第54話飲み会のはじまり

 そしていよいよやってきた週末。俺達は会社の近くの居酒屋にやって来た。

 本当はもっと雰囲気の良い所にしようかとも思ったけれど、朝霧さんが自然な方がいいと言うので以前も訪れた事のある、このチェーンの居酒屋になった。

 

 メンツは俺と乙成、あとは問題の二人だ。とりあえず俺と乙成に関しては、朝霧さんの計画上での捌ける時間まではいつも通り普通に飲み食いする。朝霧さんの告白の事は乙成も知っているので、タイミングを見て俺達は帰ろうと予め決めていた。


「前田さん! 焼き鳥何頼みます?」


 乙成がでっかいメニュー表を持って向かい側に座っている俺に笑いかけてくる。最近は何かとリンの事で気が気じゃない日々が続いているが、こうして目の前にいる乙成はいつも通りだ。嬉しい様な、ちょっと落ち着かない様な、変な気持ちだ。

 今日はリンが出てくる心配もないから安心しているのかもしれない。オレはいつの間にこんなリンの影を意識する様になったんだか。


 とりあえず飲み物と適当なつまみをいくつか頼んで飲み会は始まった。乙成はいつも通り、口にするもの全てに感動を覚えているが、ふと隣に目をやると問題の二人の内、一人だけ明らかに様子がおかしかった。


「朝霧さん、次何飲みます?」


「えぇ?! あ、あ、うん! じゃ次……は、これにしようかな!」


 滝口さんが気を利かせて、空いたグラスを指差しながら尋ねると、朝霧さんは大袈裟とも思えるくらいのビクつき様で、おずおずとメニューにある飲み物を指差していた。


 その姿は、普段彼女が見せている大人の余裕なんてものは微塵もなく、むしろそこら辺の大学生よりもウブな反応だった。普段が普段だけに、この余裕のなさが逆に面白い。


「お二人、いい感じじゃないですか?」


 乙成がメニューの影でこっそり俺に耳打ちした。その距離の近さに、ちょっとだけドキっとした俺だけど、今は何より滝口さん達がどうなってしまうのかの方が気になって仕方がなかった。


「朝霧さん」


「え?! な、なに?!」


 滝口さんが先に動いた。急に名前を呼ばれた朝霧さんは、またしても飛び上がって動揺している。


「オレ、今日すっごい嬉しいんです! 朝霧さん、最近オレの事避けてたてしょう? こんな風に一緒にご飯食べられて、嬉しいなぁ」


 虫唾が走る。流石元演劇部、犬系年下溺愛彼氏風のテンションで話す滝口さんは、普段見た事もない様な表情で朝霧さんを見ている。見ているだけじゃ飽き足らず、朝霧さんの手をとって自分の方に持っていっている。どうやっているのか分からんが、心なしか瞳までキラキラして見える。純粋に気持ち悪い。


「滝口さん積極的……! 素敵ですね!」


 小声で乙成が呟く。この不自然な流れをテンション高めでうっとりと眺めている。この光景を見せられて素敵だなんて思うなんて、純粋というかなんというか……俺はさっきから鳥肌が止まらないってのに。


「この席二時間制だから、残り一時間切ったら出るか」


 俺も乙成にメニューの裏から声をかける。それにコクンと頷く乙成。居酒屋の照明のせいで、今日の乙成はいつもより少し人間味がある。灰色っぽく見えないからかな? それとも俺に何かしらのフィルターがかかっているとか?


「せっかくだからもっと話しましょうよ? オレ、朝霧さんの話もっと聞きたいなぁ! それとも、オレじゃダメですか……?」


「ブフッッ!!」


 滝口さんのセリフに、俺は思わず飲んでいたビールを吹き出してしまった。横にいる男は一体誰だ? 演技といってもクサすぎる。

 俺が不自然に吹き出したせいで、一瞬場の空気が乱れてしまった。炭酸が鼻の方まで上がっていったせいで顔が痛いし、テーブルの下で滝口さんに本気で蹴りを入れられる。全く酷い仕打ちだ。乙成だけが唯一俺を本気で心配してくれた。


「前田さん大丈夫ですか?! 勢いよく飲んじゃダメですよ! はい、おしぼりです!」


「いや……まぁ、うん。ありがとう……」


 どうしよう。俺、ここに居続ける勇気ないんだけど。早く帰りたい……。


「朝霧さんって、本当に綺麗ですよね……お酒が入ってるからかな? なんかいつもよりもっと色っぽく見える……」


 滝口さんは一度咳払いをすると、俺に構わず話を続けた。一瞬いつもの滝口さんの表情に戻ったが、すぐにまた滝口さんが思う、犬系年下溺愛彼氏風の姿に戻った。どうやってやっているのか分からんが、口元が猫みたいな口になっているω


「た、滝口……あのね、私は……」


 朝霧さんが限界を迎えようとしているのが見て取れた。滝口さんに片手を掴まれ、仰け反って距離を取ろうにも出来ない状況だ。顔はどんどん真っ赤になっていって、目は泳いでいる。


「朝霧さん、いや美晴さん! ……そう呼んでもいいですか?」


 これがトドメの一撃だった。滝口さんの放った一言により、朝霧さんは完全にノックアウト。彼女の目線では、よくある乙女ゲームの一枚絵の様な、背景にキラキラした加工の成された滝口さんが見えている事だろう。


 少しいたずらっぽく笑う後輩くん、平静を装っても隠しきれない胸の鼓動――。


 堪らず朝霧さんは滝口さんの手を振りほどくと、立ち上がって個室の席の引き戸を勢いよく開けて飛び出して行ってしまった。


「朝霧さん!」


 朝霧さんの後を追う様にして、乙成も飛び出して行ってしまった。

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