第32話 のっぺらぼう vs アーカイブ③
それを持って妖怪退治の証としよう。途中、ふと立ち止まった弓男から、そんな風に命令された。長い沈黙が漢たちの間に流れる。
さすがに頷く者は誰もいなかった。それで今回の任務は終わりにしようではないか、そう言われても、やはり賛同者はいなかった。いくら殺人稼業とはいえ、誰が好き好んで子供の斬首なぞしたがるものか。猪や熊を狩って鍋にする訳ではないのだ。あの死体は、どう見ても妖怪でも、ましてや動物でもなく……坊はまたもや吐き気がぶり返してきた。
「うぅ……どうしてこんなこと……!」
「毎日ろくに飯も食えねえでよ……ちくしょう。こんな世の中になっちまって……オラ何のために生きてるのか、さっぱり分からねぇよ」
「おい、黙れ!」
「末法の世じゃよ……もうこの国は終わりじゃあ!」
「なぁ? 一体いつまで……こんなこと続くのかなあ?」
「さぁなあ」
坊は力なく頭を振った。
「百年……いや千年経ったら、さすがに戦も終わってるんじゃないか?」
弓男は何らかの戦果を、持参できるものを欲しがった。しばらく押し問答があった後、狼の頭巾と、死体の髪の毛を『妖怪の証』として献上する……ということで何とか折り合いがついた。
「堪忍してくれよ……」
「ひぃいっ!?」
熊吉が泣き出しそうな顔で天を見上げた。皆、とぼとぼと元来た道を引き返し、渋々髪の毛を切った。まだ生々しい死体は、おかげで地蔵のように禿げ上がってしまったが、斬り刻まれたその死に顔はお世辞にも綺麗とは言えず、漢たちは目を逸らした。せめてもの報いにと、枯葉や鳥の巣を死体に被せ弔ったが、やがては野犬や烏に食い荒らされてしまうだろう。早速、黒い一羽が嘴を目玉の中に突っ込んでいるが見えて、坊たちは逃げるようにしてその場を離れた。
こうして妖怪退治は終わった。
だが、漢たちは誰一人として言葉も発さなかった。金を求めた者、名誉を求めた者、正義に燃えていた者……その誰一人として、胸を張る者はいなかった。坊なぞは、この仕事をむしろ早く忘れたいとすら願った。
だが結局は、誰一人として死ぬまで
「おい……あれ」
それは帰り道の途中だった。すでに陽は沈み、空には一面黒々とした雲がかかっていた。月はない。不意に誰かが前方を指さした。
「神社だ」
血の海や骨の森を避けて通っていた漢たちは、道沿いに寂れた神社を見つけた。この時代、薪が不足していたことはすでに述べたが、そうして売られる薪の中には、たまに赤色や金色の混じった薪もあった。いよいよ金に困った者が、社に忍び込み、仏像などを壊して売っていたのである。
「行こう」
「行こう」
そういうことになった。それに、何だか一雨来そうな空模様である。どうせ今日中に都に着くはずもなく、せめて雨風が凌げれば良い。坊なぞはそう思っていた。
それが間違いだった。
「お……」
「誰かいるぞ」
襖を開けるなり、熊吉が驚いた声を上げた。中は伽藍堂だったが……紫色の、ボロボロの座布団の上に、一匹の狐が横たわっていた。
「狐……?」
「……死んでるのか?」
神社の中にあったのは、狐の死体だった。どこにでもいるような、小麦色の、普通の狐である。さらに奥へと向かった漢たちが、まだ使えそうな鍋を発見した。しばらく沈黙した後、彼らは顔を見合わせた。
「ちょうどいい。この狐煮て食っちまおう」
「待てよ。狐って食えるのか?」
「だけど……腹、減ったなァ」
「なぁに、オラたちゃ今まで蛙だろうがコオロギだろうが、捕まえて食って来たんだ。構うもんか」
坊は文字が読めぬ。だから偉い人のいう宗教だとか、信仰心だとかはさっぱり分からなかったが、しかし神社に横たわっていた狐を食うのは、何だか気味が悪かった。
だって、まるでお供物みたいじゃないか。
仕事柄、神罰などは鼻から信じていなかったが、かといって進んで賽銭を盗もうとも思わぬ。咎人にも咎人なりの誇りがあるものだ。けれども、頭で考えることとは反対に、腹の中が勝手にぐうぐう鳴り始めてしまった。坊は顔を赤らめた。
「決まりだ」
「食おう」
「食おう」
そういうことになった。
社の床や壁を少々
しばらく誰もが無言で、ただ狐を腹に入れる音だけが社の中に谺した。鍋はあっという間に空になった。残り汁さえ出なかった。
外はいつの間にか雪が降り出していた。もし神社を見つけていなかったら、今頃凍え死んでいただろう。皆安堵のため息をつき、満足そうに床についた。今夜こそ気持ちよく眠れそうだ。あの弓男ですら、今夜は横になった。
……どれくらい経っただろうか。その夜もまた、誰かの悲鳴で坊は目を覚ました。真っ暗闇の中、眠たい目を擦り辺りを見渡すと、熊吉が巨きな体を震わせて尻餅をついていた。起き出してきた漢たちが怪訝な声を出した。
「熊吉?」
「どうした?」
「幽霊でも見たか?」
熊吉は口をぱくぱくさせて答えない。その顔は闇の中でも分かるくらい、すっかり血の気が引いていた。
「あ、あああ、ああああ……!」
「何だよ?」
「ああ、ああああ、あああれあれあああれあれ」
「あれ?」
良く見ると、熊吉はしきりに鍋の中を指さしている。不思議に思い中を覗き込むと、
「ややっ」
そこにはいつの間にかしゃれこうべ……頭蓋骨が置かれていた。
「どうした?」
あまりの騒ぎに、とうとう弓男も起き出してきた。みな騒然となった。さらには狐の骨を捨てたはずのところに、女物の着物や、どう見ても人骨としか思えないものが転がっていた。
「き、狐に化かされた!」
「何だと?」
「お、俺たちゃ人間の肉を食ってたんだ!」
「バカな」弓男は頭を振った。
「誰かの悪戯だろう。私たちが寝ている間にこっそり入れ替えておいたのだ」
「し、しかし……!」
「一体誰が!?」
「大変だ……人の肉だったなんて! なんてこった、祟られちまう!」
「ど、どうしよう、どうしよう……!?」
「えぇい、落ち着け」
弓男が声を荒げた。それから彼は涼しげな顔で皆を見回し、誰も予想しなかった一言を放った。
「良く聞け。
一瞬、社の中がしん……と静まり返った。此奴は一体何を言っているのか。誰もがぽかんと口を開けた。
「は……?」
「え? え?」
「妖など存在しない。全ては人間が作り出したまやかしなのだ」
弓男は表情ひとつ変えずにいった。
「厠で死んだ
「ちょ……ちょっと待てよ」槍使いが叫んだ。
「じゃあ、じゃあ知ってたのか!? オラたちに嘘ついてたのかよ!? 妖怪退治なんて言っておいて……最初から
「最後まで聞け。だからお前たちには口裏を合わせてもらう。公式記録では……後世にはこう語られる。私たちが退治したのは
「ンな……!?」
「それって……」
「
弓男はくっくっと低く嗤った。
「飢饉も! 洪水も! 焼亡も! 戦争も疫病も全て妖のせい! 悪いのは全て妖怪だ。人間は何も悪くない」
そうとでも思わないと、やってられないじゃないか……。
「直衣さん……?」
坊はふと、弓男の手が血で汚れ、微かに震えているのが分かった。
坊は文字が読めぬ。難しいことは分からぬが、だがこの男は何処か悟っておるのだ。いくら祈祷を続けようとも、この飢饉は無くなりはせぬ。いくら陰陽師に頼もうとも、源平は合戦を止めぬ。何れどちらかが滅ぶまで戦い続けるだろう。
社は再び静まり返った。
同じだ。坊はそう思った。着ているものは違っても、この直衣もまた、坊と同じ悩みを抱えている。この男もまた、弱いのだ。本当は最初から諦めておったのだ。何もできない。無力感。
だからこの妖怪退治を計画したのだ。認めたくなかった。行き場のない怒りを打つける敵が欲しかった。悪いのは自分じゃないと、自分にそう言い聞かせたかったのだ。そうでもしなければ、この男もまた、仕える君主に見せる顔がなかった。
今の坊になら分かる。
いくら末法末世と言えどもだ。
誰が子供を殺したと認められようか。
誰が人間を食ったと認められようか。
この乱世に、何か生贄を捧げねば……誰か悪者を拵えねば……どうして自分を保てよう。
「そうだな……」やがて誰かが、ポツリと呟いた。
「確かに……俺たちが食ったのは、
「嗚呼」闇の中、また誰かが呟いた。
「そうだな。ありゃあどう見ても狐だった。俺たちが食ったのは、狐の化け物だ」
「……オラたちが殺した子供も、そういえば、目が三つあったよな?」
「俺も見た。舌が蛇だった気がする」
「化け物だ」
「化け物だ」
「化け物だ」
「なぁ、坊」
闇の中で、目と目と目と目が一斉にこちらを振り向いた。その何れもが嗤っていて、坊はゾッとした。
「
「お……」
坊はごくりと唾を飲み込んだ。喉がからからで、上手く言葉が出てこない。
「俺は……あ、あれは……だって、どう見ても……!」
その時だった。
「何だ!?」
突然地鳴りのような音がしたかと思うと、社の床がバリバリと大きな音を立てて崩れ始めた。
「地震!?」
「う、うわぁぁぁあっ!?」
「ば……莫迦な!?」
飛び跳ねるように地面が大きく震え、とても立っていられなかった。弓男が、熊吉が、槍使いが、次々と大口を開けた地面の底に落ちていく。
坊もまた例外ではなかった。悲鳴も、怒号も、何もかもが飲み込まれていく。堕ちる。ふわりと内臓が宙に浮いた。無明の闇へと転がり堕ちていく最中、坊は目の端で確かにそれを見た。
「妖など……いるはずが……!」
隙間の空いた屋根の上。その上で、金色に輝く一匹の狐耳の少女が、じっと坊たちを見下ろしているのを。
「いるのか、いないのか」
「……!?」
「人間か、妖か」
「貴様……!」
「戦乱か、泰平か」
「化け狐めぇ!」
「平安の世、か。さりとてその実態は……フフン。のう小童」
「む!?」
「およそ千年後……此奴らがどちらを選んだか、見てみとうないか?」
目が合った。そして次の瞬間、坊は尖った岩肌の先に頭を打ちつけて絶命した。
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