第142話蟹麿を推せ!乙成!

 俺は今、人生最大のピンチを迎えている。


 それは俺の人生初の彼女、乙成あいりが絶賛推し疲れ中だという事。普通そんなもん、彼氏が心配したりするもんではないのだけど、俺の場合は事情が違う。

 俺の存在意義は、蟹麿がある前提だからである。悲しきかな、今の俺には乙成を満足させる方法がしかないのだ。満足させるってワードでいかがわしい想像しただろ? やめてくれ、今は真剣に話してるんだよ! すーぐ、そっちの想像ばっかするんだから。まったくもう!


 で、まあ何が言いたいかと申しますと、推し疲れを起こした乙成の気持ちを、もう一度燃え上がらせようという事だ。そんな簡単にいくものなのか分からないけど、俺に出来る事は惜しみなくやるつもりである。


「はぁ〜〜〜〜」


 今日も今日とて追い出し部屋。相変わらずなんか怠そうな乙成。昨日は大根買えたのかな?


「乙成!」


「? どうしましたぁ? 前田さん」


 ぐ……やっぱり元気ないな。俺は目一杯の笑顔で、まずは乙成の心を開く事から始めた。


「俺、昨日天網恢恢乙女綺譚のアニメ一気見したんだよ! 蟹麿と……誰だっけ、あの一寸法師のやつ! あいつとの掛け合いが面白かったよ!」


「あぁ、住吉一千与すみよしかずちよですねぇ〜彼も人気キャラですよ~原作だと、彼のルートに入ると打ち出の小槌で彼を大っきくするイベントが発生するんです。これでようやく主人公ちゃんと同じ目線で一緒に居られるって喜んだのも束の間、その打ち出の小槌の効果は数分しか保たなくて、すぐに元の姿に戻ってしまうというハンデが付きまとうキャラなんですよね〜」


 すっごいテンション低く解説をしてくれる乙成。いつもなら、これの何倍もテンション高く解説とちょっとした小話まで挟んでくるというのに……これは思ったより重症……?


「そ、そうなんだ! 俺はあいつ好きだなぁ〜! あいつと絡んでる時の蟹麿が面白い!」


「まぁ、関西弁キャラですからねぇ〜彼は頭が切れるので、ストーリーの重要な場面でも結構確信をついた事を言うんですよ。まろ様にとっては、身体の小さい一千与はおもちゃですね~。二次創作界隈では、一千与とまろ様がいちゃついてる所に祐天がヤキモチを焼く……みたいなシチュエーションが人気です」


「乙成!!!!!」


 バン! っと、俺は追い出し部屋に置き去りにされているデスク……もとい追い出し机の天面を叩いて、ぽけ〜っとしたままBL創作の解説を挟んでくる乙成の意識をこちらへ向かせた。


「は、はい……! なんですか?」


 我に返った乙成は、俺の気迫に少々驚いている様だ。それもその筈、今の俺はめちゃくちゃ焦りまくっているからな!


「乙成……推し疲れだかなんだか知らないけど、お前が蟹麿を降りるなんて事は、俺がさせない!!」


「え、前田さん……なにを……」


「最近じゃ、蟹麿の声真似する機会も減ってきていたせいで、蟹麿熱が冷めきってしまっているのかもしれない……ここらで一度、失われた蟹麿熱を取り戻そうじゃないか!」


 そう、実は最近、俺はほとんど蟹麿の声真似をしていない。単純に物語の都合上、見せてはないけど裏では毎日声を聞かせているよ! みたいな解釈をしている人も多い事だろう。本当に前ほど声を聞かせてないのだ。それには理由がある。


 それは乙成の情緒が比較的安定しているので、前ほど蟹麿の声を聞かせなくてもゾンビ化を抑えられているのだ。ゾンビ化ってそんな感じなの? って思うかもしれないけど、今までゾンビになった人間なんて居ないんだから余計な事は考えるだけ無駄だ。知らないけど本人のメンタルに依存するもんなんだろ。


「前田さん……前田さんの本気、伝わりました。やりましょう」


 なんか気合いの入り方がちょっと違う気もするが、俺の熱意に乙成も応えてくれた様だ。ちなみに、もうどのシーンの蟹麿を演じるかは予め決めてある。


「乙成、ハンドクリーム持ってる?」


「はい、持ってますけど……ハッ! まさか前田さん、をやるおつもりなんですか?!」


「そのまさかだ!」


 

 

 

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