道徳も行き届かない場所にも、易々と入り込むものである。


 曰く、都の外に妖の類が出て人を襲っている。

 曰く、妖は骨を砕いて肉を削ぎ、人間の心の臓を餌にしている。

 曰く、この間とうとう天子様の想い人が乗った牛車が襲われ、都は盆をひっくり返したような騒ぎである。


 ……などなど。あっちに出た、こっちに出た……など、村人は妖の噂で持ちきりであった。夜な夜な陰陽師が式神を飛ばしているのを見たという者もいた。心臓がまるまる無くなった死体を見た者もいた。都としても、このまま放っておく訳にはいかなくなったのだろう。


 それで、弓男の誘いである。

 もちろん全員が参加した訳ではない。莫大な懸賞金に釣られた者、純粋に殺しを愉しむ者、社会正義に燃える者……数名が残った。各々が、各々の理由を抱え、こうして秘密裏に部隊が編成された。数日後、彼らは意気揚々と都を出発した。


 ……後に、ほぼ全員がひどく後悔することになるとも知らずに。


 話は月の下に戻る。

 バリバリと骨を踏み越え、やがて一行は、森の端に出た。見上げると、夜の闇がさらに濃くなっていた。

「こいつぁ……」

「うげぇ」

 骨の森を抜けると、次に待っていたのは、真っ赤に染まった血の海だった。比喩ではなく、文字通りの血の海。道の両端に、賽の河原のように積み上げられた死体、死体、死体……。


は随分前からこんな感じですぜ」

 無言のまま立ち尽くす弓男の背中に、熊吉が嗄れた笑い声をかけた。足元にある死体の目玉部分から、丸々と太ったネズミが顔を覗かせチチチチ……と哭いた。


「随分と殺伐としてるでしょう。が……」そういって熊吉は死体を蹴った。「……こっちの日常でさあ。疫病に飢饉、おまけに妖の大暴れと来た。嗚呼嗚呼、明日どころか、今日死ぬかも分からねえ」

「末法の世じゃ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

「なあ直衣さん。都じゃお歌を詠えば、たらふく飯が食わせてもらえるって本当かい? 良いなぁ、オラ、一度で良いから腹ァ膨らませて死にたかった……」

「……行くぞ」


 弓男は振り返らなかった。武器を構え、慎重に、赤黒い地面を踏みしめて行く。おっかなびっくり、漢たちが後をついていった。


 時は源平時代(1180年ごろ)。

 西日本一帯を襲った大飢饉により大量の餓死者が発生し、社会が文字通り崩壊した。『方丈記』には京都市中の死者が四万を超え、街が異臭に溢れ、略奪行為が横行した様子が描かれている。食糧不足は約二年ほど続き、死体のあまりの多さに供養が追いつかず、そのほとんどが路上に放置されていた。そんな劣悪なる環境下だったから、たちまち悪性の流行病が広まった。この養和の大飢饉が、兵糧不足を招き、平家の破れ去った原因の一つになった……とも言われている。


「それで……」そのうち熊吉がまたブツブツ言い出した。

「その大妖は、髪は真っ赤に染まり、肌の色は緑色で……」

「もう分かったって。良いから黙れ、熊公」

「妖怪退治だ……ひっく。化け物は退治しなきゃなんねえ……その名は……その名は」


 熊吉は、しゃっくりをしながらその大きな体を震わせた。


「確か……骨狗里肉孤裡」

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