第149話オタクの矜持

「いるんです……出演者の一覧の中に、水瀬みなせカイトさんが!」


 水瀬カイトの名前を見た瞬間、動揺した様子で俺の方を見る乙成。今にも「はわわ……」とか言い出しそうな表情だ。


 水瀬カイトとは、乙成が愛してやまない乙女ゲーム、天網恢恢乙女綺譚の中に出てくる兜々良蟹麿つづらかにまろの中の人だ。言わずもがな、蟹麿は乙成の推しキャラである。蟹麿の事で散々乙成に宿を命じられていたから、流行り物や芸能人に疎い俺でも水瀬カイトの事は自然と覚えられた。

 身長180センチ、血液型はO型。6月3日生まれのふたご座だ。顔良し歌良しスタイル良しと、弱点とかあんの? という、俺達一般人と明らかに一線を画した存在である。ついでに言うと、性格まで良いらしい。そこに関して俺は認めていないが、乙成が言うには、顔面国宝、みんなの癒し、声優界の良心……らしい。最後の一文は誤解を招きかねない言い回しだと思うが、ネットに溢れる水瀬カイトファン達の意見も、概ねこんな感じである。


 そんな憧れに憧れている人が、自分も関わるイベントに出演するのだ。興奮するなという方が無理な話である。


「わわわ四月一日殿に連絡……ああ、これってまだ公になってない情報ですか?! あ! もう告知されてる? 私とした事が、見逃していたなんて……! いいい急いで四月一日殿に連絡せねば……!」


 ここが会社だという事も忘れて、オタク丸出しの話し口調でアワアワする乙成。そんなに嬉しいもんなんかねぇ?


******

 

「嬉しいなんてもんじゃないですよ!!!」


 昼休み。いつも通り追い出し部屋で昼飯を食いながら、興奮冷めやまぬ乙成は俺の素朴な疑問一つにも語気を強めて反応してくる。ちなみに、今日の乙成の昼飯はカニパンである。昨日の夜、弁当に使うおかずが足りなかったとかで。それでカニパンを買ってくる所がまた乙成らしい。常に推しの概念を感じていたいと言う事か。


「だって水瀬カイトさんですよ?! 生涯交わる事のない人だと思っていたのに、まさかこんな所で私の人生に関わってくるなんて……! これを奇跡と呼ばずに、なんと呼ぶんですか?!」


「わ、分かったって……朝霧さんの話だと、俺らも当日はスタッフとして駆り出されるって言ってたから、近くで見れたらいいよな!」


「はいっ! とっても楽しみです!!」


 そう言って、カニパンを美味しそうに頬張る乙成。彼女の笑顔を見れるのは、どんな時でも嬉しいものだし、幸せな気持ちになれる。でも俺にはちょっとだけ気になっていて未だに聞けていない事があった。


「乙成ってさ」


「はい、なんでしょう??」


「水瀬カイトの事好きなの?」


 ……あれ? 俺、やったか? 急に乙成黙っちゃったんだけど。ほら、よくあるじゃん? 芸能人にガチで恋してる、みたいな。乙成ももしかしてそんな感じなのかなーって素朴な疑問だったんだが、これは聞いちゃいけないやつだったかな? 地雷? 俺は地雷を踏んでしまったの?


 よくよく考えてみたら、俺が今した質問ってちょっとキモいかな? 芸能人に夢中の彼女に嫉妬してるみたいに思われたかな? もし乙成が水瀬カイトにガチ恋してたとして、それはそれでどうなの? って問題が出てくるじゃん? え、やっぱりキモいかな? 俺はどうすれば良かったの? もう何がなんだか分かんないんだけど。


「前田さん」


 少し考える風を見せてから、乙成は静かに俺の名前を呼んだ。マジでやっちゃった感しかなくてソワソワするんだけど。


の問題は、日々議論される事だと思います。推しがいる以上、避けては通れない道なのです」


「はい……」


 空気的に、今から何かを語られるのだと察した。やはり地雷だったか? 乙成が持っていたカニパンをそっとテーブルに置いたので、俺も姿勢を正して乙成に向き合った。


「私は……私は、ですよ? 他の方がどうかは分からないのですが、親愛の先にあるのが愛情だと思うんです。そこから色んな形の愛情に枝分かれしていくのだと思うのですが、推しの中の人に対して思っている感情は、それとは別の場所にいるのです」


「というと?」


「私の性別が女性だから、こういったややこしい話になるのだと思うのですが、水瀬さんに感じている気持ちは、感謝、感謝、感謝……それだけです」


 言い切ってキリっとする乙成。感謝しか感じていないとは、なんて無欲なのだ。


「じゃあ恋愛的な感情はないの?」


「前田さん」


 あ、ヤバい。また語りだす流れだわ、これ。


「先ほども言った様に、性的な愛情とは親愛の先にあるものなのですよ。親しみってごくごく近い所にいる人に対して抱くものでしょう? 水瀬さんはどうです? 芸能人ですよ? 確かに親しみやすさはあります、水瀬さん、よく自炊するって言ってたし。しかしこの気持ちは親愛のそれとは違う。いわば憧憬です。天上人なのですよ。雲より高い所にいる人に、性的な感情を抱きますか? 抱かないでしょう? つまりそういう事です」


「な、なんか、すみません……」


 分かって頂ければいいのです、と、乙成は慈愛に満ちた柔らかい表情を浮かべ、再びカニパンを頬張る。なんかよく分からないけど、俺は多分怒られたのだろう。


「まぁ一つだけ望む事があるとすれば、健康でいて欲しい、でしょうかね」


 孫からおばあちゃんへ贈る言葉みたいな事を言って、水筒のお茶を飲みつつ、感慨深く窓の外を眺めて呟く乙成。なんかもう、色々突き出ちゃったんだろうな。


「さて、ご飯も食べ終わった事ですし、そろそろ始めますか」


「始めるって……蟹麿ですか?」


「もちろんです! 本物の水瀬さんに会える事も確定した事ですし、前田さん! ここからは気合い入れていきますよ!! じゃあ今日は……アニメ版から、まろ様が猫を拾ってきたエピソードでお願いします!!!」


 毎度おなじみ、蟹麿全集を取り出してニッコリ笑顔で俺を見てくる乙成。俺の思いは杞憂に終わったが、一歩踏み込んだ乙成の熱い思いを知る事が良かったと思う。


 おも……うん、そう思う事にしとこう。

 


 

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