第35話実家でも蟹麿
実家に着くなり、久しぶりの居心地の良さに時間も忘れて何時間も家族揃ってテレビに見入っていた。
今映し出されているのは今をときめくアイドルやら芸人やらが一同に会するトーク番組。可愛い顔のアイドルが映る度に、親父達が「リンちゃんの方が可愛い」と親バカ全開でリンを褒めまくる。当の本人はというと、スマホをいじりながらソファで横になり、同じくソファに座っている俺の腿を我が物顔で枕にしている。
「あ」
親父が勝手に俺達の写真を撮って何処かに送ろうとするのを阻止した所で、俺は不意にある事を思い出した。
――明日また連絡するよ
しまった。乙成に連絡すると言っておいて忘れていた。気が付けばもう夜九時を回っている。怒ってるかな? いや、むしろ生きてるか? 昨日の午前中に話をしたのが最後……丸一日経ってしまっている。
「俺、部屋戻ってるわ。風呂空いたら教えて」
そう言うと、俺は急いで階段を駆け上がって自分の部屋に戻った。昨日実家に帰ると言っておいた事もあって、乙成からの連絡はない。俺は慌てて乙成に電話した。
プルルルル……
「……はい」
「あ、乙成? ……大丈夫?」
電話の向こうの乙成の声に元気がない。ここ最近じゃこんなに時間を開けた事がなかったからゾンビ化が進行してないといいけれど……
「前田さぁーん……私はもうダメですぅ……」
「ごめん連絡するのすっかり忘れてて! まさか進行しちゃった?!」
「うぅ……顔は大丈夫ですけど、手はちょっとグチュってます……」
なんて事だ。たった丸一日でもうそんなに進行してしまったというのか……前に人の欲には底がないとか言ってたけど、こんなちょっと声を聞かないだけで進行してしまうんじゃ、片時も離れられないじゃないか。
「ええっと……ちょっと待てよ、今蟹麿全集を……!」
俺は手荷物に忍ばせた蟹麿全集を取り出すと、乙成の為になんでもいいからとりあえず蟹麿のセリフをいくつか言ってみせた。
『たまにはこうやって二人で散歩するのもいいものだな。寒くないか? 手、繋ごうか』
『無理はするな。あいりが頑張りすぎて倒れでもしたら、僕が辛い……』
『……まだ、帰らないで欲しい』
「えっと、あとは……!」
俺は他にも良いのがないかとページをパラパラめくって探していると、電話の向こうの乙成がそれを制止した。
「もう大丈夫です前田さん! これ以上囁かれたら、私の耳が飛んでいきます!!!」
「え? でも……」
「ありがとうございます前田さん! やっぱりストックは効かない体の様ですね……今日は一日自宅でまろ様会をしてなんとか紛らわせていたんですけど……ご実家に帰っているのにごめんなさい」
まろ様会とはなんだ? まぁ乙成の事なので、いつものアニメ一気見か、二次創作の世界に潜って夢小説でも見ていたのだろう。
「いいよ、俺が連絡しなかったのが悪いし。もう大丈夫?」
「はい! もうすっかり! それにしても流石ですね前田さん! 蟹麿全集を持って帰省してくれていたなんて……! 感激です……!」
声を聞く限り、本当にもう大丈夫そうで安心した。全く、本当にめんどくさい体質をしているな。
なんとかピンチは脱した様だったので、そこからしばらく俺達はいつもの様に他愛もない話をしていた。もうすっかり習慣になっている事だ。よく話が尽きないなと、我ながらいつも思う。それだけ、乙成との会話が心地よいという事なのか?
「あ、そろそろ時間ですね……」
「ん? あぁ、そうだな。俺も風呂入んなきゃだし」
「あ、あの、前田さん?」
気が付けば三十分は話し込んでいただろう。この三十分の間に、乙成から天網恢恢乙女綺譚にまつわる、年末年始のチェックしておいて欲しいイベントについて、あれこれ説明を受けていた。一番の目玉は天網恢恢乙女綺譚の声優勢が集まる生配信だそうだ。
まぁ俺がチェックしておかなくても、多分連休明けで乙成から全て聞かされる事になるだろうけれど。
そろそろお開きにするかと切り出した最中、乙成が改まった様に俺の名前を呼んだ。
「なに?」
「あの……最後にもう一度、昨日みたいに言ってくれませんか……? す、好きって……まろ様の声で」
その言葉を聞いた途端、急に昨日の事が頭に浮かんで顔が熱くなった。
「え……なんか改まって言われると恥ずかしいんだけど」
「むむっ無理にとは言いません! でも、昨日のあの感じがなんか良かったので……」
電話の向こうで乙成がオドオドしている。今の俺の顔を、乙成に見られなくて良かった。多分今、本当に恥ずかしさで余裕のない顔をしているだろうから。
「わ、分かったよ……じゃあ、言うぞ」
呼吸を整えて気持ちを落ち着かせる。セリフを一言言うだけなのに、なんでこんなにドキドキするんだ?
『好きだよ、あいり』
「っっっ/////」
「あ、また切れた。ったく、一方的に切るなよな……」
「あ〜に〜き〜? 見ちゃったよぉ〜」
扉の方から声がして、慌てて振り返るとそこには、扉の隙間からニヤけ顔でこちらを見ているリンがいた。
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