第40話既成事実が出来たそうです(?)


「? 前田さん? 聞こえてますか? まだ具合悪いですか?」


 乙成が起き上がって心配そうに俺の顔を覗き込む。俺の頭は処理が追いつかなくて志向が完全に停止している。


「なん……で?」


「もう! 前田さんが帰らないでって言うからじゃないですか!!」


 え……嘘……は? え? 帰らないで?


「帰らないでって何?」


「それはこっちのセリフですよ! 急にふらふらしだしたか思ったら、今度は帰らないでって言って押し倒すし……」


「お、おしっ……押し……た、おす?!」


 まさか……


 夕べの記憶が薄っすらと脳裏に蘇ってきた。確か乙成の作ってくれたお粥を食べて、その後立ち上がろうとしたら急にふらついて……

 


 ――ふぅん……でもさ、男の部屋にいきなり訪ねるなんて、ちょっと無防備過ぎない?


 ――本当に、どうなっても知らないよ?


「フフ、前田さんって、結構積極的なんですね?」


 俺は起き上がりかけた姿勢からものすごい勢いで飛び起きた。その姿はまるで、何年か前に流行った、背後にキュウリを置かれてビビって飛び上がる猫みたいな感じの飛び跳ねっぷりだ。そしてそのまま床にひれ伏して頭を床に何度も叩きつけながら土下座した。


「謹んでお詫び申し上げます。此度の非礼、めんもくしだいもござらぬからして……!」


「前田さん! 変な喋り方になってますよ!」


「不徳の致す所であります、多大なご迷惑をおかけし、弁解しようもございません。どうかご容赦ください!」


 自分でも何を言っているのか分からないが、とにかく謝罪せねばと思いつく限りの言葉を口にする。


 こんな事があるのか……自分でも記憶のない間に初体験が終わるだなんて……! しかも相手はゾンビ……もっとこう、そういうのって思い出深いものになるんじゃないの? 何ひとつ覚えていないんだけど! でも、確かに今日の乙成は、いつもより肌つやが良い様な……? ゾンビにもそんな効果があるのか分からないけれど、こういうのってなんか肌ツヤツヤになるとか言うし、ははは……マジかよ……


 そして、多分だけど乙成も今までそういう経験がないんじゃないかと思うのだが、乙成からしてもこの出来事は最悪の思い出になってしまった事だろう……俺は、今日程自分の不甲斐なさに絶望した事はない。そこら辺のやんちゃしてる中学生でももうちょっとマトモだ。案外奴らピュアだからな。それに引き替え、俺ときたら……全部熱のせいにして迫ったというのか……


 え……てか、これ犯罪じゃね? 同意とかないよな?


「すすすすみません、貯金とかそんなないけど、これで乙成が満足するなら……」


「前田さん、通帳はしまってください! 大丈夫です! 前田さんが思う様な事は何もしてませんよ!」


「……え?」


 俺は、半泣きでベッドの上にいる乙成を見た。肌つやが良く見えたのは気のせいだったのか……?


 何もしていない……そう言う乙成の顔が一瞬、聖女に見えた。本当はゾンビなのに。


「本当?」


「はい! 前田さん、なんかイケメンしか許されない様なセリフを言った後、私を押し倒す様にして寝てしまいましたので。きっと熱で朦朧としていたんでしょうね」


 そ、そうなのか。俺は変な事はしていなかった……でも、イケメンしか許されないセリフを乙成に囁いていたのか。他の事は覚えていて良いけれど、それはマジで忘れて欲しい。


「よ、よかった……俺もついに滝口さんみたいにいい加減な人間に成り下がる所だった……」


「でも意外でした。前田さんがそんなに取り乱すなんて」


 すっかり安堵して気の抜けた俺を見ながら、乙成は笑って言った。本当に一時は、通帳残高全てで手を打ってもらうか、そうでなければ婚姻届けに判を押すまで考えたっていうのに……そんな他人事の様にコロコロと笑う事ないじゃないか。


「普通そうなるでしょ! だって……」


「え?」


「そういうのは、ちゃんとお互いの気持ちが通じ合ってからにしたいじゃん……そんな行き当たりばったりなのは嫌だよ……」


 自分で言って恥ずかしくなった俺は、ニコニコ顔でこちらを見る乙成から、つい目をそらしてしまった。

 

「……よかった、ここに居るのが前田さんで」


 俺が顔を背けていると、ベッドの縁に座っていた乙成がホッとした様な口調で呟いた。

 

「? どういう事?」


「だって前田さんはちゃんと考えてくれる人だって分かったから。変な人だったら大変な目に遭っていたかもしれないですし!」


「……そもそもそんな変な奴の家になんか行くなよ」


 今言える事は、これが限界。

 

 チラリと乙成の方に目をやると、乙成も俺の方を見ながら、なんだか嬉しそうに目を細めて笑っていた。

 そして、忘れてかけていた空腹が今頃になって俺の腹の虫を刺激して、盛大に腹が鳴った。


「……あ」

 

「お腹空きましたね、うどん食べます? 昨日鍋焼きうどんの材料も買って来たんです! 一緒に食べましょう!」


「あぁ、ありがとう」

 

そう言うと、乙成は立ち上がって昨日の鍋を片付け始めた。


「本当に、何から何までやってもらってごめんな、ありがとう」


「いいんです! それに……今回の事で、私なんだか新しい境地を開拓出来た様な気がします……!」


「え? どういう事?」


 流しで洗い物をしていた乙成は、持っていたスポンジを置くなり、台所兼廊下の壁からこちらを覗き込む様にして言った。目を爛々と光らせ、その顔はなんとも喜びに満ちた表情であった。


「弱っている前田さん……憂いを帯びた表情で、力なく言葉を発して私を求める姿……姿形はまるで違うけど、私の中ではまろ様で脳内変換されていました。ぜひ、またご病気の際は、私を頼ってくださいね?」


 俺の顔を舐める様に見ながら、そこはかとなく恐怖を感じる、恍惚とした怪しい笑顔で乙成は言った。


 すっかり熱は下がって元気になった俺だったが、そのかわりゾンビに新たな性癖を植え付けてしまった様だ。

 

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