第13話 なまはげ vs SDGs②
最初の変化は、ささいなものだった。
クラスメイトの間で、よく分からない黄色いナマズのキーホルダーが流行り、気がつくと全員がランドセルに付けていた。一体どこで売っているのか、そもそも何という名前なのかも分からない。何かのアニメのキャラクターなのか、ゲームなのか漫画なのか。CMでも見かけたことがないし、一体何が火付け役なのかも謎だった。
「けど、人気なのは確かだよ。有名な教育系YouTuberが言ってたから間違いないよ」
不細工なアフロヘアーの髭ナマズをぶらぶらさせて、秀平が得意そうに鼻を擦った。有名な教育系YouTuberが言ってるならきっとそうだろう。小学生にとって、有名な教育系YouTuberが言っていることは、先生よりも友達よりも親兄弟よりも正しいのだ。
それにしても、みんなが持っていると、自分も欲しくなるのは何故だろう。
最初は何が可愛いのか分からなかったぼくも、たちまちその髭ナマズが欲しくてたまらなくなった。聞くところによると、現在も入手は困難で、平日の午後商店街の片隅で不定期に販売されているらしい。
早速ぼくはなけなしの1000円札を握りしめ商店街に向かった。ほとんどの店はシャッターが降りていたが、その傍で、大柄な黒いスーツの男が黒いビニールシートを広げていた。すでに店じまいをしている様子だったが、ぼくはシートの上に黄色いナマズが転がっているのを見て、叫び声を上げて駆け寄った。
「ん? どうした坊主?」
大男は顔面積より大きなアフロヘアーをこれみよがしに掻き上げながら、ぼくに怪しげな笑みを浮かべて見せた。ぼくは息を切らして何とか彼の元に辿り着いた。
「それっ……そのナマズ……っ!」
「これか? あースマン、これ最後の一個でな」
黒服の大男は笑みを浮かべたまま眉を八の字にして見せた。
「隣町のお嬢様が、明日2000円で買ってくれるって約束してんだわ。だから、スマンな」
「そんな……」
「まぁ……でもせっかく来てくれたんだしなー」
気がつくと彼の顔がずい、と目と鼻の先にあって、ぼくは思わずのけぞりそうになった。
「定価は1800円なんだが、特別に1500円でどうだ?」
「え……でも」
ぼくの月のお小遣いは500円だった。タビカサナルネアゲラッシュトダイゾウゼイで、これじゃ漫画の一冊も買えやしない。いや、厳密にいうと古本屋などで買えないことはないのだが、でもそうするとぼくは、残りの1ヶ月をマッチ売りの少女よろしく、ひもじい思いをしながら過ごさねばならないのだった。ぼくは急いで財布の中身を確かめた。
「あの、ぼく……実は今1300円しか持ってなくて……」
「じゃ1300円だ。毎度あり。良かったな、坊主!」
男は白い歯を見せて髭ナマズを手渡した。全財産を失うのは恐ろしかったが、それでも目当てのキーホルダーを手に入れて、ぼくは胸がいっぱいになった。
「あ、ありがとう……でも、良いの?」
「良いんだよ。これもSDGsだからな」
「SD……Gs??」
「嗚呼。このキーホルダーを一個買うごとに、地球の裏側の、恵まれない子供たちに100円寄付されるんだ」
「そうなの?」
ぼくは目を丸くした。髭ナマズは不細工な顔のまま笑っていた。
「そうそう。地球の裏側にいる連中は、いつだって恵まれてないからな。少なくとも俺が生まれる前から恵まれてないし、俺が死ぬまで恵まれることはないだろう。有名な大学教授もそう言ってる」
「そうなんだ。じゃあホントだね。有名な大学教授が言ってることって、全部正しいものね」
「嗚呼。でもな。実は、向こうだってそう思ってる。日本人は恵まれてないって。だから向こうでキーホルダーが売れたら、こっちに100円寄付されるのさ。その寄付金を横領……じゃなかった、SDGsして、坊主の足りない分はそれで賄うから、大丈夫なんだ。困った時はお互い助け合う……これがSDGsなんだよ」
「へぇえ! すごいんだね、SDGsって!」
「だろ? 感謝するんだぞ地球に。地球という星に生まれてきた奇跡に」
「この原価150円ってどういう意味?」
「それは、気にするな。本気で地球のことを考えようと思ったら、気にしちゃいけないことだってあるんだ。分かるな、坊主?」
「うん……ありがとう! おじさん!」
「お兄さんだ」
ぼくから見ると十分に大人だったが、アフロ男はしきりに「自分はまだ若いんだ」ということを強調して、どこかへ行ってしまった。
次の日、何となくシャッター街を覗くと、髭ナマズは2500円に値上がりしていた(在庫が少ないらしく、いつ見ても残り一個だった)。ぼくは先に約束していたというお嬢様に少し申し訳なくなった。と同時に、ぼくは良いことをしたんだという誇らしさで嬉しくもなった。次にSDGsを見かけたら、地球のために、恵まれない子供たちのために、少しでもできることをやっていこうとぼくは思った。
1ヶ月後、今度はアフロ髭ナマズの巨大ぬいぐるみが出たということで、これまたクラスで大流行した。ぬいぐるみはSサイズ、Dサイズ、Gサイズ、sサイズの4種類あり、全部集めることで地球のためになるのだった。ぼくももちろん、みんなと一緒に急いで商店街へと走った。
「無理するなよ坊主。高い買い物だからな。でも、リボ払いって方法もあるぞ」
「リボ払い??」
「嗚呼。これもSDGsだ」
アフロのおじさん……もといお兄さんがニヤッと笑った。
「本来ならこのSサイズは40000円するんだが……坊主は毎月100円しか払わなくていい」
「えぇっ!? どうして!?」
「なぁに、毎月100円づつ払ってくれれば、いつかは40000円になるからさ……そしてたんまりと手数料を……ゲフンゲフン! とにかく、だ。小さなことをコツコツと積み重ねる。これがSDGsなんだよ」
「そうなんだ……毎月100円だけ……」
それなら最小限の出費で済む。ぼくは思い切ってDサイズも一緒に買い、毎月200円づつお兄さんに払う契約書にサインした。Dサイズは人気商品で、来月には生産終了になるので、今のうちにしか手に入らないと言われたのだ。ぼくは胸を撫で下ろした。本当に危ないところだった。
次の日。アフロのお兄さんがぼくのところにやってきて(どうしてぼくの家を知っているんだろう?)、哀しげな顔で、残念ながらGサイズとsサイズも今月で生産が最後になると告げた。
ぼくはしばらく考えて、Gとsもリボ払いとやらで買うことにした。毎月400円は中々の痛手だったが、背に腹は変えられない。それに、これが地球のためになるのだと思えば、安いもんだった。
「ホントだよ! 借金じゃないよ、リボ払いなの。SDGsなんだって!」
部屋がぬいぐるみだらけになって、お母さんは目を釣り上げて怒り始めた。ぼくはお母さんにSDGsの崇高なる理念を説明するのに苦労した。
「見てよほら。SDGs、あるでしょ? 立派な本にも買いてあるんだよ」
立派な本に書いてあることは、疑う必要はない。偉い作者の先生が、嘘なんかつくはずないじゃないか。
「だけどアンタ、これじゃ小学生の間はほぼほぼお小遣い無しじゃない。それでも良いのね?」
お母さんが呆れたように肩をすくめた。ぼくは部屋を振り返った。眠そうなアフロ髭ナマズと目が合った。不意に窓から吹き込んできた風が、ぬいぐるみのアフロヘアーを吹き飛ばしたと思ったら、ただの髭ナマズになってしまった。
お母さんは「すぐに返して来なさい!」と怒ったが、ぼくは髭ナマズが好きだった。どうして好きなのかと言うと、みんなに人気があるからだ。お金に困ったぼくの元に、「誰でも簡単に稼げる良いお手伝いがあるよ」と、アフロのお兄さんがニヤニヤと近づいてきたのは、それから数日後のことだった。
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