第112話子離れ

 こうして、一時カオスな状況になりかけた焼き肉大会は幕を閉じた。美作さんはまだ少しげっそりしている。麗香さん曰く、あのお茶は悪い物を全て出す効果があるのだそう。悪い物どころか、さっき食べた物まで全部綺麗さっぱり出ていった様に思うが。


「前田くん」


 少し体調が回復したのか、焼き肉屋を出た所で美作さんが小声で話しかけてきた。


「お返しは買えたんですか?」


「買えはしたんですけど、いつ渡そうかと思ってて……」


 そう。今も俺の鞄の中には先日買ったブレスレットが入っている。ついでに言うと、花屋で小さなフラワーアレンジメントなるものも買ってみた。このブレスレットのモチーフになっている花はなかったけど、黄色やオレンジなどの明るい色で作ってもらったので大満足だ。サイズもデスクに置けるくらいの小さな物で、ドライフラワーにもなるって言ってたから長く楽しめるのだとか。


「前田くん、この前僕が言った事……」


「乙成から聞きましたよ。だからって訳じゃないけど、それでようやく渡したい物が決まったというか」


 何も言わずに少しだけ目を見開いて反応する美作さん。俺が乙成から過去の話を聞いたという事に、少なからず驚いている様だ。


「そうですか、あいりが……。前田くん、改めて言っておきます」


 少し考える風をしてから、美作さんはゆっくり話し出した。


「僕は、あいりにもう泣いて欲しくありません。君があいりからどう話を聞いたのか知りませんが、僕はあんな顔をもう見たくありません。だから、君や君の弟の事もあまり良くは思えないのです」


「はい……わかってます」


 さっきまで謎のお茶で苦しんでいた様には思えない程真剣な表情の美作さん。自然と、俺の背筋も伸びる。

 そうだよな、俺は話でしか聞いていないけど、この人は実際にその状況を見ているんだもんな。乙成は吹っ切れている様な感じだったけど、この様子を見るに美作さんはまだ、あの時の事が忘れられない様だ。

 


 俺の頭の中に、一つの風景が浮かぶ。それは話で聞いただけの、在りし日の乙成と美作さんだ。


 今よりちょっと幼い乙成。膝丈くらいの制服のスカートを揺らしながら顔を真っ赤にして、通学時間帯を過ぎた住宅街の中を走っている。家の前まで着いた所で、堪えていた涙がボロボロと落ちる。なんでこんな想像が出来るんだろう?


 ああ、そうか。俺は乙成が泣いている所を見た事があるからだ。多分あの時も、俺が見た時と同じ様な顔をして泣いていたのだろう。


 荒っぽく涙をぐしぐしと拭いながら丁寧に梱包されたチョコのやり場に困っていると、麗香さんを訪ねて来た美作さんと鉢合わせする。


 この人は、なんにも言わずに乙成からチョコを全部貰ったんだっけ。まだそんなに打ち解けてない頃の話だったって言ってたな。

 いたたまれない気持ちになっただろうな、だからこそ乙成の気持ちを汲んであげたわけで。


 この人は、普段こそこんなだけど、乙成を大事に思ってる気持ちは本物なんだろうな。


「あの、美作さん」


 俺は改まって美作さんの目を真っ直ぐと見た。


「今はまだ、俺に対して不信感しかないかと思います。俺男だし……ど、童貞だし……でも! 乙成と仲良くなってから、色んな物を一緒に見てきました! 俺は、あの子にもっと笑っていて欲しい、色んな物を見せたいし、連れて行ってあげたい……! 何年かかってもいいから、それを……俺の気持ちを、いつかあなたにも認めさせたいです!」


 俺が精一杯の熱意を込めて言った言葉に、美作さんはただ黙って俺の目をジッと見ているだけだった。店の前の通りは車通りも多く、俺の声はよく聞こえていないかもしれない。

 でもそんな事はどうだっていい。俺はこの人に、なんとしても認めて欲しいんだ、乙成への気持ちは決して軽い物なんかじゃないって……!


「前田さん? 光太郎さんも、こんな所で何を話しているんですか?」


 会計を終え、帰り支度に手間取っていた女性陣達が店から出てきた。俺と美作さんの様子に、何か不穏な物を感じたのか、乙成はトトトと走って俺の所まで来ると、少し不安気な表情を浮かべて質問してきた。


「いや、なんでもないよ! それより乙成」


「はい、なんでしょう?」


 俺は鞄の中からプレゼントと小さなフラワーアレンジメントの入った袋を取り出した。お返しの事をすっかり忘れていたのか、乙成はそれを見るなり両手で口をおさえて驚いていた。


「これ、お返し。バレンタインの……」


「そんな……ありがとうございますっ!」


 一瞬、謙遜する様な言葉を言いかけたのか、乙成はグッと言葉を飲み込む素振りを見せた後に笑顔でお礼を言った。


「それでさ、前に言った事、覚えてる? ほら、乙成の誕生日の後。あれからまだ4ヶ月くらい? しか経ってないのが信じらんないんだけどさ、俺本当に乙成と仲良くなれて良かったって思ってるよ。俺、まだお前のやりたい事も、行きたい場所も、全部は叶えられてないと思うんだけどさ、でもこれだけは言える。俺は乙成に、ずっと笑っていて欲しいし、一緒に笑い合っていたいって思う。調子よく聞こえるかもしんないけど、それくらい俺にとって、乙成は大事な人……なんだよ」


 自分でも何が言いたいのか分からなくて、言葉に詰まりながらも、俺は自分の気持ちを乙成に伝えた。拙い言葉の一つ一つを噛み締める様に、乙成はうんうんと頷き聞いてくれた。その顔は、恥ずかしさを滲ませた、柔らかい笑顔だった。


「私も……前田さんと仲良くなれて、本当に良かったって思ってます。私のわがままにも、いつも付き合ってくれて……私にとっても、前田さんはとても大切な人です」


 二人して気持ちを伝え合った事で、急に恥ずかしくなって視線を逸らす俺達。やっと……やっと自分の気持ちを伝えられた……!



「あらぁ? なんか可愛いわね、あの二人」


 少し離れた所で俺達を見守っていた麗香さんが、隣に立つ美作さんの腕に手をまわしながら言った。さっきまで俺達の側にいた筈の美作さんは、どうやら俺が乙成と話している間に麗香さんとリンに引っ張られて連行されていたらしい。リンもキャーキャー言いながら俺達の事見てるし、余計に恥ずかしくなってきてしまった。


「そういえばこうちゃん、あなたもあいりにお返し、あげないの?」


 麗香さんの言葉に、俺達二人も美作さんの方へと注目する。そういえば、前にデパートで乙成へのプレゼント買ってたよな? まだ渡してなかったんだ。


「………………買って来るのを忘れました」


 ん?


「そうなんだ……光太郎さんが毎年くれるハンカチ、いつも綺麗な柄だから、ちょっと楽しみにしてたのに……」


「すみません、あいり。代わりに今度、お菓子を買ってきます」


 後ろ手に、そっとプレゼントを隠した美作さん。なんで買ってないなんて嘘をついたんだろう……?



「これは……。こうちゃんも、ついに子離れしたのかな?」


「あいりは僕の子じゃありませんよ、麗香さん」


「???」


 なにやら嬉しそうに美作さんを茶化す麗香さん。俺と乙成は相変わらず理由が分からず首をかしげているが、その姿を見て、美作さんがほんの少しだけ笑顔を向けてくれた気がした。



 あ。でもまだ大事な事を伝えてなかった。


「乙成、あのさ、二人のこれからなんだけど……」


 ポロン♪


 まだ付き合って欲しいと伝えてなかった俺は、慌てて乙成の方を見たその時、乙成のスマホから間抜けな機械音が鳴った。


「あ、なんかメッセージきました! 誰だろ? ちょっとすみません……」


 そう言って乙成は自身のスマホへ目を向ける。おい、こんな時に一体誰だよ?!



「大変です前田さん」


「えっ何が?」

















「朝霧さんと滝口さんが付き合う事になったそうです!」


「はあ?!?!?!」


「あいりんのとこにもきたー? 今俺のとこにも美晴さんからメッセージきたよ! 5年ぶりの彼氏だってさ!!!!!!」


 え、いや、ちょっと……。



「すごい! じゃあお祝いしないと! 前田さん! これってすごい事ですよね?!」


 大興奮するリンと乙成。俺はそんな二人を見つめながら、めちゃくちゃ大事な所を掻っ攫っていかれたショックで、ただただぼう然としていた。


 


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