第147話パブロフの前田
お、おめでとうだと……?! 俺の目の前にいるのは、本当に美作さんか?! 想定していたリアクションと違う。もっとこう、チクチクと地味にダメージを負わせる様な攻撃を仕掛けてくるのが、奴の特徴だった筈だ。おい、どうしたんだよ! なんか調子狂うじゃないか!
「怒らないんですか……?」
「? なんで怒るんですか? 良い事じゃないですか」
ほ、本気か……? 本気で美作さんは、俺達の事を祝福してくれているというのか? でも、そうだよな……いつもだったら、そろそろ俺への精神攻撃が始まっている筈だ。今の状況なら、まず間違いなく、俺の足を踏んでるな。踏みしめながら「おめでとう」って言ってるわ。
「こうちゃんも大人になったのね♪ ねぇ、お茶にしましょうよ。ここまで来るのに疲れたでしょう?」
麗香さんの提案で、一同はリビングへと向かった。麗香さんがお茶を入れてくれる間も、美作さんは不気味なくらい静かだ。アイリを肩に乗せた状態で、麗香さんの手伝いをしている。
「ねぇ、それで? 二人の馴れ初め聞きたいなぁ♪」
お茶とお菓子を持ってくるなり、ニコニコ顔で俺達の馴れ初めを聞き出そうとする麗香さん。こうして見ると乙成そっくりだな。
「もお! 恥ずかしいよ!」
恥ずかしがってモジモジしながら俺の方を見る乙成。普段ならこの辺りで、背筋がヒヤッとするんだよなあ……
チラリと美作さんの方を見る。今までなら、視線だけで俺を絞め上げようとしてくる所だが、今の美作さんはアイリに夢中である。奴の腕の中でウトウトするアイリの頭を、指の腹で優しく撫でている。
き、聞いてない?! マジかよ?! いつもだったら、紅茶に砂糖いりますかって聞きながら塩渡してくる所だろ?! おい、マジでどうしたんだよ?!
ヤバいな……これじゃまるで、俺が美作さんの
乙成と麗香さんは女子トークに夢中である。先日の婚活パーティの話題でもちきりだ。今までの美作そんだったら、乙成が婚活パーティに行ったなんて聞いたら、その日パーティに参加した男達全員の記憶を消すとか言い出しかねなかったのに、今はそんな気配がまるでない。
やはり、これは由々しき事態だ。
「あの、美作さん」
「はい。どうしました前田くん?」
「さっきは言いそびれちゃったんですけど、乙成と付き合った事、報告が遅くなってすみません……」
俺は、心の中で引っかかっていた事を口にした。乙成と付き合ったあの日、あんまり思い出したくはないけど、あの日俺は、もう少しで美作さんと既成事実を作ってしまう所だったのだ。今は未遂で終わって、本当に良かったと思っている。
あの時、俺達が想い合っている事を知って、美作さんは乙成の気持ちを優先させたんだ。
――あいりを悲しませたりしないでください
そう言って背中を押して(?)くれた美作さんに、付き合った報告がひと月も遅れたのだ。これはもう、美作さんがイカれてるとか関係なく、普通にちょっと不敬にあたると思うんだ。美作さんがどれだけ変人でも、やはり失礼はあっちゃいけないと思うな。俺、大人だしな、うん。
「あぁ、そんな事ですか。別に気にしていませんよ」
「本当に?」
「本当です。あいりと前田くんがこうなって、本当に良かったと思っていますよ。あの時も言ったかもしれませんが、僕は、あいりの幸せが一番なんです。あいりと麗香さんが笑っていてくれるなら、僕はなんにも要らないんですよ」
み、美作さん……! あんた聖人か?! 何よりも愛する人の幸せを願うとか……! 俺、間違ってた。美作さんの事、ずっとただのおかしな人だと思ってたし、なんなら軽めの犯罪だったら、なんの抵抗もなくやってのけそうだなとまで思っていたけども。その全部が俺の思い過ごしだって事に気が付いたよ! 美作さん、あんた本当に……
「あ、そういえば。前田くん、まだアイリに触ってなかったですよね? よかったら撫でてみますか?」
「えっいいんですか?」
「勿論です。アイリはとても人懐っこいので、きっとすぐに前田くんにも懐いてくれると思います」
そう言って、美作さんは両手にすっぽりおさまったままのアイリを俺の前へと差し出した。先ほどまで美作さんの腕の中でウトウトしていたアイリだったが、今は大きくて神秘的な瞳をこちらに向けながらきょとんとしている。
か、可愛い……いや、確かにこれは、美作さんがメロメロになるのも分かるわ。ふわふわのもふもふで、きゅるきゅるのうるうるなんだもん。こんな生き物、愛でない方がどうかしている。
いやぁ、実を言うとさっきから、乙成や美作さん達がアイリに触ってたのを見て、密かに羨ましいって思ってたんだよ! やっぱり猫って可愛いよなあ〜!
「え、あ、じゃあ……アイリ、おいで〜」
テーブルの上に差し出した俺の手のひらめがけて、アイリはポテポテと近付いてきたかと思った次の瞬間、ピョコンと勢いよく俺の両の手のひらの上へとジャンプした。
ギギギ……
「ん?」
ギギギギギ……!
「え、痛っ……!」
「ニャ~〜〜〜〜〜〜〜〜」
ギギギギギギギィ!!!!
「痛い痛い痛い!」
ピョコンと俺の手のひらに飛び乗った次の瞬間、アイリは小さくてかわゆい肉球の間から飛び出た鋭い爪を器用に使い、俺の腕をよじ登ってきた。
何かに取り憑かれた様に、一心不乱に俺の頭頂部めがけてよじ登るアイリ。ピッケルを硬い岩場に引っ掛ける様に、俺の皮膚にテンポ良く爪を引っ掛けて登っていく。
「た、助けて……!」
「わ?! 前田さん大丈夫ですか?! こら! アイリ、ダメじゃない!」
慌てて乙成がアイリを俺から引き離す。その足で救急箱を取りに行くなど、現場は一時騒然となった。
ただ一人、美作さんを除いては。
「子猫のうちは筋肉がまだ未発達なので、爪をしまえないんですよ。アイリは好奇心が旺盛で、体力が有り余ってるみたいなので、
今日イチの笑顔で俺を見る美作さん。引っ掻き傷だらけになった俺を見て、心底嬉しそうだ。
「美作さん……あんた……」
「あ、前田くん。紅茶に砂糖、要りますよね?」
トン
そしてテーブルの上に置かれるアジシオ。やっぱり……やっぱりやって来やがった……!
「前田くん」
テーブルに肘をついたまま、妖しげに微笑む美作さん。少し首を傾けて、真っ直ぐ俺を見てくる。
「そろそろ、欲しくなってきたんじゃないですか?」
な、なに?! もしやこれまでの振る舞いは全て計算のもと……?!
これだよ……これこれこれぇ!!!!!
これを待ってたんだよ!!!!!
散々待たせやがって! もったいぶるなってんだよ!!!
俺達の……俺達の美作さんが帰ってきた!!!!
条件反射……今の俺は、ここ数ヶ月の美作さんによる精神及び肉体的な数々の攻撃により、反射的に
………………マジでもう、この人とは会うのを控えよう、そう心に誓った俺なのであった。
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