第76話大っきいワンちゃん

 "待て"


 まるで飼い犬に指示を出すかの様に、金髪の女性は長身の男に笑顔で言った。男も男で、先程までの殺気は何処へやら、すっかり毒気がなくなって大人しくなっている。


「ごめんなさいねぇ、この人、あいりの事になるとちょっと周りが見えなくなっちゃうの。でも普段はとっても優しいのよ? 大きいワンちゃんみたいで可愛いの」


 朗らかな笑顔をこちらに向ける金髪女性。なんともゆったりとした独特の雰囲気を持つ人だ。

 目鼻立ちははっきりとしていて凄く綺麗な人だが、もしかして外国の方?


「あ、自己紹介が遅れちゃったわね。私はあいりの母の麗香です。この人は私の恋人の美作光太郎みまさかこうたろう。あなたがの前田くんね?」



 乙成のお母さんはにっこりと微笑みながら手を差し出してきた。やっぱりとは思ったが、お母さん一体いくつなんだ? 


 成人した子供がいるんだから、少なくとも40は越えてるよな? お母さんの隣で大人しくしている美作さんも、どうみても30代だし……などと考えてる間に、いつまでも手を差し出したままな事にハッとした俺は、慌てて立ち上がって握手に応えると、お母さんの隣にいた美作さんとの身長差を不覚にも思い知らされた。


 こ、腰の位置があまりにも違う……俺の身長は168cm。美作さんは……恐らく180cmは越えているだろう。上から見おろされている感じがする。心なしか美作さん、勝ち誇った顔してない? 俺の気のせいだと良いが……


「前田廉太郎です。噂って……?」


「ああ、それは……」


「お母さん! 前田さんに余計な事言っちゃダメだよ!!」


 ベッドの上でパジャマ姿の乙成が、何かを言いかけたお母さんを制止した。


「あらぁ? あいりったら恥ずかしがっちゃって! そうだ! 今日ね、手巻き寿司食べようと思ってお魚を買ってきたの! 良かったら前田くんも一緒にどう? 茶碗蒸しも作って持って来たの!」


「! 麗香さん、それは……」


「光ちゃん? "いい"わよね?」


「……はい」


 急に話の展開を変えてくる人だな……なんかやっぱり独特だ。美作さんは俺が家族団らんの場に参加する事を快く思っていない様だが、お母さんの言葉一つで渋々従った。てか、さっきから「待て」だの「いい」だの言ってるけど、薄っすらと垣間見える主従関係が怖い。



 こうして俺は、ほんの数分前に殺されかけた相手と何故か手巻き寿司パーティをする事になってしまった。



「あいりは病み上がりだから、お寿司はなしね。お粥作ってあげるわ」


「うう……いいなぁ手巻き寿司……」


「茶碗蒸しなら食べていいわよ〜横になっていないで平気?」


「もう平気だよ! 薬も飲んで寝たら元気になった!」



 乙成とお母さんが台所で仲睦まじく親子の会話をしている中、俺はリビングのローテーブルの前にちょこんと座って固まっていた。目の前には一言も喋らずこちらを観察している美作さん……



 き、気まずい……息が詰まるとはこの事だ。美作さんの澄んだ瞳が、俺を捉えて離さない。出来れば俺も、あちらの仲睦まじい親子の会話に加わりたい所だが、ここは言うなれば、あちら側乙成達の陣地。俺が動けるスペースは限られている。

 それに、目の前に対峙している美作さんがそれを許さないだろう。この人は俺が乙成や乙成のお母さんに近付く事を嫌がっていると思う。


「前田くん」


「は、はひぃ!」


 急に名前を呼ばれて、変な声が出た。先程俺を屠ろうとしていた時とは打って変わって、優しい声色だ。


「前田くんは、普段会社でどんな仕事をしているんですか?」


「仕事……」



 案外普通の質問をしてきたな。これはもしかすると美作さん、先程の事に後ろめたさを感じて俺と仲良くなるきっかけを探しているのかもしれない。俺は、この質問に対して100点の回答は何かを真剣に考えた。



 

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