第107話トラウマ

「ねぇ乙成、昔何があったの?」


 俺の問いかけに、乙成は一瞬表情を硬くする。不味い事を聞いたかと俺まで不安になったが、少し間を置いて、乙成はゆっくりと話し始めた。


「前田さんになら、話してもいいかもですね……。前に人との距離感が分からなくてって話したの、覚えてますか?」


「うん、覚えてるよ」


 それは乙成の誕生日の後、初めて彼女の心の内を少し知れた時の話だ。あの時乙成は人との距離感が分からなくて、みんな離れていってしまったと言っていた。あの一件があって、俺達は晴れてになったんだっけ。


「私、昔から本当に思い込みが激しくって……中学の時に、話しかけてくれた女の子達にバレンタインデーのチョコをあげたんです。前日から手作りして、母にも手伝ってもらったりして」


「うん……」


 昔を思い出す様に、ポツリポツリと話す乙成。トラウマと言っていたから、さぞ苦しい胸の内を話すのかと思っていたが、その顔は何処か寂しそうな、でも何処か懐かしむ様な雰囲気を漂わせていた。


「それでいざ当日! ってなって、私に話しかけられた子達が、なんだかすっごいびっくりしてるんです。みんな友達同士でチョコを交換しているタイミングで話しかけたんですけど、私が手に持っているチョコを見て、予想外だったというか何と言うか……その子達は当然、私にあげる分のチョコは用意してなかったし、その場に私が来るなんて思ってもみなかったんでしょうね」


「うん……」


 少し声の詰まる乙成。俺はただ何も言えずに相槌を打つだけだ。


「それで、その中の一人の子が言ったんです。え……? って。私それでもう、その場に居られなくなっちゃって、チョコを持ったまま学校を飛び出しちゃったんです。恥ずかしくって泣きながら家に帰った時に、丁度光太郎さんにばったり会って。母と付き合い始めたばかりで、まだそんなに仲良くもない時に会っちゃったものだから、余計にどうしていいのか分からなくてパニックになっていたら、光太郎さん、なんにも言わずにチョコを全部持って帰ってくれて……きっと、手伝ってくれた母になんて言おうかって私が悩んでいたのを察してくれたんでしょうね」


「そんな事が……あったんだ」


 俺の知らない乙成と美作さんの話。乙成の話を聞いて、当時の様子がありありと目に浮かんだ。そして、先日の美作さんの表情。どうしてあんな顔をしていたのか、俺はようやく理解する事が出来た。


「でも悪い事ばかりじゃないんですよ? その後のホワイトデーに、光太郎さんがハンカチをくれたんです。お返しって言って。それからですかね、毎年ホワイトデーには色んな柄のハンカチをくれる様になったのは。ちょっと苦い思い出ですけど、そのお陰で光太郎さんとも仲良くなれたし、いい思い出です」



 優しい笑顔を浮かべる乙成。笑っているのに少し寂しそうなその笑顔を見て、俺の心はギュッとなった。


 昔のトラウマを俺に話してくれた乙成。もう泣いて欲しくないと言ってハンカチをあげた美作さん……。



 そして……この話を聞いて一番あげたいもの。



 それは……




 ******


 

 夕方。行き交う人の多さで軽く酔ってしまいそうだ。急ぎ足で家路へつく人、これから飲みにいく人、今から仕事が始まる人。みんなこの街を訪れる理由は様々だ。

 そんな中、俺が向かっているのは先日も訪れたデパート。東京じゃ土日も平日もさして変わりはない。いつも誰かがいて、そしてその誰かでまわってる街。


 歩きずらいビジネスシューズの靴音を響かせて足早に訪れたのは、先日も来たあの場所。


 ここに、一番あげたいものがある。

 

 

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