第2話 コックリさん vs chatGPT②

「はぁ……昨日はひどい目にあっちゃった」


 よたよたと教室にたどり着き、ランドセルを下ろしながら、ぼくは深いため息をついた。何とも言いようがない、摩訶不思議な悪夢を見てしまった。まさかタブレットが着物姿のキツネ少女に化けて、ぼくに殴りかかってくる夢なんて……よっぽど疲れていたに違いない。


「ヨォォ! 悠介!」

「ゲ……」

「ゲって何だよ、ゲッて」


 突然後ろから首根っこを歯がいじめにされ、ぼくは喉をつまらせた。ぼくとは比べ物にならない、大根みたいな太さの毛むくじゃらの腕。ガラガラのダミ声はもう嫌になるほど聞かされたガキ大将の野々村健太だ。松ぼっくりみたいな巨大な瞳と、毛虫みたいなゲジゲジ眉毛。品のないあの大きな顔で、ニヤニヤ笑っているのが目に浮かぶようだった。


 健太は人に挨拶する時、「こんにちは」でも「おはようございます」でもなく後ろから首を絞めるという風習を持つ謎の蛮族だった。彼は「首を絞められた相手は、喜んでいるに違いない」という勘違いを生まれた時からずっと続けている。おそらくそのうちこの学校でも殺人事件が発生するが、残念ながら犯人はもう分かりきっているので、ドラマみたいに盛り上がりそうもない。


「悠介、お前宿題やってきたのか、お前」

「離せよ……」

「やってくるワケないじゃん、コイツが」


 正面からこれまたニヤニヤ顔で現れたのは、健太の腰巾着、桑田秀平だった。ひょろ長ののっぽ、この学年でも一番の高身長で、6年生、いや中学生と比べても顕色がない。こちらの顔は人参みたいに面長で三角で、常に橙色に赤みがかっていた。


 とにかくネチネチネチネチ、ああ言えばこう言う、相手を論破して負けを認めさせることが趣味という、コイツも健太に負けず劣らずいやらしい奴だった。なまじ弁が立つものだから、秀平に泣かされた生徒はもう何人もいて、ぼくだけじゃない(ここが重要だ)。それでいて先生や親、大人にはヘラヘラと良い顔するんだから、余計ムカつくやな野郎だった。


「どうせ毎日スマホでゲームして過ごしてたんでしょ」

「うぐ……!」

「そうやって死ぬまでダラダラ生きてればいいよ、悠太は」

「うぅ……」


 反論できないのが悔しい。朝っぱらから大根と人参に絡まれて、ぼくは憂うつだった。それでなくても野菜は嫌いなのだ。


「やめなさいよ、もう!」


 すると、むさ苦しいばかりの野菜畑に、清涼な風のような美しい声が響き渡る。クラスのマドンナ・鰆木さわらぎいるかちゃんだった。同じ白さでも大根とは雲泥の差があるきめ細やかな肌、人参とは月とスッポンの薄紅色に染まった頬、艶のある黒髪は後ろで赤いリボンで結ばれていて、それがまた可愛らしい。いるかちゃんはぼくの近所に住んでいて、「悠介くんってジャガイモに似てて可愛いね」と言ってくれたから大好きだ。


 ぼく本人としては、ジャガイモよりももっとふさわしい例えがあるような気がするが……ジャガイモは「放っておくとそのうち芽がでる」ので、きっといるかちゃんはぼくの将来性を買っているのだろう。まぁ、ジャガイモの芽には毒があるんだけど……あまり深くは考えないようにする。


「かわいそうじゃない、弱い者いじめは!」

「チェッ」

「やだなぁ、僕らスキンシップ取ってただけだよぉ」


 いるかちゃんに睨まれ、大根と人参が慌ててぼくの机から離れていった。いるかちゃんや、それから鮎川くんは先生や親にも大人気の優等生だから、さすがに2人でも横柄な態度は取れなかった。

「大丈夫?」

 いるかちゃんが心配そうにぼくに尋ねた。女の子に弱い者認定されて、ぼくは何だか情けないやら恥ずかしいやら、まともに正面が見れなくて俯いてしまった。


「気にしないで。悪い奴はどこの世界にもいるものよ」

「あ……ありがとう」


 ぽんぽんと頭を撫でられ、ぼくは思わず顔を赤らめ、涙をこぼしそうになった。全くいるかちゃんは、ぼくらとは住む世界が違う人種のように優しい。ぼくはお姉ちゃんからも、こんなに優しくされた覚えはなかった。


「宿題、やってきたんでしょ?」

「う、うん……」


 つぶらな瞳に見つめられ、ぼくはつい見栄を張った。本当は昨日、悪夢を見た後気がつくと朝を迎えてしまって、プリントは真っ白なままだった。


「よかった! 気にしないことよ、ね?」

「うん……」


 いるかちゃんはホッとしたように笑って、それから仲良しの女の子グループの方に戻っていった。ぼくの笑顔はぎこちなかった。何だかひどい裏切りをしてしまったような気分になって、ぼくはランドセルを持って、こっそり空き教室へと走った。遠くの方から、健太と秀平がぼくを指差して笑っているような気がしたが、今は構っているヒマはない。


 まずい。まずい。まずい。このままでは先生に怒られるどころか、せっかく助けてくれたいるかちゃんまでがっかりさせることになってしまう。それを思うと、胃の中のものを全部吐き出してしまいそうだった。どうしてあんな嘘をついてしまったんだろう? 分からないが、とにかく先生が来るまでのあと数分で、何とか宿題を終わらせるしかない。

 

 慌てて廊下を走り抜ける。ランドセルの中でからん、と鈴の音が聞こえた、ような気がした。

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