第117話朝霧ニキ

 翌日。俺と乙成は朝早くから滝口さんに呼び出された。場所はいつもの追い出し部屋。

 お酒を飲んだ次の日は、だいたい遅刻ギリギリか、もっと酷いと始業時間丁度に執務室へ入ってくる様な滝口さんが、昨日は酒を飲んでいたのにもかかわらず、二日酔いの気配すら感じさせずに部屋の椅子に座っている。心なしかその顔は何か決意を込めた様な、腹を括った感じだ。俺と乙成は、今から一体何を言われるのだろかとドキドキしながら滝口さんの言葉を待った。


「よく来たな、まあ座ってくれ」


 なんだか分からないが、とにかく座れと言うので、二人して椅子に腰掛けた。やはりいつもの滝口さんじゃない。俺と乙成に、一体なんの用なんだ?


「どうしたんすか……? 昨日もあのまま帰っちゃったし……」


「そうですよ! まいにゃん達も心配してましたよ?」


 乙成の言う心配には、若干誤解がありそうな気もしたが、少なくとも俺と乙成は滝口さんの事を心配していたのは本当だ。腐ってもこの人は会社の先輩。俺が面倒を見ている事の方が多いけど、極稀にいいアドバイスをくれる時もある人だ。本当、極稀だけどな。


「オレさ、朝霧さんと付き合うの、早かったんじゃないかな?」


 滝口さんは自信なさげに俯きながらひと言呟いた。こんなにしょんぼりしている滝口さんを見るのは、多分初めてだ。というより、心配事を翌日まで持ち越している姿を見るのも初めてかも。だいたい次の日には忘れてるか、覚えてても楽観視してる所がある人だからな。これは思ったより、昨日の女性陣の攻撃が効いたのかも。


「そんな! 滝口さん、自信持ってくださいよ! 折角お二人が結ばれて、これから良くなっていく所だったのに!!」


「でもよ乙成。昨日のあの感じを見ただろ? オレはまいにゃんの言う通り、毎月の給料のほとんどを飲みに使い、ほぼ毎晩飲み歩き、時間が許すまでひたすら酒を飲んでる。当然貯金もしていない。結婚願望もないし、将来の事とかマジで考えてない。かたや朝霧さんはどうだ? オレと付き合う前は、毎週婚活パーティやらマッチングアプリやらを駆使して男を探し、それでいて責任ある仕事を任されてる。当然貯金もしてるだろう。そんだけアプリやらで男を探してるなら、結婚願望だってある筈だ。昨日のまいにゃんの言う通り、オレと付き合ってるの、間違いなんじゃね?」



「………………」


 乙成が黙ってしまった。多分滝口さんを元気づけるつもりで、色々言葉を考えたのだろう。しかし、そのどれもが薄っぺらな安いお世辞に成り下がってしまったのだろうな。そう、もうみんな気が付いていると思うが、滝口さんは本当にどうしようもない人なのだ。昨日今日で彼女が出来た所で何か変わるもんじゃない。


「オレ、決めたわ。今から朝霧さんに、付き合ったのなかった事にしてもらう!」


「え?! いや、流石にそれやったらラリアットどころじゃなくなりますよ?! 半殺しでも足りないかもしれないですって!!」


 昨日から大して喋っていなかったが、流石にこの決断には物申さねばと口を開いた。一回言った事を「やっぱ無しで!」なんて軽い感じで言ったら、朝霧さんじゃなくてもキレられる。朝霧さんならもっとだ。四肢を裂く以上の事をやられかねない。俺達にまで飛び火する可能性だってある。俺は、俺達の世界の安寧の為に、なんとしても滝口さんの考えを改めさせなければならないのだ。


「だってよーー! 他に方法ねえじゃん!!」


「てか、そんないい加減だって自覚があるなら、自分を変えようとは思わないんすか?!」


「ない!!!!!!!」


 あ、そっか。この人はクズだったんだわ。いや普通さ、この流れなら、もうちょっとマトモになろうとかするもんじゃん? それを俺達が応援する……みたいな。普通そういう展開だろうて。なんでこいつはこんなんなの?


「乙成、前田。もう止めないでくれ。オレはもう決めたんだ! オレは今から言うぞ! 朝霧さんに!!」


「私がなんだって?」


 滝口さんが勢いよく立ち上がった時、追い出し部屋の扉を開けて朝霧さんが入ってきた。分かりやすく音を立てて入ってきた所を見るに、これは機嫌が悪いぞ。


「あんたたち、今何時だと思ってんの? もう始業時間過ぎてるんだけど? いい大人が揃いも揃って遅刻なんて! 仕事舐めてんの?」


 腕を組んで仁王立ちしている朝霧さん。ヒールのせいでいつもより大きく見える。いや、怒ってて凄みが増してるから大きく見えるのか? こんな状態でさっきの話なんてしたら、多分滝口さんは殺される。そして遅刻した俺達までも道連れだ。こんな小さな会社で、社員が3人も死んだらえらい事だぞ? 今だけは絶対に言うなよ……滝口さん。


「朝霧さん……大事な話があるんだ」


 おい!!! 滝口言うな!!!! 死ぬぞ!!!


「え? 何?」


「オレ、考えたんです。二人の事について……」


 もう終わりだ……俺達の世界が終わる。


「滝口さん!!!! 朝霧さんに付き合った事を無しにしたいなんて言ったら、私、本気で怒りますよ?!」


「え」


「え」


「え?」


 いや乙成、お前が言ってる……!


「ちょっと無しにしたいって、どういう事?」


 なんの事だか分からない朝霧さんは、滝口さんと乙成を交互に見ながら戸惑っている。先に言いたい事を言われ、動揺している滝口さんに、口を滑らせてしまった事によって半泣きになる乙成。そしてさっきからひと言も喋らない俺。現場は大混乱である。



「あの、えっと朝霧さん……」


「違うんですよ朝霧さん! 誤解しないで!」


 自分でもびっくりだが俺は、滝口さんの話を遮って二人の間に割って入った。いきなりの事でびっくりした朝霧さんは、


「何?!」


 と言って後ずさる。


「滝口さん、昨日ガールズバーで女の子達に、朝霧さんとは釣り合ってないって散々言われて……それで自信をなくしちゃったんです。あ、ガールズバーに行ったのも、ちゃんと事情があって!」


「そうなんです! 滝口さん、朝霧さんの為に夜遊びと縁を切ろうとしてたんですよ?!」


 アワアワしながらパニックになっていた乙成も正気を取り戻してフォローに入ってくれた。こうなったのも、ちょっとだけだが俺達にも責任はある。俺達はその後も必死になって朝霧さんに事情を説明をした。


 

「はぁ……なんだそんな事?」


 俺達の話を聞いて、頭でも痛くなったのかこめかみの辺りをおさえる朝霧さん。もっと発狂でもするのかと思ったのに、意外と普通にしている。そんな姿を見て、俺と乙成は首をかしげた。


「え、朝霧さん怒んないんですか?!」


「怒るも何も……前田、それに乙成ちゃん? 滝口がなのは、最初っから分かりきってた事じゃない。仕事しない、いい加減、飲み歩いてばっかで貯金もしてない。はっきり言ってクズよ」


「ひど……」


 俺達の背後で滝口さんが消え入りそうな程小さく呟いて項垂れている。朝霧さんにまで言われて、彼のHPはもう残っていないだろう。


「でもね、私はそんなんでもいいって思ったから付き合ったのよ。私はちゃんと仕事もしてるし、蓄えだってある。最終的には創作で生きていきたいけど、それでも滝口一人くらい食わせるなんて、わけないのよ。飲み屋の事だってそう。たまに飲みに行くくらいで目くじら立てる様な女じゃないわよ、私は。今更あんたに、別人になって欲しいなんて思わないわ」


「あ、朝霧さん……!」


 ちょっと照れくさそうに、腕を組みながらそう答える朝霧さん。一方の滝口さんは、嬉しさのあまり朝霧さんに駆け寄っていきそうなくらい喜びで打ち震えている。食わしてやるなんて、そんなん全世界の女子が惚れるやつなんじゃん? 朝霧さん、あんたがこの作中で一番のイケメンだよ。


「ほら、いつまでもこんな所にいないで仕事! 遅刻した分、真面目に働きなさいね?」


「はい! 朝霧さん、オレ一生ついて行きます!!」


「でも浮気したら殺すから。若い女より、私くらいのと浮気したら本気で許さないから、覚悟してね?」


「絶対に絶対にしません! 誓います!」



 呆然とする俺と乙成を置いて、朝霧さん達は追い出し部屋を出て行った。


「……なんとか、大事にならなくて済んだな」


「はい。なんか朝霧さん、かっこ良かったです! 私達の考えがそもそも間違っていたんですね……! 滝口さんが引っ張って行かないとって考えそのものが」


 二人が去って行った後の扉を見つめたまま、乙成はなんだか嬉しそうにそう言った。


「私達も早く仕事しないとですね! 行きましょう前田さん!」


「うん、……って、あれ? それって……」


 乙成がカーディガンの袖をまくった時、その左腕にキラリと光る物が見えた。


「あ、やっと気が付きましたね? 前田さんから貰ったブレスレット、着けてみたんですよ! 昨日からしてたのに、前田さん全然気が付かないから! どうです? 似合ってますか?」


「いや、だって長袖だし……! う、うん。似合ってるよ!」


 俺がそう言うと、照れたようにニコッと笑う乙成。なんだかんだ色々あったけど、ちゃんと俺との事も覚えておいてくれてるのかな? なんて思えて嬉しかった。 

  


 

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