コックリさん vs chatGPT
てこ/ひかり
ROUND 1
第1話 コックリさん vs chatGPT①
「ユウちゃん、あなた、夏休みの宿題は終わったの?」
「ん? まだ……」
「んまぁッどうするのよ!? 明日から学校じゃない!?」
四畳半の部屋にお母さんの怒鳴り声が響き渡る。どうしてお母さんは、子供部屋のドアを勝手に開けるんだろう? 怒ってる時はいつもそうだ。ドンドンドンドン! って、いかにも「怒ってますよ」って感じで階段を登ってきて、それからお相撲さんの張り手みたいにドアを吹き飛ばす。普段は口酸っぱく「ドアを開ける時はノックをしなさい」とぼくに説教してるくせに。ああ、ぼくも早く大人になりたい。早く大人になって、自分の都合の悪い時は平気でルールを無視できる人間になりたい。
「バカ言ってんじゃないよ! 人と話してる時はちゃんとこっちを向きなさい!」
声のトーンが二段階上になって、ぼくは慌ててスマホのゲーム画面から目を離した。顔を真っ赤にした鬼が……いやお母さんが……ドアの前で腰を当て、仁王立ちしていた。
「だからあれほど計画的に勉強しなさいって、お母さん言ったわよね!?」
「大丈夫だよ」
「何が大丈夫なの!?」
「分かんなかったら、チャットGPTに聞くから」
「チャットジー……なんですって?」
とたんにお母さんがキョトンとした顔になった。お母さんはカタカナ語が苦手なのだ。
「何なの? そのチャット何とかって?」
「知らないの? ああ……いや、お母さんは知らなくて良いよ。今小学生の間で流行ってて」
「……まさか怪しいものじゃないでしょうね?」
「全然!」
ぼくは笑った。ここだ。
「だって鮎川くんだって使ってるし」
「まぁ、くんが!?」
鮎川くんの名前を出したら、たちまちお母さんの顔がぱあっと明るくなった。鮎川くんというのはぼくのクラスメイトで、成績優秀容姿端麗、おまけにスポーツ万能で性格も良いと言う絵に描いたような優等生だった。保護者様方からも大変評判がよろしく、彼のやることは常に清く正しく美しいので、ぼくらも何かと重宝していた。たとえば、こういった時に。
「鮎川くん言ってたよ。『チャットGPTはすごい』って。『これからはこう言ったものを使いこなせるかが、今後の様々な分野の発展に重要になってくる』って」
「まぁ……彼が言うならそうなんでしょうね」
お母さんはうっとりしたような顔でほほ笑んだ。ちぇっ。きっとお母さんは、鮎川くんに自分の息子になってもらいたいんだ。
「だからぼく、宿題はチャットGPT使うよ」
「ええ、是非とも使いなさい使いなさい」
やがてお母さんは満足したような顔で出ていった。ぼくは笑い出しそうになるのを必死にこらえながら、真面目な顔を作ってそれを見送った。やれやれ。これで親の許可ももらったことだし、堂々と生成AIに宿題を解かせることができる。宿題なんて、わざわざ自分で頭を悩ませなくても、AIがわずか数分で完璧な答えをくれる時代なのだ。こんな便利なもの使わない手はない。うへへへへ。
窓の外はもう真っ暗だった。花火大会も終わり、海開きも終わり、縁日も、肝試しも……楽しいことはあっという間に終わる。小麦色に焼けた手で窓を開けると、夏の終わりを告げる涼風が、からんころん、と風鈴を鳴らして入ってきた。
ぼくは早速タブレットを立ち上げ(学校から支給されたものだ)、件の優秀なAIを起動することにした。しかし……どう言うわけか立ち上がらない。
「ん?」
おかしい。顔認証も、指紋認証もできないなんて。もしかして壊れたか? ぼくは首をひねって、仕方なくパスワードを手入力することにした。
「んん??」
……それでも画面は、うんともすんとも言わなかった。何度仮想キーボードを叩いても、ログインできない。正しいパスワードを入力しているはずなのに、画面には『パスワードが違います』と表示され、それ以上入ることができなかった。
これはいよいよ困ったことになった。ぼくは途方に暮れた。これじゃ宿題が終わらないじゃないか! 万が一宿題をやって来なかったら、先生に怒鳴られて廊下に立たされる……のはまだ良いとして、ケンタやシュウヘイから散々ばかにされ、からかわれるに違いない。想像するだけで内臓がぞわりとうごめいた。
「何でだよ……!?」
焦りながら、何度も仮想ボタンを連打する。それでもタブレットは動かない。メチャクチャにボタンを押しまくったせいか、いつの間にかキーボードが見たこともない形に変わっていた。五十音の表……あ行からわ行までずらりと並び……上の方には「はい」とか「いいえ」とか、神社の鳥居みたいなマークが浮かび上がっている。
「何だよこれ……!?」
『オイ』
「うわぁっ!?」
突然機械がしゃべりかけてきて、ぼくは思わずタブレットを放り出した。孤を描いた四角い機械が、鈍い音を立てて床に転がる。僕は手のひらから背中から、じわりと汗がにじんで来るのを感じた。
「な、ななな何!? どうなってんの!?」
『イテテ……』
「またしゃべった!?」
僕は尻餅をついたまま目を見開いた。確かに機械の中には、まるで人間みたいにしゃべる奴もいる。とはいえこれにそんな設定はしていないはずだった。ましてや、床に落とされたことを痛がるなんて。機械に痛みなんてないはずなのに。
床に放り出されたタブレットが、チカチカと、まるで呼吸をするかのように明滅した。画像が乱れ、さっきから何だか得体の知れない砂埃が映し出されている。僕はその異変から目が離せなくなっていた。
『貴様……放り投げる奴があるか!』
「何!?」
『許さぬ……』
「え!? えっ!?」
突然開け放った窓から突風が雪崩れ込んできた。僕は悲鳴を上げた。机の上に散乱した宿題のプリントが、紙吹雪みたいに宙を舞う。部屋の中で吹き荒れた旋風は、あの重たいタブレットを、まるで木の葉のように軽々と持ち上げてしまった。
「ウソ……!?」
『許さぬぞ……人間ども!』
それからタブレットは……誓って言うが、ぼくは本当のことを、真実を話している。嘘じゃない。タブレットは本当に、ぼくの目線の高さまでふわりと飛んできて、それからその四角い画面から、突然にゅっ! と手が伸びてきたんだ。
「うわぁああっ!?」
『よくも……このワシをコケにしてくれたな!』
「何!? 何!?」
画面から生えてきた手は、獲物を探すみたいに右に左にクネクネと指を伸ばした。その手の甲……小さな、お人形みたいな手……には、だけど何だか動物みたいな、金色の毛が生えていた。僕は息を飲んだ。その手に見つからないよう、尻餅をついたまま必死に後退りした。
「あ……あ……!」
やがて画面は、雷でも落ちたみたいに真っ白に光り始めた。空間が歪んでしまったかのような明滅……そして画面の向こうから、姿を現したのは……、
「あ……!!」
……それは、少女だった。幼い……見た目はぼくと同じ小学生くらいか、年下にも見える……キリリと釣り上がった眼。陶器のような白い肌。髪の色は外国人みたいに金髪で、頭のところに三角が二つ付いていた。あれは……耳?
「あ……あ……」
それに、何故か着物姿。まるで神社の巫女見たいな、赤と白の袴を着て、首から金魚の形を模した財布がぶら下げられている。これからお祭りにでも出かけるみたいな格好だった。だけどそんなことより、何より変なのは、
「……小っちぇえ!」
少女は、まるで猫やキツネと同じサイズ……どう頑張って見ても、ぼくの脛くらいの高さまでしかなかった。ぼくは驚き過ぎて腰が抜けてしまった。まるでキツネみたいな少女が、突然タブレットから顔を突き出してきて、何やら尻尾を膨らませて怒っている。
「貴様……このワシを放ったらかしにして、ちゃっとじーぴーてぃーなどにうつつを抜かすなど……」
「え!?」
「この……浮気者ーッ!」
「えぇっ!?」
気がつくとぼくは、その人形みたいな少女にほっぺたを思いっきり引っ叩かれていた。
それがぼくと、令和のコックリさん……
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