第55話滝口ェ……

 後を追いかけます! と出て行った乙成。残された俺と滝口さん。スマホを持って出て行ったので、多分朝霧さんを捕まえたら乙成から連絡が来るだろう。


「……ちょっとやり過ぎた?」


 隣でニヘヘと笑う滝口さん。本心ではなく演技であんだけ物を言える事が恐ろしい。


「だいぶ、ですよ。見ててハラハラしましたもん」


「お前途中で吹き出すから! マジで焦ったぜ」


「いや、そりゃあ吹き出すでしょ。酷すぎますもん」


 俺の鼻は、まだ先程の痛みが引かないままでいる。涙で真っ赤になった目を擦りながら、トイレに行くと言って席を離れた。

 

 用を足してトイレの鏡を覗き込む。やっぱり目が充血してるし、鼻も赤い。今だにツーンとした痛みが鼻の奥に残っていて不快だった。

 それもこれも全て滝口さんが悪い。いつも思うが、滝口さんはマジで碌な話を持って来ない。あの人が絡むと何かと変な事になっていくんだ。


 その時、丁度俺のスマホがポコンと鳴ってメッセージを受信した。送り主は乙成だ。このタイミングでの連絡という事は、恐らく朝霧さんを捕まえたのだろう。全く、動物園から猿が逃げ出した訳じゃあるまいし、いい大人が恥ずかしさで逃走するなよな。


「前田ー。オレもションベンー」


 俺がトイレの外に出たタイミングで、滝口さんと鉢合わせた。


「いちいち言わなくていいですよ……それより、乙成から連絡ありました。もうすぐ戻るって言ってます」


 俺達はトイレを出てすぐ目の前にある、入り口に続く廊下の端に二人して立って、乙成からのメッセージを確認した。


「お、やーっと捕まったかぁ。全てはオレの読み通りだな! このままあの人をその気にさせて、盛り上がった所で一気に突き落とす! 完璧な計画だ!」


「本当にそんな事したら、一生恨まれますよ? やっぱりやめといた方が良いんじゃないですか?」


 止めても無駄な事は分かっていたが、やはり朝霧さんの事を思うと、どうしても後ろめたさから止めたくなってくる。やっぱり、人の気持ちを弄ぶのは良くないよ。滝口さんは本当に最低だ、絶対に来世は人間に生まれ変われないだろう。


「構わねぇって! あの人がオレをコケにしたのが悪いんだし! それに、もう何年も男日照りが続いてんだぜ? 逆に生活にハリが出て良かったんじゃあねぇの? うひゃひゃ!」


 滝口さんが下卑た笑い声をあげた瞬間、俺達の背後から、刺すような視線を感じた。


「あ、朝霧……さん。……と、乙成……」


 俺が気配を感じて振り返ると、入り口の引き戸の前で、こちらを睨みつけている朝霧さん達の姿があった。


「滝口……あんた……」


 ヤバい。朝霧さんの背後から黒いオーラが見える。蔓の様に伸びた、禍々しいオーラだ。煮えたぎる血を連想させる様に、握った拳がぶるぶると震えている。


 そのまま履いていたハイヒールを軽やかな身のこなしで脱ぎ捨て、俺達の方へと走ってくる。本当に一瞬の出来事だった。

 

 朝霧さんは走りながら右腕を横に真っ直ぐ伸ばし、右腕に全体重をかける様に勢いをつける。


「フンッッッ!!!!!」


「フゴォッ…………」


 朝霧さんの右腕は、綺麗に滝口さんの首元に入った。そのまま腕をくの字に曲げてさらに負荷をかける。ラリアット的なやつからのアックスボンバー的なやつだ。


 俺は咄嗟にしゃがみ込んで身をかわした。首元をガッチリホールドされた滝口さんは、そのまま居酒屋の床に叩きつけられる。びっくりする程綺麗に体が浮き上がった。完璧なフォームだったのだろう。この光景を目の当たりにした他の客や従業員も、何故か「おぉー」と歓声をあげていた。


「……乙成ちゃん、帰るわよ」


「え?! は、はい!」


 朝霧さんが踵を返して入り口に向かって行く。その瞬間、ほんの一瞬見えた表情には怒りと悲しさが滲んでいた。

 俺の方をちらりと見て、立ち去ろうとする乙成。その隣でハイヒールを履いた朝霧さんが、何かを思い出したかの様に立ち尽くしている。


「……荷物」


 蚊の鳴くような小さな声を漏らした朝霧さんに、乙成がハッとしてすぐに反応する。


「と、取ってきます!!」


 乙成は急いで俺達の隣を通り過ぎると、無造作に自分と朝霧さんの荷物を抱えて戻ってきた。また通り過ぎる時に俺と目が合ったが、俺の隣でのびている滝口さんを見て、何も言わずに朝霧さんのもとへと戻って行った。


 二人が去った後の引き戸を、茫然と眺めている俺。すぐに立ち上がれないのは腰が抜けたからだ。


 隣で完全にのびている滝口さん。割と強めに頭を打ち付けていたが、大丈夫だろうか。


 ほら、やっぱりな。滝口さんが絡むと碌な事にならないんだ。活気を取り戻した店内、行き交う人と賑やかな話し声に包まれながら、俺はこの後にやってくる会計の金額にただただビビっていた。


 

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