第146話アイリ

「この子はです」


 にゃ〜〜〜


 美作さんの声に反応する様に、アイリと呼ばれた子猫は嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らす。その姿にすっかりメロメロなご様子の美作さん。この姿は、見る人によっちゃ鼻血やら涎やらを垂れ流してエライ事になりそうな絵面ではあるが、問題はそこじゃない。


 なんて言った? アイリって?


「あのぉ、アイリと言うのは……」


「前田くん、何度も言わせないでください。アイリはこの子の名前ですよ」


 あれ? なんかこれ、触れちゃいけないやつかな? 心なしか、さっきから背筋かゾワゾワするんだけど。


「いや、それは……ここにもいますよ、ね? あいりって……」


 そう言って、俺は乙成の方をチラリと見る。そう、もうお分かりかもしれないが、ここにいるゾンビの女の子の名前もあいりなのだ。


「? でも、この子はカタカナですよ?」


「そういう問題?!」


 何か問題でも? と言いたげに首を傾げる美作さん。彼の手の中の小さな子猫も、同じ様に首を傾げてみせる。そんな所シンクロさせんな。


「いやいや! おかしいでしょ! なんで恋人の娘とおんなじ名前つけてんの?! 怖いんだけど!!!」


 ああ、この感じだわ。一ヶ月ぶりに会ったからすっかり忘れてたけど、やっぱ美作さんってイカれてんな。なんか懐かしさすら感じるもん。


「ねぇ、乙成からもなんか言って……」


「か」


 ん?


「かわいい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」


 えええええええー


 さっきまでの気迫は何処へやら。子猫を見た瞬間、乙成は顔を綻ばせて美作さんの元へと向かって行ってしまった。


「光太郎さん、この子どうしたの?」


「庭に迷い込んで来たんです。しばらく待ってても母猫が迎えに来る気配もなかったので保護しました」


「こうちゃんったら、もうすっかりアイリにメロメロなのよ?!」


 俺達を追いかけて部屋に入って来た麗香さん。ちょっとご機嫌斜めなご様子ではあるが、なんだかんだ子猫に夢中な様だ。あ、今も、子猫を見るなり顔がふにゃあってなった。やっぱ猫って凄いんだな。


「え、そういえば子供が出来たって言ってたじゃない?! それって……」


「そうです、この子が僕達の子供です。あいり、僕、パパになりました」


 はぁ……パパ……


「もう! それならそうと先に言ってよ! 子供なんて言い方するから、すっかり勘違いしちゃったじゃない! それにしても、アイリとっても可愛いね! ふわふわ!」


 乙成はそう言って、子猫の背中を優しく撫でている。黒くて、少し毛足の長めの子猫だ。わた毛の様なふわふわの毛並みが、撫でられる度にモフモフしている。あ、いや、そうじゃなくって……乙成、お前もか? お前も、この子猫をアイリと呼ぶのか……?


「こうちゃんったらね、あいりに早く会わせたいって言って大変だったのよ? この子、あいりに似てるって。それでアイリって名前にしたの♪」


 名付けの由来を嬉しそうに語る麗香さん。なんかもう、俺がおかしいのかな? この世界線では、俺が異端な存在なのかもしれない。考えないようにしよう。


「ところで前田くん、なんで君がここにいるのですか?」


 突如として、美作さんの視線がこちらへと向けられる。その目は家族の団らんに割って入ってきた邪魔者を見る目そのものである。ついこの間まで、俺と既成事実を作ろうとしていた人と同じ人とはとても思えない。なんかちょっとショックなんだけど。


「あ! それはね、私が呼んだの! 部屋の事でケンカになりそうだったし、それに……まだ二人に、話してない事があったから……」


 そう言って、今度は乙成がチラリと俺の方を見る。二人にまだ言っていない事、それは俺達が付き合いだした事だろう。え、まさか、ここで言うつもり?


「言ってない事って?」


 麗香さんの問いかけに、俺はグッと唾を飲む。これは、俺から言った方がいいよな? 一応、挨拶みたいなものだし……


「実は、俺達付き合う事になったんです」



 ……………………


 …………………………


 ……………………………………


「あ、そうなの? てっきり前から付き合ってるものだと思ってたわ♪ ね、こうちゃん?」


 麗香さんの反応は、まぁ予想通りって感じだな。問題はこっち美作だ。俺が付き合ってるって言った瞬間から、多分瞬きもせず俺の方をジッと見てくる。大事そうに抱きかかえられたアイリまでこっちをジッと見てくる始末だ。この目だよ、この目! 自分でもびっくりだが、俺はこの数ヶ月でだいぶ、美作さんに対して耐性がついてきたと思う。そんな目で見られてもビビらないもん。前なんか、軽くチビリかけるくらい不安でソワソワしたものだが、今なんかもう、想定の範囲内って感じ? 次に何が来てもビビらない自信あるわ、マジで。


「……………………」


「………………………………」


「………………………………………………」


 やけに長い沈黙が続く。乙成の顔も、だんだんと不安そうに引き攣ってきている。美作さんは相変わらずの真顔である。ビビらないって宣言したばっかだけど、ここまで沈黙が続くと流石に不安になってくるぞ? なんか言って……!


「あの、美作……さん?」


「そうだったんですね、それはおめでとうございます」


 …………え? お、おおおおめでとう……だと?

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る