第74話きもち
「……寝ちゃったね」
後ろで俺達の姿を見守っていたリンが呟いた。床に座ってベッドにもたれる形で手を握り続ける俺の隣までやってくると、寝ている乙成の髪を軽く撫でた。
「……やっぱり、兄貴じゃないとダメみたい」
「え?」
スゥスゥと、寝息をたてて眠る乙成。そんな乙成を見るリンの横顔を見て、何故だが心がチクリと痛んだ。
「あいりんとはね、俺が高校の時に初めて知り合ったんだ。それは前にも話したよね? ほら、ゲームでゾンビにやられてたのを助けたって。そこから連絡を頻繁に取るようになってさ、相談とか聞いてもらってたんだ。あの頃俺、色々と荒れてたし、色んな変化について行けてなかった時期だったんだ」
俺は黙ってリンの話を聞いていた。俺はその時大学で東京に出てしまっていたからよく分からないが、リンもまた、知らない土地で全寮制の学校に入れられて色々と苦労があったのだろう。
「顔が見えないからってのもあったから、あいりんにはなんでも話せた。あいりんも人間関係で悩む事が多かったって言ってたから、親近感が湧いてね。この子はみんなと違うかもって思ったんだ。みんなみたいに見た目で態度を変えないで居てくれるかもって」
「リン……」
昔から、容姿の事で色々と勘違いされたりする経験が多かったリンは、本当に人と心を通わせる機会があまりなかったのかもしれない。
「でも中々会ってくれなくてさ。まぁ俺も、初めて会ってどんな反応されるのか怖かったから、それでもいいかって思ってたんだけどね。そしたら去年、急にあいりんの方から遊ぼうって誘われてさ、今まで頑なに会いたがらない子が、どうして急にって思わない?」
去年……そうだ、確か乙成も自分で言っていた気がする。
私も変わりたい……確かにそう言っていた。
「その理由が兄貴と出会ったからだって分かった時に、やっぱり兄貴にはかなわないなって思ったよ。兄貴は昔から、
「え? どういう意味?」
リンの言っている意味がよく分からなかった。俺がみんなと違う?
「他のみんなはね、なんか空っぽって感じ。昔は声もかけて来なかったのにさ、ちょっと雰囲気が変わるとコロって。父さん達だって、一時は俺を転校させて遠ざけたしさ……。ずっと思ってたんだ。今があるのは嬉しい反面、なんかちょっと複雑だって……。でも、あいりんは違った。それに兄貴も……」
「リン……」
「兄貴って本当に変わんないね、昔から。近寄り過ぎず、でも絶対に否定しない。今日だって嫌な顔一つしないで来てくれたし。だって変だよ? 俺が無理矢理二人の間に割って入ったのに」
「そりゃ、最初は驚いたしちょっとモヤモヤもしたけど……いや、かなりモヤモヤしたけど。大変な時に不貞腐れて取り合わないなんて、そんな事出来ないだろ? それにお前の事だって、みんなはコロコロ態度を変えるかもしれないけど、どう見せたいかが変わっただけで、お前はお前だろ? それでいいんじゃん?」
一見すると、取り留めのなくて両極端な行動をするリンだけど、その裏ではこうやって本当の自分を見てくれる人を探してたんだな。
リンは、その一つの体で、自分に向けられる全く違う反応を一身に受けていたのかもしれない。俺だって最初はびっくりしたし、多分みんな同じ様にびっくりしただろうけど、それ以上にリン自身が、第三者の変化について行けていないのかも。
だから乙成の事が好きになったんだな、多分あの子なら、どんな姿でもリンを受け入れてくれると思ったから。
「うん……でもさ、今日この
話すリンの声が徐々に震えていく。窓から入る僅かな明かりだけが、暗い部屋をほんのり明るく照らしていて、その明かりでぼんやり見えたリンは、やはり泣いていた。
「リン……」
リンはそのまま、俺の肩にもたれて泣いた。声を殺して、それでも抑えきれない声が部屋に響く。俺はそれ以上はなにも言わずに、泣いているリンの頭に手を置いた。柔らかい髪に触れると、小さい頃によくやった様にその頭を優しく撫でた。
「やっぱ……やっぱダメなんだ……俺……じゃ……あの時の……あいりんの顔……兄貴じゃない……と……」
いつまでそうしていたか分からない。リンが落ち着くまでこうしていようと思う内に、最初こそしゃくりあげる様に泣いていたリンは、いつしか静かになっていた。二人して体をベッドに突っ伏す様にして、俺は半分微睡みながらもリンの頭に手を置いたままでいた。
目を開けて横を見ると泣き腫らした顔で寝息をたてるリン。乙成もぐっすり眠っている。
なんか今日は色々な事があったな。朝からモヤモヤしたり、昼間は尾行したり……。
俺がごちゃごちゃやってる間に、この二人にも色々あったんだ。
ふと、少し前の朝霧さんの言葉が頭に浮かんだ。いつだったか、秋葉原のカフェで会った時の話だ。
――あんた、あの子とどうにかなりたいなら、ちゃんと動いた方がいいわよ
――この前も言ったけどね、リンちゃんの事。でもあんなの氷山の一角よ。これから先、ああやって言い寄ってくる男が現れないとも限らない。もしかしたら、乙成ちゃんが誰かを好きになっちゃうかも。それでいいの?
「……いいわけないよな」
俺は、静かな部屋の中でポツリと独り言を呟いた。
それは俺が認めていなかった感情……目を背けていた気持ちの一つ。
本当は少し前から気が付いてた。でもそれを認めていなかった。
相手はゾンビだし、職場の同僚だし、乙女ゲームが好きなオタクだし……
でも……
いつか来るかもしれない、乙成が誰かの隣にいる事になる未来。
それがこんなに嫌だって思うって事は……
やっぱり俺は、乙成が好きだ。
友達でも同僚でもなく、蟹麿の声を聞かせるだけの存在でありたくない。
この子の隣にいるのが自分であって欲しい。
やっと認められた自分のきもちに安堵したした俺は、リンと乙成の手を握ったまま眠りについた。
******
チュンチュン……
夜が明けた事を告げる鳥の鳴き声で目が覚めた。半身をベッドに突っ伏して寝ていたせいで体が痛む。視界が薄暗かったのはいつの間にかかけられていた毛布のせいだった。
「ん……ぁ、乙成……?」
「おい。ここで何をしている?」
眠い目を擦って体を起こした瞬間、俺の視界に何かが映り込み、そして伸ばした俺の手を遮るかの様にマットレスに突き刺さった。
聞き慣れない声と共に俺の目の前に現れた男は、鋭利な包丁をマットレスに突き立ててたまま、殺気の籠もった目で俺を睨んでいた。
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