第62話ゆりかもめに揺られて
時刻は八時を少しまわった所。俺と乙成は朝早くから待ち合わせをして、ゆりかもめに乗るべく新橋駅へ向かっていた。
向かうは東京ビッグサイト。東京でイベントやるならだいたい此処だろっていうくらい有名な会場だ。しかし俺は行った事がない。ビッグサイトエアプならぬ、ビッグサイト童貞だ。隣にいる乙成も初めて行くらしい。なんかややこしくなるのでビッグサイト童貞という称号は彼女には付けない事とする。
「……流石に、着込みすぎじゃね?」
今日は一時間〜一時間半程待つという事だったので、二人して寒くない様に防寒対策を整えてきた。
しかし乙成のそれは防寒対策というより、歩く雪だるまの様だ。なんか丸い。着込み過ぎて手足が動かし辛いのか、歩く時に前に投げ出す手足がぎこちない。本人は特に気にしていない様で、体を左右に揺らしながら早くゆりかもめに乗りたいとばかりに改札までニコニコ顔で向かっている。
「でも前田さん! 暑ければ脱げばいいじゃないですか! 服がないと着込む事も出来ないんですよ?!」
「いや、でも流石にやり過ぎだろっ! それに、なんでキャリーバッグ?」
見ると、乙成は肩掛けの鞄の他にキャリーバッグをゴロゴロしている。可愛らしいピンクのキャリーバッグで、蟹のステッカーが貼ってある。
「今日の戦利品を入れる為ですよ! この日の為に細かいお金も用意したし、もう準備万端です!」
確かに新橋に着いた辺りから、この人達も赤ブーに行くのかなって感じの女性がチラホラ見受けられた。皆一様にキャリーバッグや大きめの鞄を持っているみたいだし、案外これが赤ブーにおいては普通なのかもな。
てか、明らかにゆりかもめに向かって歩く人の群れが女性ばかりだ。たまにおじさんもいるけど、かなり控えめだ。いつもの通勤電車はおじさんが幅を利かせているというのに、ここでは真逆だ。女性向けのイベントだとは聞いていたが、もしかして俺だけめちゃくちゃ浮くのでは?
「今日は知り合いの方の他に、SNSで繫がっている方々にも差し入れを用意したんです! 荷物は増えましたけど、初めて会う方ばかりなので日頃の感謝を伝えてたくって!」
「へぇ……その知り合いの人ってのは、なんて人なの?」
「
乙成が丁寧に四月一日さんのSNSを見せてくれた。顔は出していない様だが、アイコンは恐らく天網恢恢乙女綺譚のキャラだ。てか、四月一日五月って本名なの? 漢字の字面凄いけど。誕生日、五月なのかな……
「四月一日
殿って呼んでるんだ……栗藤栗花落は知っている。乙成に借りたDVDにもドラマCDにも出てきた。栗色と淡いピンク色の髪の毛が特徴的な、あざとい系の男だ。
さるかに合戦でいう所の栗ポジションを担っている。他にも、蜂やら臼やらを模したキャラがいるのだが、とりあえずこいつらのストーリーを知れと乙成に言われたので、一通り勉強はした。
ちなみに、蜂の男が
「今回四月一日殿がサークル側で赤ブーに参加されるとの事で、楽しみなんですよ! 四月一日殿の絵、本当に綺麗で!!」
四月一日さんのSNSには、日々の呟きと共に素人とは思えない程の絵が添えられている。一見するとただのファンアートの様だが、ゴリゴリのBL同人誌を描いているとの事なので、普通の顔している絵でもそれっぽく見えてしまうから不思議だ。俺は、これから会う乙成のオタク仲間に会える事を密かに楽しみにしていた。
そうこうしている内に、俺達は東京ビッグサイト駅に到着した。前半こそこうやって何気ない会話を楽しみながら窓の外の景色を眺めたりしていたが、なにぶん朝が早かった事もあって駅に着く頃には二人共ウトウトしていた。特に乙成は、着込み過ぎてぬっくぬくになっていたから余計だろう。
慌てて駅を降りて見えた景色……これが東京ビッグサイトか……千年パズルと呼ばれているのは、あのデッカイピラミッド型の何かの事だよな? 思いの外大きいのと、駅から続く道幅が広く取ってあって、まるでこれから夢の国へ行く様な気分になった。確か舞浜の駅も、こことは違うけど広々としてたよな。
駅を降りてみた感じ、想像している様な行列はない様だ。勝手な想像で、施設をグルリと囲うように人の列が出来ているのを想像したが、今回のイベントではそこまでではないのか? 一応、外にもスタッフらしき人物が配置されているが、割と落ち着いていると思う。
みんな忘れていると思うけど、俺達が働いている職場はイベントの企画なんかを請け負っている会社だ。
普段は内勤だけど、たまにイベントスタッフに欠員が出たりなんかすると急遽駆り出されてしまう事もあったりする。まぁ、俺達が請け負う仕事はここの比じゃない程小規模なイベントだから、こういう大々的なイベントを運営している会社だったら急遽駆り出される事なんてないのだろうが。
そのまま施設の中に入場し、二人して当日券を購入。ここもキャッシュレス決済が出来るのでかなりスムーズだった。そして横入りが出来ない様に仕切りで区切られた動線を道なりに進んで、デッカイ体育館の様なスペースに通された。ここまでは完璧な誘導だ。
遊びに来たつもりなのについ仕事目線で見てしまうのは、俺も立派な社畜の仲間入りを果たしたという事だろう。
中のスペースには既に多くの来場者が整列していた。そうか、ここで開場まで待つんだな。
「外で待たなくて良かったですね!」
「あぁ、本当に」
このデッカイ体育館みたいなスペースも、普段はイベント会場として何かを展示したりするのだろう。そのスペースを丸々来場者の待機場所にしているとは、俺は何故だが凄く感動してしまっていた。てっきり寒空の下で待たされるとばかり思っていた俺達にとって、雨風のしのげる屋内は天国の様に思えた。おまけに暖房までついている。ここなら五時間くらい待てと言われてもいけるな。
乙成が鞄から小さめのレジャーシートを取り出す。座り込みを覚悟して持ってきたとの事だ。他の人達は小さな椅子を持ってきたりしていたが、何もないよりずっとマシだ。ただ、レジャーシート越しに伝わるアスファルトの冷たい感触で、暫くすると尻がキンキンに冷えた事は言うまでもないだろう。
もうすぐ十時半……ここから本当のイベントの幕開けだ。
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