第63話つゆりん推しの四月一日さん

「てか、乙成。その鞄なんかデカくね?」


 もうすぐ開場という所で、俺は今日会った時から気になっていた疑問を投げかける。普段乙成が持っている鞄より何倍も大きな、A3サイズで両端にフリルがついたトートバッグを抱えているのだ。

 俺の両手はガラ空きだったので、乙成のキャリーバッグは持ってあげる事にしたが、そっちの鞄は取っ手を固く握り締め、体にぴったり沿うように持っていたので気になったのだ。


「あ! これですか? もうここならいっか、前田さん! 見て下さい!!」


 バーン! と乙成が鞄をひっくり返すと、そこには蟹麿缶バッチやカードの様な物が、綺麗な花の装飾と共に飾り付けられていた。


「これ、痛バって言うんですよ! 持ってる人を見て、私も欲しくなっちゃって! あと、ほら! 自作のぬいまろも持ってきました! 後で四月一日殿のとも一緒に写真撮るんです!!」


「す、すご……」


 俺はつい圧倒されてしまったが、これは何も珍しい事ではない様で、見渡せば大なり小なり同じ様な鞄を持って歩く女性の姿が見受けられた。同じ缶バッチを鱗状に配置している人なんかもいて、見るだけで目がチカチカしてしまった。みんなやるなぁ……


「あ、列が動き出しましたよ!」


 顔を上げると、周りの人達も示し合わせたかの様に一斉に立ち上がった。先の列が会場入りをしてから約十分、ついに俺達の並ぶ列が移動を開始した。


 ぞろぞろを歩く俺達。一昔前の正月福袋争奪戦みたいに、もっと走ったりするもんかと思ったが、みんな礼儀正しく落ち着いて歩いている。イベントスタッフが確認しやすい様に、当日券を頭上で掲げて歩く姿は、なんかもう一周回って格好良かった。


「わぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!」


 俺達はついに即売会のイベントスペースの中に足を踏み入れた。所狭しと並べられた長テーブルと、そこに陳列されている同人誌達。売っている人も買う人も、皆一様にキラキラと輝いて見える。

 あ、ここでは「売る」とか「買う」ではないんだっけ……? 乙成がそんな様な事を言っていた様な気がする。


 ここは、普段の俺の生活とは大きくかけ離れた、まさに異世界とも言うべき場所だった。俺は今、全身でオタクの息吹を感じている。


「それで? 四月一日さんはどこにいるんだ?」


「多分向こうのスペースにいると思います!! 行きましょう!!」


 そう言うと、乙成はスタスタと早足で目当てのスペースまで歩いて行く。乙成も完全にテンションが上がっているだろう、いつもより俊敏だ。


「四月一日殿! お久しぶりでございます!」


「おお〜殿〜来てくれたのですな」


 乙成が声をかけた先、ちょこんとパイプ椅子に座る女性が目に入った。


 ユラリ……そんな効果音が聞こえてきそうな感じで、目の前の女性は立ち上がると、テーブル越しに乙成と固い握手を交わした。


 この人が四月一日さん……


 眼鏡をかけた小柄な女性、真っ黒な髪を無造作に下ろし、可愛らしいフリルのついた服を着ている。そして年齢不詳だ。若いのかどうかも分からない。ただ、結構声はアニメ声である。


「四月一日殿が赤ブーに参加されると聞いて、やっぱりどうしても行ってみたいと思いまして!!」


「ヒヒ、相変わらずあいりん殿は明るいですなぁ。そちらの方は? あいりん殿の男にございますか?」


 急に俺の方に注目したもんでびっくりした。それ以前に、男というワードが直接的過ぎてこの人のイメージになんか合わないから驚いたのもあったが。


「あ! ご紹介します! この方は前田さんです! 前にお話した、まろ様の声に似ている人です!」


「前田です、よろしくお願いします……」


「ほほぉ、確かに顔こそ水瀬カイト並びに蟹麿には似ても似つかないですが、確かに声は似てますなぁ」


 似ても似つかないとは……ちょっとショックだが、乙成は彼女にも俺の話をしていたんだと分かるとなんかちょっと嬉しい。


「四月一日殿との出会いは、コラボカフェだったんですよ! 四月一日殿の推しである、のコースターが出なくて意気消沈している所を、私が話しかけたのがきっかけで!」


「ヒヒ、懐かしいですなぁ、あの時はとんだ醜態を晒してしまいまして……あいりん殿が優しくコースターを交換してくれたのですよ……本当にあいりん殿には感謝しかありません」


 その姿が容易に想像出来る。乙成って、人見知りだとばっかり思っていたけれど、こういう所では結構積極的に話しかけられるタイプなんだよな、多分蟹麿絡みになると急にアクティブになる性格なんだ。


「私も丁度まろ様のコースターが出なくって、交換のお伺いをしようか迷っていたので……今は勇気を出して話しかけて良かったって思いますよ!」


 深々とお礼を言う四月一日さんに、オロオロと謙遜する乙成。このいい感じの距離感のやり取りが、見ていてなんだかほっこりする。


「フヒヒ、それにしてもあの時のコラボカフェはかなり良かったですよね。なんていっても、さるかに合戦のオールメンバーのコラボメニュー! 栗花落つゆりのあざとモンブランも最高でしたけど、私は祐天のフードのセンスが好きでしたね」


「ああ、まろ様は初登場シーンで使われた花火をイメージしたパフェだったのに対して、祐天はカニグラタンでしたよね!」


「ヒヒヒ、そう。蟹麿と祐天の関係性を加味して、運営側も全力で蟹麿を煽っていくスタイルなのが垣間見えて、ファン心理としてはグッとくる物がありましたよね。運営グッジョブ! って感じでした」


 口元をニヤつかせながら話す四月一日さん。その姿は往年のオタクの姿そのものだった。


 

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