第61話私を赤ブーに連れてって
「あ、赤ブーって何?」
赤ブー? はて、なんだそれは? 俺は抱き締めてした手を解いて乙成の顔をまじまじと見た。
「前田さん、企画会社に勤めているのに知らないんですか? 赤ブーといえば、女性向けの同人即売会を主催、運営している会社ですよ!」
そう言われても……聞いた事あるようなないような……
「って! 違うよ、そんな事を聞きたいんじゃなくって!!!」
つい乙成の言葉にそのまま乗ってしまいそうになったが、違う! 俺が聞いたのは、週末どこ行く? みたいな話じゃなくって!
「そんな事とはなんですか!! 赤ブーをバカにするなんて許さないですよ!」
「いや……違う……! そうじゃなくって!!」
「今回リアルでも交流のある方が参加されると聞いて、一度行ってみたかったのですよ! 東京ビッグサイト! 流石に母を連れて行く訳にもいきませんし、前田さんしかいないんです!!」
このパターンはあれだ。完全に乙成のペースに入ってしまっている。こうなったら赤ブーに行くと言うまで、他の話は聞いてもらえないぞ……せっかく俺が勇気を出したというのに……
「わ、分かった。一緒に行くよ、その赤ブーとやらに」
「本当ですか!? ありがとうございます!! 来週の日曜なので、予定絶対に空けといてくださいよ!」
キラキラの笑顔で喜ぶ乙成。その姿を見て、なんだかもうどうだって良くなってきた。
******
「え、乙成って
とりあえず乙成の体調が元に戻った事もあり、腹が減ったのでとりあえず二人して鍋焼きうどんを食べる事にした。俺は夕方も牛丼を食ったんだけどな……しかし目の前に置かれた鍋焼きうどんを見て、食べ過ぎかな? なんて考えは吹き飛んだ。普通に美味そう。
ネギに油揚げにトロトロの卵……本当に数時間前に牛丼を食ったのかと疑問に思うくらいに、俺の腹はすっかり食事モードに切り替わっていた。
「そうなんですよ! ずっと行ってみたいなって思っていたんですけどね、中々勇気が出なくって……でも、今回は知り合いの方も参加されるって事なので、思い切って行ってみようかと!」
乙成でもまだ経験した事のないオタク界隈のイベントがあったんだな。俺は鍋焼きうどんの半熟卵を箸で割りながら、乙成の話を聞いていた。
「さっきSNSでその方に連絡取ってみたら、当日は一時間〜二時間くらい前に到着して待つ方がいいって仰っていました!」
「え?! 待つってどこで?! 一月だぞ?」
「どこで待つのでしょう……? 最悪外という事になるかもしれないので、覚悟しておいて下さい!!」
嬉々として語る乙成。鍋焼きうどんの立ちこめる湯気の間から見える笑顔は、さっきまで床に倒れていたとは思えない程元気な様子だ。
「そ、そんなに人気なのか……」
「今回はオールジャンルイベントなので、色んな作品が出るらしいんですよ! 人気作品はオンリーイベントなんかもやったりするらしいです! ホームページに載ってました! 私が行きたいのは……ここ! 東4ホールという所ですね」
乙成がスマホで手早く検索して地図を見せてきた。見たはいいものの、細かくてよく分からない。とりあえず何か番号が振ってあって、その番号を見たら「天網恢恢乙女綺譚」と書かれていたので、乙成の指し示すエリアが、蟹麿らの同人誌が売られている場所なのだろう。
「てか、乙成は蟹麿にガチ恋してるのに、BLとかもいけるんだな」
なんとなくだけど、ガチ恋のファンは他のキャラクターとの絡みを楽しむというより、自分との恋愛で妄想するものだと思っていた。乙成は蟹麿の事が本気で好きなんだと思っていたから、ちょっと意外だったのが本音だ。
「んー……確かに最初は、まろ様一筋で元々のゲームの趣旨通りの恋愛を純粋に楽しんでいたんですけどね。あ、でも! それはBLを否定しているとかじゃなくって、未知の世界だなーとしか思っていなかったんです。でもある日、ネットでたまたま見つけた、ファンの方が描いたまろ様と祐天の絵があまりにも美しくて……その場でスマホを落としてしまうくらいに心が震えたのです。 あの絵は、画面からキャラクターへの愛が溢れ出ておりました……二次創作について、色々賛否両論あるかと思うのですが、私は純粋に作品に対する新たな愛情表現の一つだと思いますね。そこからですね、公式グッズばかりでなく、同人誌にも手を出す様になったのは」
「お、おう……」
思ったより熱量のある話で、思わずたじろいでしまった。こんなにまで何かを好きになれる事が凄いと思うし、なんか羨ましかった。
「是非とも今回は! 前田さんにもこの世界に触れて頂きたい! きっと当日は、私なんかよりもっともっと好きを極めている人達がいる筈ですので!!」
鼻息荒くオススメしてくる乙成。いつも思うが、蟹麿の事となると本当に楽しそうだ。
「好きを極めている人達か……。乙成はどうしてそんなに俺に天網恢恢乙女綺譚の魅力をオススメするんだ?」
これは素朴な疑問だった。話す様になってから今まで、乙成は俺にいつも溢れんばかりの蟹麿愛を伝えてくる。マジで冷める事がない。俺の声が蟹麿に似ているからって、ここまでするか?
「え? うーん……そんなの決まってますよ!」
「ん?」
乙成が箸をそっと置いて俺に笑顔を向けた。
「私が好きなものを、大好きな人にも好きになってもらいたいんです!」
ニッコリ笑ってサラリとめちゃくちゃ恥ずかしい事を言う乙成。
その「大好き」という言葉がどういう意味を持つのか曖昧だったが、俺は今日のモヤモヤが払拭される様な、そして聞きたかった答えが聞けた様な気がして、小っ恥ずかしいやら嬉しいやらで、思わずニヘヘと変な声が出てしまった。
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