第73話声

「えっ乙成熱出したの?!」

 

 リンに引っ張られて向かったのは乙成の家だ。どうやら乙成は、朝からあまり体調か良くなかったらしく、デートどころではなくなってしまったらしい。


「うん……」


 向かう道中もこんな感じで元気のないリン。どうして女装をしていないのか気になったが、今にも泣き出しそうなのをずっと堪えている様子のリンに聞く事が出来なかった。


「病院は行ったのか?」


「行ったよ!! でも薬飲んで寝ててもどんどん苦しそうにするし、それに……それにどんどん顔色も悪くなって行って……」


「とにかく急ごう!」


 といっても、俺が行った所でどうにかなる問題でもない様な気がした。とにかく今は、リンを落ち着かせて乙成の様子を確認しないと。顔色が悪いって言ってたけど、もしかしてゾンビ化と何か関係が? 場合によっては救急車を呼ぶ事も……いや、今は考えてる場合じゃない!!



 俺達は乙成のアパートに到着した。リンが持っていた鍵で玄関のドアを開けると、そのまま真っ直ぐ寝室へと向かう。

 玄関から入って右の扉、引き戸になっている扉を勢いよく開けて中に入ると、そこには苦しそうに横になる乙成の姿があった。


「はぁ……はぁ……」


 俺はすぐ、乙成の側に駆け寄った。ベッドに横になったまま、俺達が入って来た事にも気が付いていない様だ。

 辛そうに浅く呼吸をする乙成。リンの言った通り、凄く顔色が悪い。所々顔にも傷がある。いつもより明らかにゾンビ化のペースが早いのは、熱があるせいか?


「どうしよう兄貴……あいりん、本当にゾンビになっちゃうの……? きっと俺のせいだ……あいりん体調悪いのに、連れ回したりしたから……」


 ペタンと力無く座り込むリン。その目には我慢の限界とばかりに大粒の涙がボロボロと溢れていた。

 その姿は幼い頃によく見た、いつもからかわれて泣いて帰ってくる泣き虫の弟の姿そのままだった。


「馬鹿野郎! グジグジ言うな!! まだそうと決まった訳じゃないだろ?!」


 リンの情けない声に、苛立って大きな声を出してしまった。本当は俺だって不安だし、どうしたら良いのか分からない。そんな不安も相まって、ついキツい言い方をしてしまったのだ。


 思えば初めてリンに強い言葉を言った気がする。急に大きな声を聞いてびっくりしたのか、リンは体をビクッとさせるとそのまま固まってしまった。

 そんな姿を見て少しだけ可哀想な気持ちにもなったが、口走ったものを今更引っ込める事は出来ない。俺は、部屋に流れる微妙な気まずい空気を振り払う様に、話を戻した。

 

「乙成のおでこに触れた感じ、そこまで熱は高くない。薬を飲んだのなら、しばらく横になって休んでいれば落ち着くと思うんだけど……」


  


「ま……前田……さん……?」



 その時、乙成が薄目を開けてこちらを見た。さっきの声で起きてしまったのだろうか。薄っすら開けた目も何処か定まっていない虚ろな様子だった。


「乙成! 大丈夫か?!」


「へへ……ちょっと風邪引いちゃったみたいです……」


 力無く笑う乙成。本当は凄くしんどいだろうに、無理して笑顔を作っている感じがした。


「無理するなって! 何か欲しい物はあるか?」


「あ……じゃあお水……喉が乾いて……でも今、水……切らしてて……」


「俺、下の自販機で買ってくるよ!」


 それまでグジグジと泣いていたリンが、急に立ち上がり言った。先程の俺の叱咤が効いたのだろうか、俺が「頼む」と言うと、リンは無言でコクンと頷き、服の袖で涙を拭いて部屋を出て行った。



「リンちゃん……私、酷い事しちゃったな……」



 リンが出て行った後の扉を見ながら、乙成がポツリと呟いた。どうやら今日のデートが台無しになってしまった事を申し訳なく思っているらしい。


「また元気な時に遊びに来行けばいいだろ?」


「それだけじゃないんです……」


「え?」


 そう言うと、乙成は横になったまま俺の手を握って自身の顔に寄せた。その表情が悲しそうというか、なんというか……熱があるせいか、瞳も潤んで見える。いや……泣いている?


「良かった……」


「なにが?」


「前田さんが……来てくれて」



 要領を得ない乙成の言葉に困惑していると、リンが水を買って戻って来た。部屋に入って来た瞬間、俺の手を握る乙成を見た時の顔がとても悲しそうに見えたのは気のせいじゃないだろう。



 水を飲んで落ち着いたのか、乙成は少し元気を取り戻した様だった。次は顔についた新たな傷を癒やさないと。


「乙成、何か言ってほしい言葉はある?」


「まろ様の声でですか? へへ、今日はいっぱい言ってくれますね? そしたら……"ただいま"って、言って欲しいです」


 

『あいり、ただいま』



 少し恥ずかしそうな、嬉しさを含んだ笑顔。その次の瞬間、乙成の体からゾンビ化の兆候である傷が一つ、また一つと消えていく。心なしか顔色も普段の顔色に戻って見えた。


 


「おかえりなさい、前田さん」



 声を聞いて安心したのか、乙成はそのままスゥッと眠りについた。

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