第16話乙成の誕生日

 そして23日。あの後結局、夢の国どころではなくなってしまった俺は逃げるように本屋を出た。それ以来、今日までずっとモヤモヤした感情を引きずっている。今も電車に揺られながら、先日見た本屋のポップの文字が頭の中で何度も再生されていて消えない。


 何らかの形で死を迎えて異世界へ転生って事は、乙成は今の世界を辞めたかったのか? あんまりにも軽々と口にしていたので深く考えた事もなかった。


 乙成は、なんで今と違う世界に行きたいと思ったのか……?

 

 彼女の中に、一体何があると言うのだろうか……?


 ただ単に、好きなキャラクターのいる世界に行きたいと願っているだけなら、俺の杞憂に終わるのだが……


 そんな事を考えている間に駅に着いた。いつもここを利用する時は夜だったから気が付かなかったけれど、結構利用者の多い駅なんだな。降りる人も乗る人も多い。

 俺は正面から向かってくる人を器用に避けながら改札を抜けた。と、改札を出た先の出口に、見覚えのある短い茶髪の男が見えた。


「滝口さん! 何してるんすか?」


 そこには両手にビニール袋を持って左右をキョロキョロする滝口さんがいた。俺を見るなり助かったとばかりに人目もはばからず大声を出した。


「おぉー! 前田ァ! 丁度良い所に! 乙成の家ってどこだ?」


 な、なんだと……! 乙成の家?!

 

「えっ滝口さんも呼ばれてるんですか?!」


「? そうだけど」


 滝口さんは、何か変な事でも? と言わんばかりの見事なキョトン顔でこちらを見ている。


「お呼ばれしてたのは、あなただけじゃなかったのよ、前田くん?」


「朝霧さん!!」


 ここで朝霧さんも登場。休日スタイルの彼女は相変わらず派手だ。もう11月だというのに丈の短いワンピースを着ていて、膝小僧が丸だしだ。ゴージャスでフローラルな香水の香りが鼻につく。おまけに高いハイヒールを履いているので、並ぶと俺より大きい気がしてちょっと萎縮してしまう。


「あら? 部長も誘われてなかった?」


「部長は今日は家族サービスの日だそうで、代わりにほら、酒代たんまりくれたから色々買って来たっす!」


 そう言うと、滝口さんは両手の袋を持ち上げてニヒヒと笑ってみせた。なんか盛大な勘違いをしていたのはどうやら俺だけだった様で、なんかちょっと残念……ん? 残念?


「前田くぅ~ん? 何か期待してたみたいだけど残念だったわね?」


 俺の耳元まで近付いてきて、何を言い出すかと思ったらこれだ。朝霧さんは本当に俺達の事を面白がっている。近付かれると香水の香りがつきそうで、俺は少し後ずさった。


「いや、俺は別に……てか! この前会った時、今日来るなんて言ってなかったじゃないですか!」


「だってなんか勘違いしてるみたいで面白かったからさ? それで? プレゼントは買えたの?」


「あ、それは……」


「よぉし!! 今日は飲むぞおおおお! それで前田、乙成んちってどこ?」


 滝口さんに遮られて、俺達の秘密の話は中断された。正直、もうプレゼントどころじゃないんだけどな……

 道が分からないという二人を連れて、乙成のアパートまでの道を歩いた。途中、滝口さんが荷物を持つのを嫌がって足止めを食らったが、なんとか約束の時間に乙成の部屋のチャイムを鳴らす事が出来た。


「いらっしゃいませー! 皆さん、今日は来てくれてありがとうございます!」


 チャイムを押してすぐ、中から満面の笑みの乙成が飛び出してきた。可愛らしいピンクのエプロンを着けている。胸元に蟹のワッペンが縫い付けてある所を見るに、これも乙成が自分で付けたのか? 何から何まで蟹麿の影があるんだな。


「おおー! すっげー!」


 部屋に入るなり、テーブルに並んだ食べ物を見て滝口さんが叫んだ。横長のローテーブルの上に並んだ豪華な食事。クリスマスツリーみたいに積み上げられた唐揚げに、一口サイズのサンドイッチ、ちゃんと可愛い爪楊枝まで刺してある。おしゃれな店で出てくる様なサラダに、なんか良くわかんない一口サイズの食べ物。盛り付けまで完璧で、よくSNSに上げてる、意識高い系女子のパーティの一幕みたいだ。そしてどれもちゃんと美味そう。


「まだまだあるので遠慮しないで食べてくださいね!」


 いそいそとグラスを持って来ては、滝口さんが持ってきた酒を選り分ける乙成。まだ飲まないやつを冷蔵庫へ持って行って、戻りがてら取り皿を追加で持って来たりと、座る暇なく動いている。主役なのに少しは座ればいいのにと俺が思っていると、朝霧さんが乙成に声をかけて席につかせた。


「じゃあ改めて、かんぱーーーい!!」

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