第65話umirah

「え?」


 そこには俺達がよく知っている人物の姿があった。


 朝霧美晴、33歳独身。会社では主任を務め、最近からっきし出番のない北見部長の信頼も厚い。

 はっきり物を言う性格ではあるが面倒見が良く、つい先日まで滝口さんといい感じというかなんというか微妙な感じになっていた人だ。ちなみに今日の朝霧さんは、赤ブー仕様なのか、人工的なピンクのウィッグに眼鏡をかけている。ぱっと見、宇宙人かと思ったのは、ピタッとした服のせいだろう。こんな所で何をやっているんだ?


「な、なんであんたたちがここにいるのよ?!」


 少し人が捌けた後、朝霧さんはその場で立ち尽くしている俺達に向かって言った。


「朝霧さんこそ……!」


umirahウミラ……え?! 私ウミラさんって知ってますよ!!」


 急に乙成が大きな声を出した。その手には朝霧さんのスペースに置いてあった本の一つ。めちゃくちゃ色気のある男の絵が表紙の本だった。


「この界隈では結構名の知れた作家さんです! ジャンルは主にTLかBLで、以前SNSでまろ様に絵柄が似ているって流れて来て読んだ事あります!! まさか朝霧さんがウミラさんなんですか?!」


 興奮気味に話す乙成。確かに蟹麿に似てなくもない男の絵だ。でもまさか、朝霧さんがこんな漫画を描いていたなんて……



 思えば、随分前に街で偶然会った時も画材屋に行った帰りっぽかったな、あの頃既にこういった活動をしていたのか。


「ふ……バレちゃったら仕方ないわね。そうよ、私昔から自作の漫画を描いてるの。乙成ちゃんが読んだのは、多分投稿サイトに載っけてたやつね。会社の人にはバレたくなかったんだけどなぁ」


 朝霧さんは観念したように溜息をつくと、俺達の方を見て笑いながら言った。


「今年一番の驚きですよ! ほら、前田さん! 見て下さい、とっても絵が綺麗なんですよ!!」


 乙成に言われて、俺は朝霧さんの作品に手を伸ばした。


「し、知り合いに読まれるのって何か恥ずかしいわ! 感想とか言わないでいいからねっ!」


 今更恥ずかしがる朝霧さんを他所に、俺はパラパラとページをめくった。


 ……………………



 …………………………



 …………………………………………………………………………





「エロ本じゃん!!!!!」



 ゴッッッッ!!!


 その瞬間、強烈な肘打ちが飛んできた。


「ぐっっっ?! あああ朝霧さん! なにするんですか!!!!」


「あんた達が見ているような、低俗でただ消費されていくだけのエロと一緒にしないでくれる?! TL漫画はストーリーがあって、心があって、人生があるのよ!!!」


 いつにない熱量で語る朝霧さん。食らった肘打ちが地味に効いている俺。ここに出てくる女性はみんな暴力的だ。可哀想俺。


「前田さん、謝ってください」


「す、すみません」


 乙成にまで鋭い視線を向けられたので、とりあえず謝った。ここでは彼女達を侮辱していると捉えられたのだろう。どこからか「これだから男は……」って聞こえてきそう。


「全く、これだから男って嫌よね。やれ乳がデカいだの、やれ太ももがエロいだの……猫ちぐらって響き、なんかエロイよね、だの……」


「そんな事は言ってませんよ……最後のは特に意味分かんないです」


「そんな事はいいのよ。とにかく、私はでもう懲りたの。これからは真面目に趣味に力を入れて、あんな会社いつか辞めてやるわ!」


 今回の一件とは、恐らく滝口さんの事だろう。やっぱり相当堪えていたと見た。朝霧さんはピンクのウィッグをファサ……ってやりながら、フフンと鼻をならした。


「だいたいね、私は元々滝口が嫌いだったのよ。あいつ、一番最初の歓迎会でほぼ初対面の私になんて言ったと思う? 朝霧さんって、エロ漫画に出てくる淫乱教師みたいっすよね! よ? 信じられる?! 初対面よ?! 向こうは新卒、私は先輩! 何が間違って今回こんな事になったのか、天地がひっくり返っても私達は上手く行くなんて事はないのよ! 下品だし、バカだし、女好きだし!! 本ッッッ当に有り得ない!!!!」


「は、はは……」


 息継ぎもせずに発言したせいで、朝霧さんはゼエゼエいっている。これで滝口さんが朝霧さんに惚れたなんて知ったら、どうなるのだろうか。


「朝霧さんにはもっと素敵な人がお似合いですよ! 私、朝霧さんの為なら合コンでも婚活パーティでもなんでもお伴します!!!」


「ありがとう乙成ちゃん……でもそんな事より、なんだかんだいってあんた達が上手くいってくれた事が本当に嬉しいわ」


「「え?」」


 俺と乙成二人して素っ頓狂な声を出した。上手くいくとは……?


「あら? デートなんだと思ってたけど? それにしてもデートで赤ブーだなんて……もっとロマンチックな所行きなさいよ」


 朝霧さんの周りに、またしても女性達がやってきた。これ以上この場を独占するのも気が引けた俺達は、軽く挨拶だけして離れる事にした。

 朝霧さんの前を通り過ぎる時、俺と目が合ってウインクした彼女は、声には出さなかったがリンとの問題が解決して良かったと言っている様な気がした。



 ******


 どっさり大荷物の乙成。結局キャリーバッグだけでは収まらず、乙成の持っている痛バもパンパンになっていた。


「今日は本当に大収穫でした! 人生初赤ブー、大大大満足です!」


 ホックホク顔の乙成。帰りしなにもう一度四月一日さんの所へ寄って、四月一日さんの自作のぬい達と一緒に写真を撮った。

 ぬいぐるみを自作する文化って、マイナーな趣味だと思っていたけれど案外メジャーなんだな。四月一日さんも売り子のヨルさんも、当たり前の様に鞄からぬいぐるみを取り出したから笑ってしまった。ついでに言うと、ぬいぐるみに着せる服なんかも売られていた。どれも凄いクオリティで、当然の事ながら乙成もぬいまろに着せる洋服を買っていた。


「良かったな。俺も新しい世界を垣間見えて楽しかったよ」


「前田さんも楽しんで頂けたなら良かったです! 今度は前田さんが好きな所に行きましょうよ!」


「俺の好きな所……?」


 俺はちょっと考えてしまった。俺が好きな所ってどこだろう? なんせ無趣味無個性素人童貞で生きてきた男だ。人に誘われてどこかに行く事はあっても、自分からここに行きたいって思う場所はない。


「? 前田さん?」


「あ、いや……」


 歩きながら乙成が俺の顔を覗き込む。俺はその視線に気が付いて笑って誤魔化した。

 


 行きたい所……



 どこかなんて特にないけれど、しいて言えば、乙成が行きたい所だろうか。


 今日みたいに楽しそうに笑っていられる場所……




 そんな事を考えていたなんて、恥ずかしくてとても言えなかった。

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